「蒸機時代の北海道」画像掲示板

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北海道の蒸機列車、旧型客車、運炭鉄道の情報交換を行う掲示板です。
実物情報、模型製作情報の話題を中心に行いますが、
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題名:謹賀新年2015  名前:管理人 2015/01/01(木) 00:26 No.788  HomePage 操作


788の画像を原寸大表示します 本年も宜しくお願いします。
ブログの方どうぞ
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題名:12/14  名前:c57135 2014/12/14(日) 11:43 No.784  操作


また12/14がやってきました。
39年…と記しましたが、昨年の投稿見たら
今年は数えでは40年!になるのですね。
年月が経っても臍をかんだ思い出は一向に薄れるどころか日増しに鮮烈になっていくような気がします。

さて、選挙に行かなきゃ。

  
 

題名:Re: 12/14  名前:管理人 2014/12/14(日) 18:52 No.785  HomePage 操作

c57135さん
久々に135番を見に行きたくなりました。実は、まだ新しい鉄博には行っていませんが、大雨の日に行きたいです!
京都からだと、遠いし「混んでる」と云うイメージが有って中々機会が有りません。

選挙は・・・行きましたよ! やっぱり、景気回復が全ての基本です。他のことは、景気回復出来れば、いずれ解決できるモノです。

  
 

題名:Re: 12/14  名前:c57135 2014/12/24(水) 23:45 No.786  操作

そして12/24がやってきました。
あと何回 12/24を迎えられつかどうか分かりませんが
12/14と24は 何年たっても特別な感慨なしに過ごすことは出来ない一日です。

  
 

題名:Re: 12/14  名前:管理人 2014/12/25(木) 01:10 No.787  HomePage 操作

c57135
そうですね〜 「あと何回・・・」などと思うようなぐらいに年月を重ねたのですね。思えば、あの時は、まだ昭和も50回を数えたにすぎませんでした。あの日の50年前は大正時代で有ることを考えると、しばし時間の感覚が麻痺を覚えます。

ブログ
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題名:明けましておめでとうございます。  名前:ヤマモト 2014/01/03(金) 11:54 No.781  操作


明けましておめでとうございます。
ご無沙汰しております。
年末、仕事が忙しく、ついつい年賀状さぼっいてしまいました。
ので、メールしました。
最近は、写真からビデオに転換、高見に上がって蒸気とってます。
相変わらずネシアがよいでしょうか?
懐かしい写真たくさんありますね?
最後の12月ラッセル キの 訓練運転ありましたよね?
パソコンXPから8に変えましたが、データーを移していません。今度投稿してみます。

  
 

題名:Re: 明けましておめでとうございます。  名前:管理人 2014/01/04(土) 05:07 No.782  HomePage 操作

ヤマモトさん
あけましておめでとうございます。

やっぱり、生きているナロー蒸機は良いですよ〜
「最後の12月」ってもしかして、1975年12月の事ですか?
ラッセルは、撮っていません。。。

  
 

題名:Re: 明けましておめでとうございます。  名前:ヤマモト 2014/01/05(日) 11:44 No.783  操作

 管理人様

 1975年12月です。
 あれ、撮ってなかったんですか?
 じゃー、今度スキャンして貼っておきます。
 てっきり撮ったものと思ってました。
 私は、最終日を待たず帰阪しました(これが出撃の条件だった)。
 同じあたりをうろついていたのに、この時は全く出会いませんでしたね。



題名:12/14  名前:c57135 2013/12/14(土) 00:29 No.779  HomePage 操作


779の画像を原寸大表示します こんばんは。

また12月14日が来ましたね。

もう39年。ということは昭和59年から

終戦の昭和20年を見た長さと同じとは。

いつの間にそんな年月が流れたんでしょうね。

一昨日食べた昼食が何だったのかも思いだせないのに、

なんで39年も前の12月14日の事は、つい昨日のことのように

思えるのは、なんでなんでしょう。


  
 

