「蒸機時代の北海道」画像掲示板

このエントリーをはてなブックマークに追加

[表示切替]  [HOMEに戻る]  [留意事項]  [記事検索]  [携帯URL]  [管理用]
北海道の蒸機列車、旧型客車、運炭鉄道の情報交換を行う掲示板です。
実物情報、模型製作情報の話題を中心に行いますが、
堅いことは言わずその他の話題も歓迎します。

ブログ「http://hirose13mm.cocolog-nifty.com/bbs001/」も運営しています。
BBコード
テキストエリアで適用範囲をドラッグし以下のボタンを押します。
装飾と整形

フォント
この文字はフォントのサンプルです
リスト
標準  番号付  題名付

スマイリー
表とグラフ
データ入力
ファイルから入力(txt/csv)
要素の方向:
横軸の数値:
横軸の値 例:2009,2010,2011,2012
直接入力
凡例
カンマ区切り数値 例:1,2,3
横軸の値 例:2009,2010,2011,2012
オプション
出力内容
グラフタイプ
区切り文字
縦軸の単位例:円
横軸の単位例:年度
マーカーサイズ
表示サイズ
確認と適用
Status表示エリア
プレビュー
絵文字
連続入力
外部画像
  • 画像URLを入力し確認ボタンをクリックします。
  • URL末尾は jpg/gif/png のいずれかです。
確認ボタンを押すとここに表示されます。
Googleマップの埋め込み

  • 説明
  • 説明
確認ボタンを押すとここに表示されます。
HELP

名前
メール
題名
本文※必須
URL
添付FILE 上限500KB
パスワード 英数字で8文字以内(記事修正用)
文字色
画像認証
認証用数字  *   (画像の数字を入力して下さい)

題名:40年前のあの日あのとき(7)  名前:巻本彰一 2012/03/25(日) 22:41 No.759  操作


759の画像を原寸大表示します  早いものですね。もう3月も終わりに近づいてしまいました。撮影記録に寄ると,1972年春の北海道行きは,3月17日夜に出発し小海線→飯山線→只見線→会津線→陸羽東線→五能線→函館本線と寄り道し,家を出発してから一週間後の3月24日にたどり着いたようです。
 さて,ちょうど40年前は函館本線大沼で駒ヶ岳バックのお立ち台写真を撮っていたわけですが,その時に振り向いて何気なく撮った写真が掲載のお宝写真になりました。なぜ「お宝」なのかわかるでしょうか。
 列車は3月25日の22D上り北斗1号ですが,附属編成後のキハ82→キロ80→キシ80を見て下さい。通常,キロ80の水タンクはキハ82側に向くように連結し,キシ80の食堂側がキロ80に向くように連結しないとキハ80系は制御回路がつながらないのですが,キロとキシが逆向きにつながっています。
 前日の事故の影響を受けたために,編成を整える時間がなかったのだと思われますが,どのようにして制御回路をつないだのかは興味がありますね。延長用のジャンパ線を4本使って,連結器の下でクロスさせたのでしょうか。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(7)  名前:管理人 2012/03/26(月) 00:32 No.760  HomePage 操作

逆ですね。。。
後に、短編成になったりモノクラスになったりとかで、両栓改造したのは、キハ181だけでしたっけ? いずれにせよ、この時期では、そんな改造はまだの様な気もしますね。
これが有りなら、模型でもあまり気にしなくても良いか?
でも、見慣れていないと気持ち悪いかも知れませんね。やっぱり、模型では「きれいな編成」の方が良いかも知れません。

  
 

題名:短縮デフ化されたD52204  名前:巻本彰一 2012/03/26(月) 23:32 No.761  操作

761の画像を原寸大表示します  1972年春の北海道の天気は異様な程暖かく,大沼・小沼の氷は融け,オホーツク海の流氷は沖合まで流出し,晴天が続くので各地で道床が露出する暖冬の年でした。
 一方,この時の国鉄の話題は,D52の間合い運用を利用しD51と共通運用を組んだことではないでしょうか。それまでD52は深夜・早朝の運用が多く,日中は昼寝をしていたのですが,一部D51に代わって客レを牽くことになり,御殿場線のようなD52牽引客レが撮影できるようになりました。
 さて前置きが長くなりましたが,写真はD52204の貨物列車です。D52204はそれまでも心持ちデフが短かったのですが,さらに短縮デフ改造を1971〜1972年の間に受け,このようなおぞましい姿になりました。この姿で走ったのは1年間あるかどうかなのですが,「D52は短縮デフ改造をされていない」と雑誌やブログに書く無責任な人が結構いるのは,困ったことです。

  
 

題名:Re: 短縮デフ化されたD52204  名前:管理人 2012/03/29(木) 00:52 No.762  操作

D51の短縮デフは、いつか作ろうと思っていましたが、D52の短縮は・・・ これはいただけませんね〜
短縮デフ好きの管理人でも、これはいけません。似合う機種とダメな機種が有るようですね。
しかし、貴重な記録ですね。短期間で発表を避けるためか、ほとんど見かけないですね、タクトワンのシリーズぐらいです。いい加減なサイトでは、錯誤、手抜きの記述が散見されるのも残念な事ですね。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(7)  名前:巻本彰一 2012/03/31(土) 00:37 No.763  操作

