「蒸機時代の北海道」画像掲示板

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北海道の蒸機列車、旧型客車、運炭鉄道の情報交換を行う掲示板です。
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題名:12/14  名前:c57135 2011/12/14(水) 00:42 No.748  HomePage 操作


748の画像を原寸大表示します こんばんは。
今年も12月14日になりました。
早いものですね…。
最近はあっという間に1日が過ぎ、1年が過ぎ、36年が過ぎ…。
恐ろしい限りです。

  
 

題名:Re: 12/14  名前:管理人 2011/12/14(水) 00:56 No.749  操作

もう36年ですか〜

135号機が、再び線路上(一瞬とは言え)に乗るとは思いませんでしたし、今では、鉄博のスターですものね!

ビネガーシンドロームに怯えながら、国鉄時代のネガを日夜スキャンしている今日この頃です。



題名:40年前のあの日あのとき(2)  名前:巻本彰一 2011/07/27(水) 23:40 No.713  操作


713の画像を原寸大表示します  40年前のこの日は,「びばぁ〜い,びばぁ〜い,ここはびばい・・・」と面白いイントネーションで放送が流れる国鉄駅に隣接した美唄鉄道にいました。写真は朝の通勤列車を牽いて来たあと機回しをして,機関車庫の中を素通りして給炭台に来た2号機です。それにしても,折り返しで機関車庫の中を素通りする線路配置というのは,他にはなかなかないですね。真谷地の4110は9600の転入でこの2ヶ月前に据付ボイラーと化したので,撮影時点では美唄鉄道が唯一の4110を使う鉄道となっていました。重連でセキを50輛以上ガンガンと引き上げて行った姿は,模型で再現したいものです。
 一緒に9600が写っていますが,小生は9600には複雑な思いがあります。本州では9600は珍しく,形態も好きな機関車だったのですが,北海道では炭礦で余生を送っていた古典ロコを駆逐した憎い機関車に映るのです。9600のために,大夕張の9200は追い出され,真谷地の4110,日曹炭礦の8100は火を落とした云々。まあ,真谷地の8100は美唄の4110の転入で廃車になったので,9600だけが悪者ではないのですが,春に目の前で元気に煙を上げていた4110が,夏には9600の転入で無惨に据付ボイラーになっているのを見ると,どうも感傷的になってしまいますね。「C55好き,C57嫌い」等,似たような話は沢山あるのですが。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:管理人 2011/07/28(木) 00:33 No.714  HomePage 操作

> 折り返しで機関車庫の中を素通りする
なんて知りませんでした!
結構面白い(苦肉の策)配置だったようですね。
北海道も広いようで、機関区用地などは、案外手狭だったようですね。
ところで、庫の裏の写真はお持ちでは無いですか?
探して居られる、研究家の方が居られます。

「9600憎い」も、私から見たら贅沢な悩みですが、4110や8100を駆逐した、と聞くと納得出来るところです。結局C55の方が好きですし、模型は8100の方が先に完成しちゃいました。やっぱり、良いものは良い、のでしょうね。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:巻本彰一 2011/07/29(金) 22:05 No.715  操作

 残念ながら,機関車庫の裏の写真は撮っていないのです。裏側は本当にほったて小屋のような感じに見え,前側と裏側のギャップに多分見た人は驚くと思います。それゆえ,いつも写真を撮ろうと思っていながら,機関車を追いかけているうちに時間がなくなり,列車に乗ってから「また今度やなあ」を繰り返しているうちに,「見逃し三振」となりました(非常に後悔しています)。
 線路配置の補足ですが,美唄鉄道が使っていたホームから機関車庫の間には7〜8本くらいのヤードがあるので土地が狭いという訳ではありません。ただ,セキを留置するヤードが非常に長いので(セキ50輌は軽く1線における),短絡して時間短縮をすることと,また北側にある函館本線と共用の踏切を機回しで支障することを避けたのだと思います。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:石川和郎 2011/09/20(火) 00:50 No.732  操作