題名:Re: 12/14  名前:管理人 2013/12/14(土) 02:02 No.780  HomePage 操作

投稿ありがとうございます。

そして、またこの日が来ましたね。
私にとっては、病み上がりに、夕方のニュースで、ヘリからの映像を、唇を噛みながら見た日。

本当にあっという間ですね。来年は、40年。。。



題名:40年前のあの日あのとき(8)  名前:巻本彰一 2013/03/20(水) 23:39 No.767  操作


767の画像を原寸大表示します  早いものでもう1年が経ってしまいました。しばしお付き合いの程を。
 1973年の北海道,このときの往きは,きたぐに→青函27便→43レで銀山,という連続31時間車中コースでした。この時期になると,日本海側では途中寄るべき路線がほとんど無煙化されたという理由ですが,もう拷問としかいいようがない旅になりました。
 さて,苦労してたどり着いたにもかかわらず1973年(1974年も)の北海道の撮影は最悪で,順法闘争による「団結号」のおかげで写真は全く絵になりませんでした。この写真(銀山Sカーブ)のように煙室戸,デフ,スノープロウ,キャブ,テンダーにまで白文字が入っているので,たとえ俯瞰をしてもどうしようもありません。天気ピ−カンで煙ばっちり,でも機関車が「団結号」ではね。1975年以降の北海道しか知らない方は,本当に幸せです。
 一方,順法闘争による荷物の滞貨も酷く,各駅では荷物が満杯で,いつ目的地に着くかは判らないと言われたのですが,荷物を軽くするため二条駅まで手荷物を送ったところ,45日かかりました。小生は下着類なので実害はありませんでしたが,果物類や野菜など生ものを送れば全ておしゃかで,鉄道荷物から一気に客が離れる契機になりました(いつ着くかは判らないし,1ヶ月経っても着かない荷物なんて,誰も出しませんよね)。今回はグチが多くてすみません。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(8)  名前:管理人 2013/03/22(金) 03:44 No.768  HomePage 操作

これは派手ですね〜
管理人は1975年だけしか知らないので、或る意味で幸運だったのですね。「団結号」を模型化するのも面白いかもしれない、なんて云うコメントを書いている人が居ましたが、本気で言っているのか? と思いました。今見ても、懐かしいというより、検便してよ、と云う気持ちは消えていません。しかしチッキが45日も掛かったのでは、意味ありませんね。そもそも、荷物は「旅客」と同様の営業形態で、客レ併結が基本で同時移動が発祥だったように読んだように思います。その後、国鉄解体、貨物輸送衰退、車扱いの事実上廃止への道を転がり落ちたのでしたね。機関車・客貨車好きの管理人は、残念でなりません。

行き帰りは、もちろん「きたぐに」にお世話になりましたが、乗り鉄だったのか、全く苦痛と思わなかったです。学生の頃は時間には余裕があったので、結構楽しんだようです。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(8)  名前:巻本彰一 2013/03/23(土) 23:18 No.769  操作

769の画像を原寸大表示します  待てども来ない列車を待っていると思わず歌詞が・・・,「ゆ〜きが降る,あなたは(汽車の意)来ない〜。」(おそまつでした)。1973年は前年とは逆に厳冬になりました。列車ダイヤの方は順法闘争による貨物の運休が相次ぎ,確実に撮れるはずの客レが「団結号」ではたまったものではありません。稲穂峠からの大俯瞰では,1日目はピーカンでも列車は来ず,2日目は猛吹雪で何も見えず,下山時には遭難しかけという顛末で玉砕しました。
 国鉄はダメでも私鉄なら,というので,この日は1日中大夕張鉄道を攻めるつもりで下り1番列車で清水沢に着いたのですが,この写真のように車外はこの雪。とてもシューパロ湖の俯瞰は無理と気持ちを切り替え,列車から降りずにそのまま夕張鹿ノ谷へ(根性無しですみません)。結局,吹雪の午前中は真谷地へ,午後は雪が小降りになったので南大夕張経由でシューパロ湖に行きました。
 前回の「拷問」ですが,乗り鉄が嫌という訳ではなく,天気が良かったにもかかわらず日中に撮影ができなかったという理由です。これにこりで,次の年からは往きは,きたぐに(立山)を糸魚川で下車して午前中は東洋活性白土に寄り,しらゆきで北海道入りすることにしました。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(8)  名前:巻本彰一 2013/03/24(日) 12:58 No.770  操作