763の画像を原寸大表示します  ちょうど40年前は午前中を石北本線常紋信号所ですごしていました。 この信号所の乗降者数は,多分信号所としてはNo.1ではないでしょうか。最後の1975年は,一列車から100人以上が降りて来ていましたが,この当時でも各所で撮影している人を集めると100名くらいにはなったような気がします。食べるところ(民家も)が全くないので,まだカップ麺が未発売ですから,信号所の横でラーメン屋台を出したらかなりの売り上げになったでしょうに。
 前年までは夜行大雪6号が本務機D51,補機96でしたので,夏場は生田原の発車を撮影したり,冬場は下り最後部の客車のデッキはテレコを持った人で埋まるように石北本線を多くのファンが訪れていました。この年になると大雪6号の本務機がDDに代わったのですが,それでもまだ貨物は本務機D51+補機96のブラスト音が聞けることもあって信号所には多くのファンが詰めかけていました。D51と96は動輪径が異なるため2輛のブラスト音が調和しないので,例えば名寄本線の96重連のような同形式重連では聞けない興味深い音を聞くことができました。サウンド付きの模型を持たれている方は,是非試してみて下さい。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(7)  名前:巻本彰一 2012/04/02(月) 00:48 No.764  操作

764の画像を原寸大表示します  ちょうど40年前のこの日(4/1)は,根室本線茶内で浜中町営簡易軌道を訪れていました。昭和45年度で補助金が打ち切られたため,1971年に各地の簡易軌道は次々と廃止されて,撮影時点では浜中町営が唯一の簡易軌道になっていました。国鉄茶内駅北側に,井笠鉄道のホジを片ドアにしたような自走客車や除雪機関車,ミルクタンカー等の貨車群が展開していました。写真はC58牽引の464レとミルク貨車です。写真でおわかりのように,ミルク貨車はナローとしては車幅が異様に広いので(トム5000とほぼ同じ),ミルク缶を乗せるときに気をつけないとひっくり返りそうです。撮影日の前日(3/31)で客扱いは終わったのですが,貨物扱いはあと余命1ヶ月という状態でした。
 路線は釧網本線南部のような根釧台地を走って行くので,良く言えば大陸的な開放感,悪く言えば同じような風景が延々と続きます。標茶,幌延も似たような風景で,内地のナローとは雰囲気が随分と異なります。この日は「簡易軌道のレイアウトを作りたい」と強く心に誓ったのですが,畳1枚の面積があってもスケール通りなら直線1本で終わりそうです。ちなみに小生が簡易軌道に興味を持ったのは,TMS253(1969年7月号)の幌延町営簡易軌道の記事がきっかけで,いくつかの簡易軌道の最後を目の当たりにできたのも,この記事のおかげです。
 道内の簡易軌道全てに言えることですが,路線長や列車本数に比較して機関車や自走客車などの動力車が異様に多いのです(そういう意味では我々の模型的)。補助金を予算消化的に使って車輌を増やしたのでしょうね。もっと有効にお金が使えていれば,例えば,補助金が年額半分で2倍の年月に出されていればもっと廃止が先延ばしにできたので,ひょっとすれば簡易軌道の観光保存鉄道のような違った展開があったのかもしれません。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(7)  名前:管理人 2012/04/03(火) 01:15 No.765  HomePage 操作

うーん
常紋信号所も浜中も、レイアウトを目指すものにとっては、よだれが出そうなアングルですね。
ストラクチャーのアップは、発表されるものは案外少なく、貴重です。ミルクカーって、こんなに広いのですね、これまた再認識。スピードを出すとこけそうです。この狭軌感がたまりません。管理人は、やっぱり「狭い線路」が好きなようです。

簡易軌道のレイアウトも捨てがたいですね〜
本線レイアウトが先ですが、諸般の事情で頓挫しています。リハビリをがんばらなくては・・・

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(7)  名前:巻本彰一 2012/04/04(水) 23:13 No.766  操作

766の画像を原寸大表示します  ちょうど40年前のこの日は,早朝に美唄鉄道を訪れた後,留萌本線に移動しています。深川での僅かな待ち時間を利用して,構内に待機している除雪車輌を撮りました。このキ604は,写真通りあまり綺麗な車体ではないのですが,テンダー内には石炭が満載されていて,いつでも出動できる状態になっていました。後ろにマックレーも待機していて,時間の許す限り写真を撮り続けた記憶があります(その割には模型に役立つ細部写真が少ないのですが)。
 ところで,その後,1/87ではモデルワムからキ600とキ620のキットが発売されたのですが,実物のキ604は前位の扉の窓が十字桟ではない,扉の位置だけ雨樋がある,機炭間が非常に短い(模型では屋根端の位置にテンダーの手すりがくる)等,キットの内容とは差異があります。まあ機炭間を実物通りにするとショートする可能性があるので,これは諦めるにしても,その他は実物通りにしてやりたいですね。
 さて40年前の(1972年春の)北海道訪問もこれで終わりにして,次に訪れるのは1973年春ですから,それまでしばし休載にいたします。



題名:40年前のあの日あのとき(6)  名前:巻本彰一 2012/01/01(日) 02:55 No.756  操作


 新しき年号(平成24年)に因んで,元夕張鉄道24号機の写真を載せてみます。撮影記録によると,ちょうど40年前は九州撮影旅行から12/31に帰宅し,新年を自宅で三日間過ごした後,1/3の夜行「ちくま」で信州→南東北に旅立っています。若いから出来るとはいえ,ある意味拷問に近い生活をしていたのかもしれません(両者とも全部周遊券を利用した車中泊です)。
 私たちの年代は,蒸機が全廃になるまで約10年の撮影期間でしたが,ダイヤ改正ごとに約300輛ずつなくなる蒸機を,全国に夜討ち朝駆けで追いかけていると,とにかくあせって,何かにずっと追われ続けているような青春時代を過ごしたような気がします。撮影帰りに良い撮影地を見つけても,次回そこで撮影すること叶わず無煙化になること数知れず・・・。
 年頭の心構えとして,余裕のある人生というものを送ってみたい,と思う今日この頃です(三つ子の魂百まで,ですが)。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(6)  名前:廣瀬 2012/01/01(日) 19:55 No.758  HomePage 操作

