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題名:Re: 集中 名前:大峰白雅
2010/09/21(Tue) 21:44 No.19  HomePage


道慧さまの前で失礼ですが・・・。

禅定というのは決して特別にあるものではありません。
「三昧(さんまい)」とも言うように、思いを一点に集中して心を統一することですから、座禅とか、写経とか、特定の形にとらわれるべきではないと思います。

私の場合を言えば、絵を描くことがそのまま禅ですから、あえて座禅という形にこだわりません。
歩く禅というもの、食事をする禅、あるいは尾篭な例ながらトイレでの排泄さえも禅なのです。
故に、禅宗の一派に「普化宗」という、俗に虚無僧といわれる、俗体のまま、尺八を吹くことによって禅定に入るというやりかたもあります。
ひとつの物事に対するこだわり、それが仏教とは一番遠い考えなのだと愚考します。

心を開放すると、道端の石ころにも、名も知らぬ雑草にも、仏が見えます。
そして、自分もまた仏であったと気がつきます。
禅定というのは、その心を開放するために、心を澄ませる作業に他なりません。

他宗のことに詳しくありませんが、道慧さまの宗派では「止観(しかん)」と言う言葉が禅定にあたると思います。


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