770の画像を原寸大表示します  関西からは蒸機王国北九州が近いのですが,輸送量が多いことと門デフ等の切り取りデフやカマが美しいことを除くとあまり特徴がないのです(冬でも晴れの日中なら煙はスカスカですしね)。
 一方,北海道は輸送力が少なく,醜悪ともいえる耐寒装備に機関車本体の美が随分犠牲になっているのですが,限界に近い使用条件での機能美?(ブサカワ,とかキモカワの部類かも)があるのと煙の量が特徴ですね(夏場でもガンガン出ますので,あまり石炭使用量については念頭にないのかもしれません)。関西在住者にとっては,そのような非日常的なところに惹きつけられるのか,春休みは必ずお約束のように雪が残る北海道へ行くことになりました。
 客車ではやはりストーブ列車ですね。釧網本線等で混合列車が機関車と客車の間に貨車を挟むと暖房蒸気を供給できないので,冬期は客車にストーブが設置されていました。屋根上に煙突を突き出して走ってくるのは何ともほほえましいものです。
 運炭鉄道でも同様な理由で客車にストーブを設置していたので,子持ちししゃもなんかを大夕張のストーブで焼いて缶ビールを一杯(冬場は撮影時の雪かきで結構のどが渇くのです)やりながら9600の牽く客車の旅を楽しんでみたいという願望があったのですが,どうしてもストーブの周りは地元の人で囲まれてしまうので,ついに願いは果たされずになくなってしまったのは残念至極です。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(8)  名前:巻本彰一 2013/03/27(水) 00:24 No.771  操作

771の画像を原寸大表示します  ちょうど40年前は名寄本線上興部-一ノ橋間を訪れました。中間地点の峠で撮りたくなって一ノ橋から上興部まで荷物を持って歩いたのはよかったのですが,雪が新雪で予想外に時間がかかり,俯瞰場所まで上る途中で列車が来てしまって,重連のブラスト音に追い立てられるように雪壁をよじ登り(途中は林で下が見えない)転がるようにカメラを出したら列車はもうファインダー内ぎりぎりでした。こういうのは,40年経っても夢に出てきますね(寝ながら足をバタバタさせるそうです)。
 夕方に上興部に着き,重連の発車を撮ったあとこの写真の給水設備を撮りました。寒冷地にもかかわらず,水槽下部が開放でむき出しになっているのが非常に珍しいですね(小さくまとまっていて非常に好ましいです)。それまで何回も上興部には来ているのですが,いつも補機が給水塔の横で休んでいるのでカマが邪魔で,列車が発車した後の短時間しか狙えない,ある意味贅沢な写真です。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(8)  名前:巻本彰一 2013/03/31(日) 11:47 No.772  操作

772の画像を原寸大表示します  これは3月29日分です。この日は標津線を訪れたのですが,厚床から列車がないので奥行臼まで荷物を持って歩き,中間付近でC11の貨物列車を撮影しました。線路上をずっと歩いて行ったわけですが,途中には人家や人工物が全くなく原野がずっと続くので,もし足をくじいたりして走行不能になったら列車を停めるしか助かる方法はないという所でした。奥行臼駅に着くと,駅前左にはまだ簡易軌道の施設等(線路や車輌)がまだ残されていてびっくりしました。
 さて写真は厚床駅内部ですが,構内配線図が一緒に写っています。こぢんまりまとまった構内で好ましいですね。模型で分岐駅の構内の良い参考例となるのではないでしょうか。ところでこの年の北海道は周遊券の有効期間一杯の20日間の旅程でしたが,ひと月の2/3も旅行に出ているとその間に世の中に色々な出来事が起こります。このときは列車に残されていた新聞で,米軍がサイゴンから撤退完了したことを知りました(軍事顧問団は残留)。これで泥沼に近かったベトナム戦争が終結に向けて動き出すことになったわけですが,この40年前のできごとを,米軍に遠慮してか,日本の新聞ではほとんど報じないのは不思議なことです。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(8)  名前:巻本彰一 2013/04/02(火) 23:11 No.773  操作

773の画像を原寸大表示します  これは4月1日分です。この日は宗谷本線塩狩で撮影していたのですが,夕方の名寄行き323レを撮りに旭川へと南下していたときに見つけたミムです(永山か?)。
 模型を作っていると,丸いタンク車に塗装後に帯を入れるのはなかなか難しいことである,とは分かっているのですが,この写真を見ると皆さん自信を持てるのではないでしょうか(逆に綺麗に入れると実物通りにならないのかも)。実物はデカールではなく塗装だし,大きいので綺麗に塗れるのが当たり前と思うのですが,不思議ですね。ここまで下手な帯は初めて見ました。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(8)  名前:巻本彰一 2013/04/04(木) 23:11 No.774  操作