732の画像を原寸大表示します はじめまして。ときどきROMさせていただいてました。美唄の庫の裏とはこんな画像でしょうか。先日スキャンしたものです。参考になると良いのですが。
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:管理人 2011/09/20(火) 01:08 No.733  HomePage 操作

石川和郎様
こちらこそ、初めまして。
これは、貴重なカットですね。当時は、なんでも無い風景だったのでしょうけれど、しらみつぶしに既刊書を探しても、どれも同じようなカットばかりです。機芸出版社のシーナリーガイド2に掲載されているのが、一番詳しいですが、機関区の線路配置などは説明されていません。

厚かましくも質問させて下さい。
石川様の写真は、巻本様のNo.713の反対側の入口なのでしょうか?2線のぶち抜きの庫かと思っていましたが、片側は行き止まりなのですね?行き止まりの方は、ワークショップでも会ったのでしょうか? 実はワークショップの模型化でも、悩んでいるのです。管理人は、全く行ったことが無くトンチンカンな質問かと思いますが、分かる範囲でご教示頂ければ幸いです。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:石川和郎 2011/09/20(火) 15:09 No.734  操作

734の画像を原寸大表示します はいそうです。713の裏側です。中はワークショップではなくて、留置線のみです。廃車となった4122が置いてありました。その他には点火用の古枕木が積んでありました。屋根の骨組みが見えます。建物自体は木造モルタルの簡素なものです。ワークショップは隣の別棟だったはずです。
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:石川和郎 2011/09/20(火) 15:11 No.735  操作

735の画像を原寸大表示します 前項の続きです。同じ位置から振り返って撮った写真がこれになります。作業スペースではないことがわかります。
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:管理人 2011/09/20(火) 20:30 No.736  HomePage 操作

ワークショップは、違う棟でしたか・・・
巻本様のNo.713で左端に写っている庫の中に有るのでしょうか?
それとも、石川様のNo.732で4120号機の陰に隠れている庫なのでしょうか? 

機芸出版の「シーナリィ・&」ストラクチャーガイド2」をもしお持ちなら・・・p72の中段写真の客車の向こうに見える庫の内部がp73の中段2葉の写真に有る庫の内部という感じなのでしょうか? きっと、この庫が、石川様のNo.732で4120号機の陰の庫なのですね。やっと分かってきました。
ガイド2の写真も、いざ模型を作ろうと思うと、かゆいところに手が届きません。。。もし、少しでも内部を撮影されて居られたら、見たいと思っています。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:石川和郎 2011/09/21(水) 00:22 No.737  操作

737の画像を原寸大表示します ワークショップは713の左端に写っている庫の奥になります。その部分はこの機関車の後の部分です。大きな建屋になっているのが判りますね。表の庫とつながっているのです。手元に機芸出版の本はありませんが、プレスアイゼンバーンの美唄鉄道の中の写真と比べると、大体の状況はわかると思います。残念ながら私はその中に入ったことはありません。
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:管理人 2011/09/21(水) 02:24 No.738  HomePage 操作

石川様 有り難うございます。
No.737の写真でさらに分かってきました。
No.737で背後の高い建物は、窓の形状から「p73の中段2葉の写真に有る庫の内部」なのですね。p72では「給水塔のすぐ横に有る1線の庫の続き」のようです。
内部に入られたことが無いとのこと、残念です。大型のジャッキなどの一部がp73に写っていて、どんな工作機が並んでいたのか興味深いです。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:巻本彰一 2011/09/23(金) 22:51 No.739  操作