巻本さん おめでとうございます

24号機が、サクッと出てくるあたりは、さすがです。
しかしあの頃の「拷問生活」は楽しかったですね。当方の現役蒸機撮影は、日帰り・2〜3日の小旅行を除くと、北海道の2回だけでしたので、一瞬の夢でした。復活蒸機も泊りがけで行ったのは、C62ニセコの他は、大井川ぐらいです。

「拷問生活」は、今でもジャワで出来ますよ〜
列車じゃなくて、車ですが!



題名:12万アクセスお礼  名前:管理人 2011/12/14(水) 23:55 No.750  HomePage 操作


750の画像を原寸大表示します 今夜、弊サイトのトップページのアクセスカウンターが12万アクセスを超えました。皆様のご支援、ご鞭撻に拠るところ極めて大きく、感謝しております。

しかも、お祝いの書き込みをC57135さんにいただいた、記念すべき12月14日に達成できたのは、偶然とは思えません。これからも、ご愛用、ご指導をよろしくお願いします

  
 

題名:Re: 12万アクセスお礼  名前:C57135 2012/01/01(日) 00:50 No.755  HomePage 操作

謹賀新年。

「おめでとう」とは言い難いですが、ともかくにも年が明けました。
本年はどんな年になるのか。少しでも前を向く年にしたいものです。
鉄道界は「日本海」「きたぐに」までもが廃止、一方で何と北海道新幹線を3兆円の起債で工事着手…と、無茶苦茶な事になってきました。心配です。

  
 

題名:Re: 12万アクセスお礼  名前:管理人 2012/01/01(日) 04:07 No.757  HomePage 操作

C57135さま

おめでとう御座います!

本年こそは、撮影に模型に精を出したいです。

新幹線網が充実すること自体は、そう悪いことでは無いのですが・・・ このお金が無いときに、稚拙な計画になってしまわないか心配ですね。在来線との共存が重要な海峡線で中途半端な方法で進めると将来に禍根を残すことにならないかと思います。

PS
新年のご挨拶は、ブログの方にUPしましたので、そちらもご覧下さい。
http://hirose13mm.cocolog-nifty.com/bbs001/



題名:40年前のあの日あのころ(4)  名前:巻本彰一 2011/08/02(火) 23:15 No.721  操作


721の画像を原寸大表示します  こんばんは。題名の最後が「あのころ」となっているのは,(3)と同じ日に撮ったので,正確に40年前ではないためです。さて,写真は北海道名物の道内木材輸送に活躍したチサ100です。3軸貨車というのは内地では珍しいので,つい写真に撮ったと思われます。
 3軸貨車は,古くはトキ900というのがありましたが(小生の時代には改造されて既になくなっていましたが),その中間台車はどんな構造になっているのかは興味がありました。模型では,例えばBemoのHOeに3軸貨車がありますが,その中間台車は,車輪が挟み込まれたコ形の枠が枕木方向にスライドする構造になっています。それで実物を見かけたのをこれ幸いにと下からのぞき込んだのですが,軸バネがリンクで車体につながっていて,スライドなんかしません。どうも模型の構造に日々慣れ親しんでいると,実物も同じ構造になっているものと錯覚をするようです。実物と模型の曲線半径の差を実感した1コマでした。
 しかし,低速車を示す黄帯は細いですね。交直流電車の60c/sを示す帯と同じくらいの幅ではないですか。また「道外禁止」の文字も小さくて,こんなの市販のデカールにありますでしょうか。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのころ(4)  名前:管理人 2011/08/03(水) 01:21 No.722  HomePage 操作

巻本さま
やっぱりこれですよね。
これはどちらでの撮影でしょうか?

当方もワールド工芸のキットを確保しています。
中間軸は、遊びを持たせるようになっています。
インレタは付いていますが、道外禁止の文字は含まれていません。しっかり全検満了日は42・5とかになっています。
43・10以前にするか。。。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのころ(4)  名前:巻本彰一 2011/12/25(日) 23:14 No.753  操作

753の画像を原寸大表示します  管理人さんへのクリスマスプレゼント,という訳ではないのですが,トラ90000のカラー写真がありましたので載せてみます。一部分からの拡大ですので解像度が悪くてすみません。撮影日は1972-3-30です。
 このトラ90000は,一段リンクのトラ23000からの改造なので,道外禁止の黄帯が入っています(北海道はワフ21000でもなぜか低い位置に帯を入れますね)。ネガからの取り込みなので色が退色していて,反転すると金網の色の旧コンテナ色が少し黄緑かかっていますね(煙で燻されてもいますしね)。
 金網の色の変遷は,東京のI模型店で訊ねた時は,黒→旧コンテナ色→黄緑6号の順に変遷したという回答でした。コンテナの色が黄緑6号になったのは80年代以降だった記憶がありますが,ネットで調べても正確に金網の色と時代の変遷が書かれている文献にはまだお目にかかっていません。みなさんのカラーフィルムのデジタル処理が進行していますので,今後不明なことが色々と分かってくるのでしょうが,それまで模型を作らないわけにはいかず,悩みますね。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのころ(4)  名前:管理人 2011/12/26(月) 00:41 No.754  HomePage 操作