774の画像を原寸大表示します  これは4月3日分です。朝に礼文華海岸と昭和新山で撮影した後,時間が余ったので,夕方は鉄原コークスに寄ってみました。その日の運転は終了していたのですが,この写真のようにツーショットが撮れました(夕方は逆光になるので黒ずんでいます)。運転状況が分かったので,翌日も訪れて1日中走り回ったらフィルムを使い果たしてしまい,それで駅前まで買いに行くと,有効期限が1年以上過ぎた物しかなくて困ったのも,今となれば良い思い出なのかもしれません。
 構内はコークスの中に線路を引いたような場所だったので,天気ピーカンにもかかわらず,露出が全然でなくて撮影者泣かせの場所でもありました(つや消し黒色がいかに日光を吸収するか身をもって体験できる場所でした)。ところで,1973年春は守衛さんも非常に親切で,構内は自由に撮り放題だったのですが,1974年春には完全にシャットアウトになりましたから,この間に荒らした人がいたのでしょう。非常に残念なことでした。
 鉄原コークスは場所的に良い所にあって,夕方まで撮影しても,すずらん→青函夜行便→しらゆき→くずりゅうで帰宅できます。日中を移動するというロスが少ないので,このときを含め,その後も北海道からの帰りには最後の日の撮影地として重宝しました。
 さて,これで1973年春の北海道撮影旅行は終わるわけですが,その後蒸機がなくなるまで,4回北海道を訪れました。それらについては,また別の形でご紹介するということにして「40年前のあの日あのとき」もこれで一応完結することにします。ご愛読ありがとうございました。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(8)  名前:奥山道紀 2013/04/14(日) 19:00 No.775  HomePage 操作

ダルマストーブは三菱大夕張ナハフ1の車内でしょうか?
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(8)  名前:管理人 2013/04/14(日) 23:56 No.776  HomePage 操作

奥山様
恐らく、大夕張(三菱石炭鉱業)の客車ですね。
妻板の造作、車掌室の表示などが国鉄とは異なりますし、ナハフ1と読み寄れるように思います。 巻本様、いかがでしょうか?

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(8)  名前:巻本彰一 2013/04/17(水) 01:03 No.777  操作

 ご推察の通り,三菱大夕張鉄道ナハフ1の車内にあったダルマストーブです。球形のものは珍しいのではないでしょうか。国鉄の駅等では,樽形のダルマストーブを使っていたので上面で色々な物を焼き易かったのですが,ナハフ1のような球面になると魚のひらきなんかは特に乗せにくそうですね。焼きムラも起こりそうですし。しかし,いくら乗せ易くとも,筒型のオイル炊きではべとべとになりそうで,魚を焼く気も起こりません。
  ところで,スノープロウなんかは取り付け位置(穴)の関係か,機関車の特定ナンバーが書かれていたのですが,ダルマストーブは特定車輌の備品だったのでしょうか。それとも,年ごとに違う車輌に乗っていたのでしょうか。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(8)  名前:奥山道紀 2013/04/21(日) 20:28 No.778  HomePage 操作

座席の配置からナハフ1と思いました。ストーブの件ですがNHKの「思い出の鉄路」の映像ではストーブに「スハニ6」と記入されており、同じものを使っているようです。


題名:40年前のあの日あのとき(7)  名前:巻本彰一 2012/03/25(日) 22:41 No.759  操作


759の画像を原寸大表示します  早いものですね。もう3月も終わりに近づいてしまいました。撮影記録に寄ると,1972年春の北海道行きは,3月17日夜に出発し小海線→飯山線→只見線→会津線→陸羽東線→五能線→函館本線と寄り道し,家を出発してから一週間後の3月24日にたどり着いたようです。
 さて,ちょうど40年前は函館本線大沼で駒ヶ岳バックのお立ち台写真を撮っていたわけですが,その時に振り向いて何気なく撮った写真が掲載のお宝写真になりました。なぜ「お宝」なのかわかるでしょうか。
 列車は3月25日の22D上り北斗1号ですが,附属編成後のキハ82→キロ80→キシ80を見て下さい。通常,キロ80の水タンクはキハ82側に向くように連結し,キシ80の食堂側がキロ80に向くように連結しないとキハ80系は制御回路がつながらないのですが,キロとキシが逆向きにつながっています。
 前日の事故の影響を受けたために,編成を整える時間がなかったのだと思われますが,どのようにして制御回路をつないだのかは興味がありますね。延長用のジャンパ線を4本使って,連結器の下でクロスさせたのでしょうか。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(7)  名前:管理人 2012/03/26(月) 00:32 No.760  HomePage 操作