739の画像を原寸大表示します  こんばんは。しばらく見ていなかったので,話がものすごく進んでいて,もう補足が追いつかないのですが,No.734の機関区内の冬姿を載せておきます(実は「50年前の・・・」で使おうと思っていた写真なのですが)。車庫の内張,骨組み,積み上げられた古枕木の状態がよく分かると思います(綺麗に写っている理由は夜間のバルブだからです)。
 この日は,上り利尻か大雪6号で,早朝に美唄に到着しました。まだ闇夜の中,機関区に行くと,この4122の前に2号機がいて,1番列車の出発準備をしていました。今だから言えるのですが,炭礦鉄道の石炭はただ同然ですから,使い方も豪快なのですね。朝に蒸気圧を定圧にするためには,こまめに起きて調整してくべる必要があります。しかし,乗務員は睡眠時間を沢山とりたいので,火室に石炭を一度に思いっきり投入して,安全弁をブーブー吹かしていました。そして闇夜の中,2号機が出庫して行ったので,この写真が撮れたのです。
 No.713の機関庫はちょうど4110にして2輛分の長さがあり,行き止まり線の奥には4122がいますが,その前も車庫として使っていました。No.713左端に見える一線の車庫にはたいてい9600が寝ていて,その後ろ側にワークショップが続き棟であるという配置は,石川様がコメントされていた通りです。
 冬ですので,夜は当然3カ所の扉は閉めてあるのですが,それでも機関区の中には雪がかなり吹き込んでいるのが分かると思います。冬の美唄の朝は寒く,安全弁をブーブー吹かしていた2号機が出庫して行った後はさらに冷え,「あれは動くだるまストーブだったんだ」と友人と冗談を言い合ったことが思い起こされます。ところで,美唄のストラクチャーに浮気をしてはだめですよ。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:管理人 2011/09/24(土) 03:11 No.740  HomePage 操作

巻本様
早速ありがとうございます。
今度は、冬姿の写真まで拝見できて感激です。

機関庫の屋根は、ぜひ取り外し式にしたいとおもっていましたので、梁の状況などもよく分かって参考になります。
ところで、1線の方の機関庫の内部写真は無いのでしょうか?


お見通しですね・・・ もう浮気寸前です。
日曹の機関庫内部の状況が分からないので、美唄を参考にしようと企んでいるところです。まだワークショップの状況が分からないので、アメリカの鉱山や製材所の資料、インドネシアの製糖工場などをちゃんぽんにして、まとめようかとも思っています。入手しているパーツからいくと、アメリカ型になりそうです。なんとか、日本型にしたいところですが。。。

「動くだるまストーブ」は案外、夜の間に配管が凍ったりしないためにも必要なのかもしれませんね(乗務員弁護?!)
石炭は、ただ同然かと思っていたら、案外きっちりと別勘定にされている運炭鉄道も有ったとか聞きます。ポケットの下にテンダーが有る写真は御法度だったのかもしれませんが見たことは無いですね。

  
 

題名:もし配管が凍ったら  名前:巻本彰一 2011/10/12(水) 10:42 No.743  操作

743の画像を原寸大表示します  厳冬期の北海道の場合,配管等が凍った時はやかんのお湯をかけるという程度ではより事態を悪化させる(冷えたお湯が凍結する)ので,このようにして融かします。写真は-20℃を下回る温度で機関庫を出庫したまではよかったのですが,給水をしている間に凍ってしまった9600のシリンダー下部を加熱しているシーンです。シリンダーの場合は加熱する面積が大きいので,このように護摩壇然りと古枕木を積み上げて,その上から油をかけ,ぼろ布で点火します。この9600は不幸にして油ポンプ箱等,車体各部で凍結してしまったので,そこら中に火をかけられ,遠くから見るとさながら「蒸気機関車が火事だ」という姿になっていました。このような厳冬期の北海道の機関区では日常茶飯事のように見られたシーンも,そのうち忘れ去られてしまうのでしょうね。
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:管理人 2011/10/13(木) 00:15 No.744  HomePage 操作