巻本さん
こりゃ、大変なクリスマスプレゼントです、ありがとうございます。ヨンサントオで北海道封じ込めになった1段リンクのトラ190000型ですね。カラー写真は初めて見たように思います。カゴの色は、悩ましいですね〜 私が初めて渡道した1975年には配置表では消滅していますので、絶対見ていないです・・・

プラキットも確保しているので、次作は旧コンテナ色で1段リンクというのも、良いですね。



題名:40年前のあの日あのとき  名前:巻本彰一 2011/07/24(日) 00:46 No.711  操作


711の画像を原寸大表示します こんばんは。
昔のネガ・ポジのデジタル化を急いでいたところ,ちょうど40年前に当たるものを行ったので,ついでに載せてみます(石狩沼田駅でのD611です)。D61は6輛とも見たのですが,小生は1号機とは相性が悪く一期一会になりました(逆に2,4,5号機とは相性か良かったのですが)。D61は2軸従台車が特徴ですが,それよりもD51標準型の顔なのにナンバープレートが極端に短いので,D51とは正面から見ても雰囲気が異なる機関車でした。このときは,やっと出会えたことに感激したのか機関車の細部を全く撮影せず,発車を見送ってから気がつき後悔をしました。せっかくの1号機ですから,梅小路に保存されれば良かったのですが。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき  名前:管理人 2011/07/24(日) 02:32 No.712  HomePage 操作

巻本彰一さま
さすが、しっかり記録されて居られますね!
あの頃に、細部写真までしっかり撮って居られる方は稀少です。
管理人も、せめて見た僅かな現役蒸機だけでも、細部写真を撮っていたら良かったのに・・・ と夢にまで見てしまうぐらい後悔しています。ところで、この写真、バックに写っている建築物にも興味がそそられますね。梅小路にはD51が2輌も保存されたのに、入りませんでしたね。200番の代わりにD61という選択枝も有ったでしょうに。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき  名前:巻本彰一 2011/12/19(月) 23:40 No.751  操作

751の画像を原寸大表示します  こんばんは。少し間が開いてしまいました。
 この写真,載せようと思っていて,気が付けば40年前の日付が過ぎてしまったのですが(40年と1ヶ月前ということでお許しを),1971-11-20,この日の早朝はまさに目の覚める光景が目の前にありました(確か,朝6時半頃の撮影です)。山陰線の土手から見下ろすと,写真のD612を含めC622等の懐かしいナンバーが梅小路機関区に勢揃いしていました。鉄仲間から,広報のために機関車が梅小路に集結していることは聞いていたのですが,やはり見るまでは半信半疑ですからね。それにしても写真撮影のために北海道や九州まで機関車を集結させるとは,さすが国鉄!ロッドの位置まで合わせてあります(愛嬌で,後ろにEH10が写っていますね)。ところで,右端のデフだけ写っているのがC622ですが,北海道でもこの2輛が並ぶことは至難の業ですよ。 
 せっかくはるばる北海道からもって来たのですから,このままD612を梅小路に保存すれば良かったのですが。管理人さんはこの光景見られましたか。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき  名前:管理人 2011/12/20(火) 00:24 No.752  HomePage 操作

巻本様、夢のような光景ですね
管理人は、小学生でしかも、大阪南端の富田林に住んでいた上、何の情報も持っていませんでした。宴の事を知ったのは、ずいぶん後のことです。D61も来ていたのですね。他にも、機関車館に保存されなかった形式も有ったはずですね。C12? C50? とか。今なら、細部写真を、時間の許す限り撮りまくり・・・ 

そう言えば、管理人が初めて撮影した和歌山線は、1971年の11月でした。「40年前」が、当方のアルバムに登場するようになってきたのですね。。。



題名:12/14  名前:c57135 2011/12/14(水) 00:42 No.748  HomePage 操作


748の画像を原寸大表示します こんばんは。
今年も12月14日になりました。
早いものですね…。
最近はあっという間に1日が過ぎ、1年が過ぎ、36年が過ぎ…。
恐ろしい限りです。

  
 

題名:Re: 12/14  名前:管理人 2011/12/14(水) 00:56 No.749  操作

もう36年ですか〜

135号機が、再び線路上(一瞬とは言え)に乗るとは思いませんでしたし、今では、鉄博のスターですものね!

ビネガーシンドロームに怯えながら、国鉄時代のネガを日夜スキャンしている今日この頃です。



題名:40年前のあの日あのとき(2)  名前:巻本彰一 2011/07/27(水) 23:40 No.713  操作


713の画像を原寸大表示します  40年前のこの日は,「びばぁ〜い,びばぁ〜い,ここはびばい・・・」と面白いイントネーションで放送が流れる国鉄駅に隣接した美唄鉄道にいました。写真は朝の通勤列車を牽いて来たあと機回しをして,機関車庫の中を素通りして給炭台に来た2号機です。それにしても,折り返しで機関車庫の中を素通りする線路配置というのは,他にはなかなかないですね。真谷地の4110は9600の転入でこの2ヶ月前に据付ボイラーと化したので,撮影時点では美唄鉄道が唯一の4110を使う鉄道となっていました。重連でセキを50輛以上ガンガンと引き上げて行った姿は,模型で再現したいものです。
 一緒に9600が写っていますが,小生は9600には複雑な思いがあります。本州では9600は珍しく,形態も好きな機関車だったのですが,北海道では炭礦で余生を送っていた古典ロコを駆逐した憎い機関車に映るのです。9600のために,大夕張の9200は追い出され,真谷地の4110,日曹炭礦の8100は火を落とした云々。まあ,真谷地の8100は美唄の4110の転入で廃車になったので,9600だけが悪者ではないのですが,春に目の前で元気に煙を上げていた4110が,夏には9600の転入で無惨に据付ボイラーになっているのを見ると,どうも感傷的になってしまいますね。「C55好き,C57嫌い」等,似たような話は沢山あるのですが。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:管理人 2011/07/28(木) 00:33 No.714  HomePage 操作