逆ですね。。。
後に、短編成になったりモノクラスになったりとかで、両栓改造したのは、キハ181だけでしたっけ? いずれにせよ、この時期では、そんな改造はまだの様な気もしますね。
これが有りなら、模型でもあまり気にしなくても良いか?
でも、見慣れていないと気持ち悪いかも知れませんね。やっぱり、模型では「きれいな編成」の方が良いかも知れません。

  
 

題名:短縮デフ化されたD52204  名前:巻本彰一 2012/03/26(月) 23:32 No.761  操作

761の画像を原寸大表示します  1972年春の北海道の天気は異様な程暖かく,大沼・小沼の氷は融け,オホーツク海の流氷は沖合まで流出し,晴天が続くので各地で道床が露出する暖冬の年でした。
 一方,この時の国鉄の話題は,D52の間合い運用を利用しD51と共通運用を組んだことではないでしょうか。それまでD52は深夜・早朝の運用が多く,日中は昼寝をしていたのですが,一部D51に代わって客レを牽くことになり,御殿場線のようなD52牽引客レが撮影できるようになりました。
 さて前置きが長くなりましたが,写真はD52204の貨物列車です。D52204はそれまでも心持ちデフが短かったのですが,さらに短縮デフ改造を1971〜1972年の間に受け,このようなおぞましい姿になりました。この姿で走ったのは1年間あるかどうかなのですが,「D52は短縮デフ改造をされていない」と雑誌やブログに書く無責任な人が結構いるのは,困ったことです。

  
 

題名:Re: 短縮デフ化されたD52204  名前:管理人 2012/03/29(木) 00:52 No.762  操作

D51の短縮デフは、いつか作ろうと思っていましたが、D52の短縮は・・・ これはいただけませんね〜
短縮デフ好きの管理人でも、これはいけません。似合う機種とダメな機種が有るようですね。
しかし、貴重な記録ですね。短期間で発表を避けるためか、ほとんど見かけないですね、タクトワンのシリーズぐらいです。いい加減なサイトでは、錯誤、手抜きの記述が散見されるのも残念な事ですね。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(7)  名前:巻本彰一 2012/03/31(土) 00:37 No.763  操作

763の画像を原寸大表示します  ちょうど40年前は午前中を石北本線常紋信号所ですごしていました。 この信号所の乗降者数は,多分信号所としてはNo.1ではないでしょうか。最後の1975年は,一列車から100人以上が降りて来ていましたが,この当時でも各所で撮影している人を集めると100名くらいにはなったような気がします。食べるところ(民家も)が全くないので,まだカップ麺が未発売ですから,信号所の横でラーメン屋台を出したらかなりの売り上げになったでしょうに。
 前年までは夜行大雪6号が本務機D51,補機96でしたので,夏場は生田原の発車を撮影したり,冬場は下り最後部の客車のデッキはテレコを持った人で埋まるように石北本線を多くのファンが訪れていました。この年になると大雪6号の本務機がDDに代わったのですが,それでもまだ貨物は本務機D51+補機96のブラスト音が聞けることもあって信号所には多くのファンが詰めかけていました。D51と96は動輪径が異なるため2輛のブラスト音が調和しないので,例えば名寄本線の96重連のような同形式重連では聞けない興味深い音を聞くことができました。サウンド付きの模型を持たれている方は,是非試してみて下さい。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(7)  名前:巻本彰一 2012/04/02(月) 00:48 No.764  操作