巻本さま
なんと「火だるまの96」ですね。。。
写真を見るのは初めてです。
何かの本で「古枕木を燃やして暖めた」などと言うのを読んだ記憶は有るのですが、そんな生やさしいものでは無いですね。古枕木が庫の中に山積みされていたのも、こんな用途がしょっちゅあるからかもしれませんね。

車のフロントグラスでも、下手に少量のお湯を掛けたら、分厚い氷の層が出来て難儀している、と言う例を良く見かけました。その昔、スキーに行っていた頃は、絶対水分を掛けませんでした。へらで、こそぎ取るのが一番です。後は室内から暖房して窓を暖まるのを待ちます。信州程度でしたから、暖地仕様の車でもなんとかなったものです。北海道では、歯が立たないでしょうね。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:奥山道紀 2011/10/15(土) 20:26 No.745  操作

デフ付きの96に見えますが、大夕張でしょうか?
  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:巻本彰一 2011/10/16(日) 12:15 No.746  操作

 No.743の写真の機関車は49699「遠」で紋別の停泊所に居るときのできごとです。
 最初に機関庫から古枕木が多数運ばれてきた時は,どこかで貨車が脱線して復旧の応援に行くのかな,くらいに思っていました。シリンダーの下に護摩壇が作られ,保線の人たちがポイントに火をつけて凍結防止をするときに使う油等を入れて持ち歩く一斗缶が登場して,初めて状況が理解できました。
 豚の丸焼き,ならぬシリンダーの丸焼きですが,ゴウゴウ,バチバチと激しく古枕木が燃えるに伴って,煙室戸の隙間やシリンダーや配管の各部から蒸気が噴き出して来て,凍結が解消されたことが分かりました。面白いことには,線路を支えている枕木の上に直接古枕木を置きますが,うまく古枕木だけ燃え,表面が少し焦げるだけで埋まっている方の枕木は燃えません。
 しかし,実物の蒸気機関車の塗装は強いですね。半田鏝の熱で剥がれる模型の塗装とはえらい違いです。それと,概して北海道の機関車は錆だらけで美しくないのですが,こんな使い方をしているからでしょうね。
 別項を立てれば分かりやすかったのですが,美唄での凍結防止話(動くだるまストーブ)が出たついでに,関連事項として写真を載せたのですが,場所等を書いておくべきでした。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(2)  名前:石川和郎 2011/10/19(水) 13:58 No.747  操作

凍結防止の話題で盛り上がっていますが、私も機関車の下で火を焚いたのは見たことがありません。ただ、冬季間に自動車で峠越えをすると、路肩にトレーラーを停めてドライバーが仮眠(?)しているような時、エンジンの下に灯油のコンロを焚いているのは良く見ました。夜間なので、初めて見たときには119番と思いましたが、見慣れると普通になりました。今でもあるのかもしれません。


題名:40年前のある日あのとき(3)  名前:巻本彰一 2011/07/31(日) 22:27 No.716  操作


716の画像を原寸大表示します  こんばんは。ちょうど40年前は夕張地区の炭礦鉄道を訪れています。写真は,みなさんよくご存じだと思いますが,大夕張鉄道清水沢駅ホームの北側にあった国鉄との境界標です。撮影時は戦後から26年経っていますが,鉄道省の標記のままでした。しかし,当時は東海道の緩行線の電車を「省線電車」と普通に言っていましたから,気にするほどではないのかもしれません。小生は,国鉄がJRになってから24年経ちますが,国鉄の方が言いやすいです(頭の中はヨンサントオから時間が止まっているのかも)。
 国鉄駅から炭礦私鉄が出ているようなレイアウトを考えると,必ず境界標がいるのですが(駅を別にしても連絡線はあるはず),国鉄側をこの写真のように「鉄道省」としておくと,かなりの古典ロコも走らせるので良い手かもしれません。ところで,この境界標は廃線時までこの標記のままだったのでしょうか。

  
 