> 折り返しで機関車庫の中を素通りする
なんて知りませんでした!
結構面白い(苦肉の策)配置だったようですね。
北海道も広いようで、機関区用地などは、案外手狭だったようですね。
ところで、庫の裏の写真はお持ちでは無いですか?
探して居られる、研究家の方が居られます。

「9600憎い」も、私から見たら贅沢な悩みですが、4110や8100を駆逐した、と聞くと納得出来るところです。結局C55の方が好きですし、模型は8100の方が先に完成しちゃいました。やっぱり、良いものは良い、のでしょうね。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:巻本彰一 2011/07/29(金) 22:05 No.715  操作

 残念ながら,機関車庫の裏の写真は撮っていないのです。裏側は本当にほったて小屋のような感じに見え,前側と裏側のギャップに多分見た人は驚くと思います。それゆえ,いつも写真を撮ろうと思っていながら,機関車を追いかけているうちに時間がなくなり,列車に乗ってから「また今度やなあ」を繰り返しているうちに,「見逃し三振」となりました(非常に後悔しています)。
 線路配置の補足ですが,美唄鉄道が使っていたホームから機関車庫の間には7〜8本くらいのヤードがあるので土地が狭いという訳ではありません。ただ,セキを留置するヤードが非常に長いので(セキ50輌は軽く1線における),短絡して時間短縮をすることと,また北側にある函館本線と共用の踏切を機回しで支障することを避けたのだと思います。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:石川和郎 2011/09/20(火) 00:50 No.732  操作

732の画像を原寸大表示します はじめまして。ときどきROMさせていただいてました。美唄の庫の裏とはこんな画像でしょうか。先日スキャンしたものです。参考になると良いのですが。
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:管理人 2011/09/20(火) 01:08 No.733  HomePage 操作

石川和郎様
こちらこそ、初めまして。
これは、貴重なカットですね。当時は、なんでも無い風景だったのでしょうけれど、しらみつぶしに既刊書を探しても、どれも同じようなカットばかりです。機芸出版社のシーナリーガイド2に掲載されているのが、一番詳しいですが、機関区の線路配置などは説明されていません。

厚かましくも質問させて下さい。
石川様の写真は、巻本様のNo.713の反対側の入口なのでしょうか?2線のぶち抜きの庫かと思っていましたが、片側は行き止まりなのですね?行き止まりの方は、ワークショップでも会ったのでしょうか? 実はワークショップの模型化でも、悩んでいるのです。管理人は、全く行ったことが無くトンチンカンな質問かと思いますが、分かる範囲でご教示頂ければ幸いです。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:石川和郎 2011/09/20(火) 15:09 No.734  操作

734の画像を原寸大表示します はいそうです。713の裏側です。中はワークショップではなくて、留置線のみです。廃車となった4122が置いてありました。その他には点火用の古枕木が積んでありました。屋根の骨組みが見えます。建物自体は木造モルタルの簡素なものです。ワークショップは隣の別棟だったはずです。
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:石川和郎 2011/09/20(火) 15:11 No.735  操作

735の画像を原寸大表示します 前項の続きです。同じ位置から振り返って撮った写真がこれになります。作業スペースではないことがわかります。
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:管理人 2011/09/20(火) 20:30 No.736  HomePage 操作

ワークショップは、違う棟でしたか・・・
巻本様のNo.713で左端に写っている庫の中に有るのでしょうか?
それとも、石川様のNo.732で4120号機の陰に隠れている庫なのでしょうか? 

機芸出版の「シーナリィ・&」ストラクチャーガイド2」をもしお持ちなら・・・p72の中段写真の客車の向こうに見える庫の内部がp73の中段2葉の写真に有る庫の内部という感じなのでしょうか? きっと、この庫が、石川様のNo.732で4120号機の陰の庫なのですね。やっと分かってきました。
ガイド2の写真も、いざ模型を作ろうと思うと、かゆいところに手が届きません。。。もし、少しでも内部を撮影されて居られたら、見たいと思っています。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:石川和郎 2011/09/21(水) 00:22 No.737  操作

737の画像を原寸大表示します ワークショップは713の左端に写っている庫の奥になります。その部分はこの機関車の後の部分です。大きな建屋になっているのが判りますね。表の庫とつながっているのです。手元に機芸出版の本はありませんが、プレスアイゼンバーンの美唄鉄道の中の写真と比べると、大体の状況はわかると思います。残念ながら私はその中に入ったことはありません。
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:管理人 2011/09/21(水) 02:24 No.738  HomePage 操作

石川様 有り難うございます。
No.737の写真でさらに分かってきました。
No.737で背後の高い建物は、窓の形状から「p73の中段2葉の写真に有る庫の内部」なのですね。p72では「給水塔のすぐ横に有る1線の庫の続き」のようです。
内部に入られたことが無いとのこと、残念です。大型のジャッキなどの一部がp73に写っていて、どんな工作機が並んでいたのか興味深いです。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:巻本彰一 2011/09/23(金) 22:51 No.739  操作