764の画像を原寸大表示します  ちょうど40年前のこの日(4/1)は,根室本線茶内で浜中町営簡易軌道を訪れていました。昭和45年度で補助金が打ち切られたため,1971年に各地の簡易軌道は次々と廃止されて,撮影時点では浜中町営が唯一の簡易軌道になっていました。国鉄茶内駅北側に,井笠鉄道のホジを片ドアにしたような自走客車や除雪機関車,ミルクタンカー等の貨車群が展開していました。写真はC58牽引の464レとミルク貨車です。写真でおわかりのように,ミルク貨車はナローとしては車幅が異様に広いので(トム5000とほぼ同じ),ミルク缶を乗せるときに気をつけないとひっくり返りそうです。撮影日の前日(3/31)で客扱いは終わったのですが,貨物扱いはあと余命1ヶ月という状態でした。
 路線は釧網本線南部のような根釧台地を走って行くので,良く言えば大陸的な開放感,悪く言えば同じような風景が延々と続きます。標茶,幌延も似たような風景で,内地のナローとは雰囲気が随分と異なります。この日は「簡易軌道のレイアウトを作りたい」と強く心に誓ったのですが,畳1枚の面積があってもスケール通りなら直線1本で終わりそうです。ちなみに小生が簡易軌道に興味を持ったのは,TMS253(1969年7月号)の幌延町営簡易軌道の記事がきっかけで,いくつかの簡易軌道の最後を目の当たりにできたのも,この記事のおかげです。
 道内の簡易軌道全てに言えることですが,路線長や列車本数に比較して機関車や自走客車などの動力車が異様に多いのです(そういう意味では我々の模型的)。補助金を予算消化的に使って車輌を増やしたのでしょうね。もっと有効にお金が使えていれば,例えば,補助金が年額半分で2倍の年月に出されていればもっと廃止が先延ばしにできたので,ひょっとすれば簡易軌道の観光保存鉄道のような違った展開があったのかもしれません。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(7)  名前:管理人 2012/04/03(火) 01:15 No.765  HomePage 操作

うーん
常紋信号所も浜中も、レイアウトを目指すものにとっては、よだれが出そうなアングルですね。
ストラクチャーのアップは、発表されるものは案外少なく、貴重です。ミルクカーって、こんなに広いのですね、これまた再認識。スピードを出すとこけそうです。この狭軌感がたまりません。管理人は、やっぱり「狭い線路」が好きなようです。

簡易軌道のレイアウトも捨てがたいですね〜
本線レイアウトが先ですが、諸般の事情で頓挫しています。リハビリをがんばらなくては・・・

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(7)  名前:巻本彰一 2012/04/04(水) 23:13 No.766  操作

766の画像を原寸大表示します  ちょうど40年前のこの日は,早朝に美唄鉄道を訪れた後,留萌本線に移動しています。深川での僅かな待ち時間を利用して,構内に待機している除雪車輌を撮りました。このキ604は,写真通りあまり綺麗な車体ではないのですが,テンダー内には石炭が満載されていて,いつでも出動できる状態になっていました。後ろにマックレーも待機していて,時間の許す限り写真を撮り続けた記憶があります(その割には模型に役立つ細部写真が少ないのですが)。
 ところで,その後,1/87ではモデルワムからキ600とキ620のキットが発売されたのですが,実物のキ604は前位の扉の窓が十字桟ではない,扉の位置だけ雨樋がある,機炭間が非常に短い(模型では屋根端の位置にテンダーの手すりがくる)等,キットの内容とは差異があります。まあ機炭間を実物通りにするとショートする可能性があるので,これは諦めるにしても,その他は実物通りにしてやりたいですね。
 さて40年前の(1972年春の)北海道訪問もこれで終わりにして,次に訪れるのは1973年春ですから,それまでしばし休載にいたします。



題名:40年前のあの日あのとき(6)  名前:巻本彰一 2012/01/01(日) 02:55 No.756  操作


 新しき年号(平成24年)に因んで,元夕張鉄道24号機の写真を載せてみます。撮影記録によると,ちょうど40年前は九州撮影旅行から12/31に帰宅し,新年を自宅で三日間過ごした後,1/3の夜行「ちくま」で信州→南東北に旅立っています。若いから出来るとはいえ,ある意味拷問に近い生活をしていたのかもしれません(両者とも全部周遊券を利用した車中泊です)。
 私たちの年代は,蒸機が全廃になるまで約10年の撮影期間でしたが,ダイヤ改正ごとに約300輛ずつなくなる蒸機を,全国に夜討ち朝駆けで追いかけていると,とにかくあせって,何かにずっと追われ続けているような青春時代を過ごしたような気がします。撮影帰りに良い撮影地を見つけても,次回そこで撮影すること叶わず無煙化になること数知れず・・・。
 年頭の心構えとして,余裕のある人生というものを送ってみたい,と思う今日この頃です(三つ子の魂百まで,ですが)。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(6)  名前:廣瀬 2012/01/01(日) 19:55 No.758  HomePage 操作

巻本さん おめでとうございます

24号機が、サクッと出てくるあたりは、さすがです。
しかしあの頃の「拷問生活」は楽しかったですね。当方の現役蒸機撮影は、日帰り・2〜3日の小旅行を除くと、北海道の2回だけでしたので、一瞬の夢でした。復活蒸機も泊りがけで行ったのは、C62ニセコの他は、大井川ぐらいです。

「拷問生活」は、今でもジャワで出来ますよ〜
列車じゃなくて、車ですが!