題名:Re: 40年前のある日あのとき(3)  名前:管理人 2011/08/01(月) 00:30 No.717  HomePage 操作

巻本さま、凄いのを記録されて居られますね!
結構きれいなので、国鉄になってからも「塗り直し」ぐらいはしていそうですね。1970年代にこの標識が許されるなら、古典機からキハ22あたりまで、うちのターゲットにしている車両は全てOKです。
車両は、各時代の姿を作れますが、レイアウトは苦しいですものね。これは、良い実例を教えていただきました、ありがとうございます。

  
 

題名:Re: 40年前のある日あのとき(3)  名前:奥山道紀 2011/08/04(木) 22:45 No.723  操作

723の画像を原寸大表示します 三菱大夕張鉄道が発着した清水沢駅1番線の現況です。先月31日に開催したバスツアー一行です。跨線橋の下にも大夕張鉄道の国鉄乗入れ・借地の表示がありました。
  
 

題名:Re: 40年前のある日あのとき(3)  名前:管理人 2011/08/05(金) 02:15 No.726  HomePage 操作

726の画像を原寸大表示します 奥山様
お久しぶりです。
もしかして、この画像をちょうど反対側から見た現況でしょうか? 木貼りホームの骨組みなどが良く分かる状況ですね。信号のワイヤー支柱もまだ残っているのですね。

  
 

題名:Re: 40年前のある日あのとき(3)  名前:巻本彰一 2011/08/05(金) 22:30 No.727  操作

727の画像を原寸大表示します  境界標と同じ日に撮った,大夕張鉄道の客レの写真(16:14発)がありましたので,載せてみます。国鉄側のホームの上から撮影していますが,奥山さんの現況写真からは,現在は残り香くらいは・・・の状況なのですか。小生は1973年3月以降,清水沢駅で降りたことはありませんから,きっと「浦島太郎」ですね。
 写真は特別な状況なので,多分解説が必要と思います。大夕張鉄道の客レは,通常は機関車と客車の間に貨車が20輌ほど入る混合列車となっているのですが,この日は一ヶ月に一度ある設備の点検日にあたり,そのため貨車がありません。この2時間後の(18:30発)は機関車1輌客車1輌でさらに短く,写真を撮るのに困りました(入れ換えをしているように見えます)。
 当時,モニター屋根やWルーフの車輌は他にもありましたが,お客が乗れる3軸台車でしかもトラス棒つき,という姿には感激しました。トトトン,トトトンというジョイント音は,未だに耳に残っています。大夕張の客車万歳!ですね。

  
 

題名:Re: 40年前のある日あのとき(3)  名前:巻本彰一 2011/08/07(日) 01:17 No.728  操作

728の画像を原寸大表示します  奥山さんの現況写真と近い角度の写真がありましたので,ついでに載せてみます。18:30発の客レです。右上にワイヤー用の支柱が見えます。木貼ホームのことですが,現況写真では鉄枠にレールを乗せて・・・となっていますが,昔の写真をよく見ると,木枠の上に枕木を縦に置き,その上に板を貼っていますね。夕張地区は積雪が多く寒いので,木製だと消耗が激しく,後年に鉄製に取り替えたのでしょうね。
 標識の場所について教えていただきありがとうございます。ただ残念ながら,跨線橋の下の標識は,陰になっていたためか,なぜか取り損ねています。惜しいことをしました。
 さて,「40年前の・・・」ですが,次に北海道を訪れたのは1972年3月ですので,しばし休載いたします。1971年夏以前については,将来に「50年前の・・・」を連載した時にでも・・・(笑)。先の長い話ですが,でもあっという間ですよ。

  
 

題名:Re: 40年前のある日あのとき(3)  名前:管理人 2011/08/07(日) 02:34 No.729  HomePage 操作

次々に、凄い写真が出てきますね!
巻本様の写真では、支柱も木製のようですので、後年の変更か、部分的に鉄製か、と言う感じでしょうか?
いずれにせよ、時代考証の参考になりそうです。
10年先と言わず、続編を楽しみにしています!