739の画像を原寸大表示します  こんばんは。しばらく見ていなかったので,話がものすごく進んでいて,もう補足が追いつかないのですが,No.734の機関区内の冬姿を載せておきます(実は「50年前の・・・」で使おうと思っていた写真なのですが)。車庫の内張,骨組み,積み上げられた古枕木の状態がよく分かると思います(綺麗に写っている理由は夜間のバルブだからです)。
 この日は,上り利尻か大雪6号で,早朝に美唄に到着しました。まだ闇夜の中,機関区に行くと,この4122の前に2号機がいて,1番列車の出発準備をしていました。今だから言えるのですが,炭礦鉄道の石炭はただ同然ですから,使い方も豪快なのですね。朝に蒸気圧を定圧にするためには,こまめに起きて調整してくべる必要があります。しかし,乗務員は睡眠時間を沢山とりたいので,火室に石炭を一度に思いっきり投入して,安全弁をブーブー吹かしていました。そして闇夜の中,2号機が出庫して行ったので,この写真が撮れたのです。
 No.713の機関庫はちょうど4110にして2輛分の長さがあり,行き止まり線の奥には4122がいますが,その前も車庫として使っていました。No.713左端に見える一線の車庫にはたいてい9600が寝ていて,その後ろ側にワークショップが続き棟であるという配置は,石川様がコメントされていた通りです。
 冬ですので,夜は当然3カ所の扉は閉めてあるのですが,それでも機関区の中には雪がかなり吹き込んでいるのが分かると思います。冬の美唄の朝は寒く,安全弁をブーブー吹かしていた2号機が出庫して行った後はさらに冷え,「あれは動くだるまストーブだったんだ」と友人と冗談を言い合ったことが思い起こされます。ところで,美唄のストラクチャーに浮気をしてはだめですよ。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:管理人 2011/09/24(土) 03:11 No.740  HomePage 操作

巻本様
早速ありがとうございます。
今度は、冬姿の写真まで拝見できて感激です。

機関庫の屋根は、ぜひ取り外し式にしたいとおもっていましたので、梁の状況などもよく分かって参考になります。
ところで、1線の方の機関庫の内部写真は無いのでしょうか?


お見通しですね・・・ もう浮気寸前です。
日曹の機関庫内部の状況が分からないので、美唄を参考にしようと企んでいるところです。まだワークショップの状況が分からないので、アメリカの鉱山や製材所の資料、インドネシアの製糖工場などをちゃんぽんにして、まとめようかとも思っています。入手しているパーツからいくと、アメリカ型になりそうです。なんとか、日本型にしたいところですが。。。

「動くだるまストーブ」は案外、夜の間に配管が凍ったりしないためにも必要なのかもしれませんね(乗務員弁護?!)
石炭は、ただ同然かと思っていたら、案外きっちりと別勘定にされている運炭鉄道も有ったとか聞きます。ポケットの下にテンダーが有る写真は御法度だったのかもしれませんが見たことは無いですね。

  
 

題名:もし配管が凍ったら  名前:巻本彰一 2011/10/12(水) 10:42 No.743  操作

743の画像を原寸大表示します  厳冬期の北海道の場合,配管等が凍った時はやかんのお湯をかけるという程度ではより事態を悪化させる(冷えたお湯が凍結する)ので,このようにして融かします。写真は-20℃を下回る温度で機関庫を出庫したまではよかったのですが,給水をしている間に凍ってしまった9600のシリンダー下部を加熱しているシーンです。シリンダーの場合は加熱する面積が大きいので,このように護摩壇然りと古枕木を積み上げて,その上から油をかけ,ぼろ布で点火します。この9600は不幸にして油ポンプ箱等,車体各部で凍結してしまったので,そこら中に火をかけられ,遠くから見るとさながら「蒸気機関車が火事だ」という姿になっていました。このような厳冬期の北海道の機関区では日常茶飯事のように見られたシーンも,そのうち忘れ去られてしまうのでしょうね。
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:管理人 2011/10/13(木) 00:15 No.744  HomePage 操作

巻本さま
なんと「火だるまの96」ですね。。。
写真を見るのは初めてです。
何かの本で「古枕木を燃やして暖めた」などと言うのを読んだ記憶は有るのですが、そんな生やさしいものでは無いですね。古枕木が庫の中に山積みされていたのも、こんな用途がしょっちゅあるからかもしれませんね。

車のフロントグラスでも、下手に少量のお湯を掛けたら、分厚い氷の層が出来て難儀している、と言う例を良く見かけました。その昔、スキーに行っていた頃は、絶対水分を掛けませんでした。へらで、こそぎ取るのが一番です。後は室内から暖房して窓を暖まるのを待ちます。信州程度でしたから、暖地仕様の車でもなんとかなったものです。北海道では、歯が立たないでしょうね。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:奥山道紀 2011/10/15(土) 20:26 No.745  操作

デフ付きの96に見えますが、大夕張でしょうか?
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:巻本彰一 2011/10/16(日) 12:15 No.746  操作