題名:12万アクセスお礼  名前:管理人 2011/12/14(水) 23:55 No.750  HomePage 操作


750の画像を原寸大表示します 今夜、弊サイトのトップページのアクセスカウンターが12万アクセスを超えました。皆様のご支援、ご鞭撻に拠るところ極めて大きく、感謝しております。

しかも、お祝いの書き込みをC57135さんにいただいた、記念すべき12月14日に達成できたのは、偶然とは思えません。これからも、ご愛用、ご指導をよろしくお願いします

  
 

題名:Re: 12万アクセスお礼  名前:C57135 2012/01/01(日) 00:50 No.755  HomePage 操作

謹賀新年。

「おめでとう」とは言い難いですが、ともかくにも年が明けました。
本年はどんな年になるのか。少しでも前を向く年にしたいものです。
鉄道界は「日本海」「きたぐに」までもが廃止、一方で何と北海道新幹線を3兆円の起債で工事着手…と、無茶苦茶な事になってきました。心配です。

  
 

題名:Re: 12万アクセスお礼  名前:管理人 2012/01/01(日) 04:07 No.757  HomePage 操作

C57135さま

おめでとう御座います!

本年こそは、撮影に模型に精を出したいです。

新幹線網が充実すること自体は、そう悪いことでは無いのですが・・・ このお金が無いときに、稚拙な計画になってしまわないか心配ですね。在来線との共存が重要な海峡線で中途半端な方法で進めると将来に禍根を残すことにならないかと思います。

PS
新年のご挨拶は、ブログの方にUPしましたので、そちらもご覧下さい。
http://hirose13mm.cocolog-nifty.com/bbs001/



題名:40年前のあの日あのころ(4)  名前:巻本彰一 2011/08/02(火) 23:15 No.721  操作


721の画像を原寸大表示します  こんばんは。題名の最後が「あのころ」となっているのは,(3)と同じ日に撮ったので,正確に40年前ではないためです。さて,写真は北海道名物の道内木材輸送に活躍したチサ100です。3軸貨車というのは内地では珍しいので,つい写真に撮ったと思われます。
 3軸貨車は,古くはトキ900というのがありましたが(小生の時代には改造されて既になくなっていましたが),その中間台車はどんな構造になっているのかは興味がありました。模型では,例えばBemoのHOeに3軸貨車がありますが,その中間台車は,車輪が挟み込まれたコ形の枠が枕木方向にスライドする構造になっています。それで実物を見かけたのをこれ幸いにと下からのぞき込んだのですが,軸バネがリンクで車体につながっていて,スライドなんかしません。どうも模型の構造に日々慣れ親しんでいると,実物も同じ構造になっているものと錯覚をするようです。実物と模型の曲線半径の差を実感した1コマでした。
 しかし,低速車を示す黄帯は細いですね。交直流電車の60c/sを示す帯と同じくらいの幅ではないですか。また「道外禁止」の文字も小さくて,こんなの市販のデカールにありますでしょうか。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのころ(4)  名前:管理人 2011/08/03(水) 01:21 No.722  HomePage 操作

巻本さま
やっぱりこれですよね。
これはどちらでの撮影でしょうか?

当方もワールド工芸のキットを確保しています。
中間軸は、遊びを持たせるようになっています。
インレタは付いていますが、道外禁止の文字は含まれていません。しっかり全検満了日は42・5とかになっています。
43・10以前にするか。。。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのころ(4)  名前:巻本彰一 2011/12/25(日) 23:14 No.753  操作