 No.743の写真の機関車は49699「遠」で紋別の停泊所に居るときのできごとです。
 最初に機関庫から古枕木が多数運ばれてきた時は,どこかで貨車が脱線して復旧の応援に行くのかな,くらいに思っていました。シリンダーの下に護摩壇が作られ,保線の人たちがポイントに火をつけて凍結防止をするときに使う油等を入れて持ち歩く一斗缶が登場して,初めて状況が理解できました。
 豚の丸焼き,ならぬシリンダーの丸焼きですが,ゴウゴウ,バチバチと激しく古枕木が燃えるに伴って,煙室戸の隙間やシリンダーや配管の各部から蒸気が噴き出して来て,凍結が解消されたことが分かりました。面白いことには,線路を支えている枕木の上に直接古枕木を置きますが,うまく古枕木だけ燃え,表面が少し焦げるだけで埋まっている方の枕木は燃えません。
 しかし,実物の蒸気機関車の塗装は強いですね。半田鏝の熱で剥がれる模型の塗装とはえらい違いです。それと,概して北海道の機関車は錆だらけで美しくないのですが,こんな使い方をしているからでしょうね。
 別項を立てれば分かりやすかったのですが,美唄での凍結防止話(動くだるまストーブ)が出たついでに,関連事項として写真を載せたのですが,場所等を書いておくべきでした。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:石川和郎 2011/10/19(水) 13:58 No.747  操作

凍結防止の話題で盛り上がっていますが、私も機関車の下で火を焚いたのは見たことがありません。ただ、冬季間に自動車で峠越えをすると、路肩にトレーラーを停めてドライバーが仮眠(?)しているような時、エンジンの下に灯油のコンロを焚いているのは良く見ました。夜間なので、初めて見たときには119番と思いましたが、見慣れると普通になりました。今でもあるのかもしれません。


題名:40年前のある日あのとき(3)  名前:巻本彰一 2011/07/31(日) 22:27 No.716  操作


716の画像を原寸大表示します  こんばんは。ちょうど40年前は夕張地区の炭礦鉄道を訪れています。写真は,みなさんよくご存じだと思いますが,大夕張鉄道清水沢駅ホームの北側にあった国鉄との境界標です。撮影時は戦後から26年経っていますが,鉄道省の標記のままでした。しかし,当時は東海道の緩行線の電車を「省線電車」と普通に言っていましたから,気にするほどではないのかもしれません。小生は,国鉄がJRになってから24年経ちますが,国鉄の方が言いやすいです(頭の中はヨンサントオから時間が止まっているのかも)。
 国鉄駅から炭礦私鉄が出ているようなレイアウトを考えると,必ず境界標がいるのですが(駅を別にしても連絡線はあるはず),国鉄側をこの写真のように「鉄道省」としておくと,かなりの古典ロコも走らせるので良い手かもしれません。ところで,この境界標は廃線時までこの標記のままだったのでしょうか。

  
 

題名:Re: 40年前のある日あのとき(3)  名前:管理人 2011/08/01(月) 00:30 No.717  HomePage 操作

巻本さま、凄いのを記録されて居られますね!
結構きれいなので、国鉄になってからも「塗り直し」ぐらいはしていそうですね。1970年代にこの標識が許されるなら、古典機からキハ22あたりまで、うちのターゲットにしている車両は全てOKです。
車両は、各時代の姿を作れますが、レイアウトは苦しいですものね。これは、良い実例を教えていただきました、ありがとうございます。

  
 

題名:Re: 40年前のある日あのとき(3)  名前:奥山道紀 2011/08/04(木) 22:45 No.723  操作

723の画像を原寸大表示します 三菱大夕張鉄道が発着した清水沢駅1番線の現況です。先月31日に開催したバスツアー一行です。跨線橋の下にも大夕張鉄道の国鉄乗入れ・借地の表示がありました。
  
 

題名:Re: 40年前のある日あのとき(3)  名前:管理人 2011/08/05(金) 02:15 No.726  HomePage 操作

726の画像を原寸大表示します 奥山様
お久しぶりです。
もしかして、この画像をちょうど反対側から見た現況でしょうか? 木貼りホームの骨組みなどが良く分かる状況ですね。信号のワイヤー支柱もまだ残っているのですね。

  
 

題名:Re: 40年前のある日あのとき(3)  名前:巻本彰一 2011/08/05(金) 22:30 No.727  操作

727の画像を原寸大表示します  境界標と同じ日に撮った,大夕張鉄道の客レの写真(16:14発)がありましたので,載せてみます。国鉄側のホームの上から撮影していますが,奥山さんの現況写真からは,現在は残り香くらいは・・・の状況なのですか。小生は1973年3月以降,清水沢駅で降りたことはありませんから,きっと「浦島太郎」ですね。
 写真は特別な状況なので,多分解説が必要と思います。大夕張鉄道の客レは,通常は機関車と客車の間に貨車が20輌ほど入る混合列車となっているのですが,この日は一ヶ月に一度ある設備の点検日にあたり,そのため貨車がありません。この2時間後の(18:30発)は機関車1輌客車1輌でさらに短く,写真を撮るのに困りました(入れ換えをしているように見えます)。
 当時,モニター屋根やWルーフの車輌は他にもありましたが,お客が乗れる3軸台車でしかもトラス棒つき,という姿には感激しました。トトトン,トトトンというジョイント音は,未だに耳に残っています。大夕張の客車万歳!ですね。

  
 

題名:Re: 40年前のある日あのとき(3)  名前:巻本彰一 2011/08/07(日) 01:17 No.728  操作

728の画像を原寸大表示します  奥山さんの現況写真と近い角度の写真がありましたので,ついでに載せてみます。18:30発の客レです。右上にワイヤー用の支柱が見えます。木貼ホームのことですが,現況写真では鉄枠にレールを乗せて・・・となっていますが,昔の写真をよく見ると,木枠の上に枕木を縦に置き,その上に板を貼っていますね。夕張地区は積雪が多く寒いので,木製だと消耗が激しく,後年に鉄製に取り替えたのでしょうね。
 標識の場所について教えていただきありがとうございます。ただ残念ながら,跨線橋の下の標識は,陰になっていたためか,なぜか取り損ねています。惜しいことをしました。
 さて,「40年前の・・・」ですが,次に北海道を訪れたのは1972年3月ですので,しばし休載いたします。1971年夏以前については,将来に「50年前の・・・」を連載した時にでも・・・(笑)。先の長い話ですが,でもあっという間ですよ。

  
 

題名:Re: 40年前のある日あのとき(3)  名前:管理人 2011/08/07(日) 02:34 No.729  HomePage 操作

次々に、凄い写真が出てきますね!
巻本様の写真では、支柱も木製のようですので、後年の変更か、部分的に鉄製か、と言う感じでしょうか?
いずれにせよ、時代考証の参考になりそうです。
10年先と言わず、続編を楽しみにしています!

  
 

題名:Re: たった1両の混合列車  名前:奥山道紀 2011/08/08(月) 20:54 No.730  操作

730の画像を原寸大表示します 確かに会社公休日など、出炭の無い日は石炭車無しの列車となりました。写真は清水沢・遠幌間です。
  
 

題名:Re: たった1両の混合列車  名前:管理人 2011/08/08(月) 21:57 No.731  HomePage 操作

奥山さま
公休日・・・ というものが有るのですね。
言われれば当たり前なのかも知れません。
中小の炭礦では、出炭の少ない日は「運休」なんて記述も、雑誌などで見かけたように思いますが、大夕張は「地方私鉄」ですから、時刻表どうりに運行する必要有りますね。
当時は「絵にならない」と思われたかも知れませんが、今から見れば「貴重な絵」ですね。



題名:40年前のあの日あのとき(5)  名前:巻本彰一 2011/08/05(金) 00:33 No.724  操作


724の画像を原寸大表示します  こんばんは。40年前のこの日は奥羽本線二ツ井にいました。二ツ井−七座S.S.−前山間は電化で別線となるため,奥羽本線北部最後の非電化区間として多くのファンが訪れましたが,それも1971年8月5日の823レ(C6124+客車7輛)で幕を閉じました。新線経由の第一号は823レと前山で交換する616Dむつ1号ですが,当然,その前にはオイラン車が走る必要があり,それが写真のオヤ3113です(車輌は手持ちがなかったのか,仙フクから借りてますね)。オイラン車は前日の深夜から早朝にかけて走ったようですが,もし何かが支障していたら823レでの切り替えはアウトですね(よほど自信があるのかタイトな計画ですね,まあ無駄がないともいえるのですが)。
 当時,本線上でオイラン車を見たのはこのオヤ3113が初めてで,またスハ32丸屋根と同じグループだと思える20m車にもかかわらず,なぜ31系を名乗っているのかが不思議で,しばし見入ったことが懐かしく思い起こされます(オイラン車を見た瞬間は,「ついにこの日が来たか」でした)。乗務員はちょうど朝食を食べているのか不在でした。ただ823レまで時間が切迫していたので,「戻って来てからじっくり写真を」と切り上げたら,その間に編成ごと回送されてしまい,車内の写真を撮りそこなったのは不覚でした。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(5)  名前:管理人 2011/08/05(金) 02:06 No.725  HomePage 操作

725の画像を原寸大表示します 凄いタイトな日程ですね。もしかしたら、2回目かもしれませんね。1回目で支障箇所洗い出して、修正後に開業直前の、念押し確認計測ではないでしょうか?

オイランの計測走行は、1度だけ千歳線で見ました。その時のメモは、10月1日電化開業で、7月30日〜8月2日に走ったようです。2ヶ月前ですね。



題名:こんばんは  名前:C57135 2009/12/15(火) 23:28 No.708  HomePage 操作


708の画像を原寸大表示します ご無沙汰しております。
こちらも一日遅れとなってしまいましたが・・34年目の12月14日でしたね。
思えば0系の最終運転も奇しくも同じ日でした。
だれか思い入れでこの日に仕掛けた人がいたのかな?

  
 

題名:Re: こんばんは  名前:廣瀬 2009/12/16(水) 19:42 No.709  HomePage 操作

0系最後も14日だったとは、知りませんでした。偶然とは思えないですね。

添付画像もすばらしい光景ですね!
見たかったです。カメラは何でしょうか?
高感度デジカメでしょうか?


  
 

題名:Re: こんばんは  名前:c57135 2011/08/02(火) 00:50 No.718  HomePage 操作

ちょろっと親子で台湾に行ってきましたよ。
添付は一昨年の集集線です(馬鹿でかいHMがガックリでしたが…)。かの国も、日本の良い影響から現在C57.D51の本線復活を目指した修繕進行中です。
当初計画通りのC55だったら一段と良かったけれど、まあ贅沢は言ったらキリがありませんね。

  
 

題名:Re: こんばんは  名前:c57135 2011/08/02(火) 00:51 No.719  HomePage 操作

719の画像を原寸大表示します あれ?添付が抜けました。すみません。
  
 

題名:Re: こんばんは  名前:管理人 2011/08/02(火) 01:23 No.720  HomePage 操作

C57135さん
親子鉄! うらやましいです。

貴掲示板の、夜汽車、現役トロッコの報告うらやましく拝見しています。


[現行ログ] [1] [2] [3] [4] [5] [6]
以下のフォームから自分の記事を修正/削除できます [説明]

処理:  記事No:  パスワード:


今日: 1
06/27 (火) 1
06/23 (金) 1
06/20 (火) 1
06/18 () 1
06/14 (水) 1
06/12 (月) 1
06/11 () 1
合計: 8364

- aimix-BBS無料レンタル掲示板 [掲示板の作成はこちら] -

script - Kent-web