753の画像を原寸大表示します  管理人さんへのクリスマスプレゼント,という訳ではないのですが,トラ90000のカラー写真がありましたので載せてみます。一部分からの拡大ですので解像度が悪くてすみません。撮影日は1972-3-30です。
 このトラ90000は,一段リンクのトラ23000からの改造なので,道外禁止の黄帯が入っています(北海道はワフ21000でもなぜか低い位置に帯を入れますね)。ネガからの取り込みなので色が退色していて,反転すると金網の色の旧コンテナ色が少し黄緑かかっていますね(煙で燻されてもいますしね)。
 金網の色の変遷は,東京のI模型店で訊ねた時は,黒→旧コンテナ色→黄緑6号の順に変遷したという回答でした。コンテナの色が黄緑6号になったのは80年代以降だった記憶がありますが,ネットで調べても正確に金網の色と時代の変遷が書かれている文献にはまだお目にかかっていません。みなさんのカラーフィルムのデジタル処理が進行していますので,今後不明なことが色々と分かってくるのでしょうが,それまで模型を作らないわけにはいかず,悩みますね。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのころ(4)  名前:管理人 2011/12/26(月) 00:41 No.754  HomePage 操作

巻本さん
こりゃ、大変なクリスマスプレゼントです、ありがとうございます。ヨンサントオで北海道封じ込めになった1段リンクのトラ190000型ですね。カラー写真は初めて見たように思います。カゴの色は、悩ましいですね〜 私が初めて渡道した1975年には配置表では消滅していますので、絶対見ていないです・・・

プラキットも確保しているので、次作は旧コンテナ色で1段リンクというのも、良いですね。



題名:40年前のあの日あのとき  名前:巻本彰一 2011/07/24(日) 00:46 No.711  操作


711の画像を原寸大表示します こんばんは。
昔のネガ・ポジのデジタル化を急いでいたところ,ちょうど40年前に当たるものを行ったので,ついでに載せてみます(石狩沼田駅でのD611です)。D61は6輛とも見たのですが,小生は1号機とは相性が悪く一期一会になりました(逆に2,4,5号機とは相性か良かったのですが)。D61は2軸従台車が特徴ですが,それよりもD51標準型の顔なのにナンバープレートが極端に短いので,D51とは正面から見ても雰囲気が異なる機関車でした。このときは,やっと出会えたことに感激したのか機関車の細部を全く撮影せず,発車を見送ってから気がつき後悔をしました。せっかくの1号機ですから,梅小路に保存されれば良かったのですが。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき  名前:管理人 2011/07/24(日) 02:32 No.712  HomePage 操作

巻本彰一さま
さすが、しっかり記録されて居られますね!
あの頃に、細部写真までしっかり撮って居られる方は稀少です。
管理人も、せめて見た僅かな現役蒸機だけでも、細部写真を撮っていたら良かったのに・・・ と夢にまで見てしまうぐらい後悔しています。ところで、この写真、バックに写っている建築物にも興味がそそられますね。梅小路にはD51が2輌も保存されたのに、入りませんでしたね。200番の代わりにD61という選択枝も有ったでしょうに。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき  名前:巻本彰一 2011/12/19(月) 23:40 No.751  操作

751の画像を原寸大表示します  こんばんは。少し間が開いてしまいました。
 この写真,載せようと思っていて,気が付けば40年前の日付が過ぎてしまったのですが(40年と1ヶ月前ということでお許しを),1971-11-20,この日の早朝はまさに目の覚める光景が目の前にありました(確か,朝6時半頃の撮影です)。山陰線の土手から見下ろすと,写真のD612を含めC622等の懐かしいナンバーが梅小路機関区に勢揃いしていました。鉄仲間から,広報のために機関車が梅小路に集結していることは聞いていたのですが,やはり見るまでは半信半疑ですからね。それにしても写真撮影のために北海道や九州まで機関車を集結させるとは,さすが国鉄!ロッドの位置まで合わせてあります(愛嬌で,後ろにEH10が写っていますね)。ところで,右端のデフだけ写っているのがC622ですが,北海道でもこの2輛が並ぶことは至難の業ですよ。 
 せっかくはるばる北海道からもって来たのですから,このままD612を梅小路に保存すれば良かったのですが。管理人さんはこの光景見られましたか。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき  名前:管理人 2011/12/20(火) 00:24 No.752  HomePage 操作

巻本様、夢のような光景ですね
管理人は、小学生でしかも、大阪南端の富田林に住んでいた上、何の情報も持っていませんでした。宴の事を知ったのは、ずいぶん後のことです。D61も来ていたのですね。他にも、機関車館に保存されなかった形式も有ったはずですね。C12? C50? とか。今なら、細部写真を、時間の許す限り撮りまくり・・・ 

そう言えば、管理人が初めて撮影した和歌山線は、1971年の11月でした。「40年前」が、当方のアルバムに登場するようになってきたのですね。。。


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