  
 

題名:Re: たった1両の混合列車  名前:奥山道紀 2011/08/08(月) 20:54 No.730  操作

730の画像を原寸大表示します 確かに会社公休日など、出炭の無い日は石炭車無しの列車となりました。写真は清水沢・遠幌間です。
  
 

題名:Re: たった1両の混合列車  名前:管理人 2011/08/08(月) 21:57 No.731  HomePage 操作

奥山さま
公休日・・・ というものが有るのですね。
言われれば当たり前なのかも知れません。
中小の炭礦では、出炭の少ない日は「運休」なんて記述も、雑誌などで見かけたように思いますが、大夕張は「地方私鉄」ですから、時刻表どうりに運行する必要有りますね。
当時は「絵にならない」と思われたかも知れませんが、今から見れば「貴重な絵」ですね。



題名:40年前のあの日あのとき(5)  名前:巻本彰一 2011/08/05(金) 00:33 No.724  操作


724の画像を原寸大表示します  こんばんは。40年前のこの日は奥羽本線二ツ井にいました。二ツ井−七座S.S.−前山間は電化で別線となるため,奥羽本線北部最後の非電化区間として多くのファンが訪れましたが,それも1971年8月5日の823レ(C6124+客車7輛)で幕を閉じました。新線経由の第一号は823レと前山で交換する616Dむつ1号ですが,当然,その前にはオイラン車が走る必要があり,それが写真のオヤ3113です(車輌は手持ちがなかったのか,仙フクから借りてますね)。オイラン車は前日の深夜から早朝にかけて走ったようですが,もし何かが支障していたら823レでの切り替えはアウトですね(よほど自信があるのかタイトな計画ですね,まあ無駄がないともいえるのですが)。
 当時,本線上でオイラン車を見たのはこのオヤ3113が初めてで,またスハ32丸屋根と同じグループだと思える20m車にもかかわらず,なぜ31系を名乗っているのかが不思議で,しばし見入ったことが懐かしく思い起こされます(オイラン車を見た瞬間は,「ついにこの日が来たか」でした)。乗務員はちょうど朝食を食べているのか不在でした。ただ823レまで時間が切迫していたので,「戻って来てからじっくり写真を」と切り上げたら,その間に編成ごと回送されてしまい,車内の写真を撮りそこなったのは不覚でした。

  
 

題名:Re: 40年前のあの日あのとき(5)  名前:管理人 2011/08/05(金) 02:06 No.725  HomePage 操作

725の画像を原寸大表示します 凄いタイトな日程ですね。もしかしたら、2回目かもしれませんね。1回目で支障箇所洗い出して、修正後に開業直前の、念押し確認計測ではないでしょうか?

オイランの計測走行は、1度だけ千歳線で見ました。その時のメモは、10月1日電化開業で、7月30日〜8月2日に走ったようです。2ヶ月前ですね。



題名:こんばんは  名前:C57135 2009/12/15(火) 23:28 No.708  HomePage 操作


708の画像を原寸大表示します ご無沙汰しております。
こちらも一日遅れとなってしまいましたが・・34年目の12月14日でしたね。
思えば0系の最終運転も奇しくも同じ日でした。
だれか思い入れでこの日に仕掛けた人がいたのかな?

  
 

題名:Re: こんばんは  名前:廣瀬 2009/12/16(水) 19:42 No.709  HomePage 操作

0系最後も14日だったとは、知りませんでした。偶然とは思えないですね。

添付画像もすばらしい光景ですね!
見たかったです。カメラは何でしょうか?
高感度デジカメでしょうか?


  
 

題名:Re: こんばんは  名前:c57135 2011/08/02(火) 00:50 No.718  HomePage 操作

ちょろっと親子で台湾に行ってきましたよ。
添付は一昨年の集集線です(馬鹿でかいHMがガックリでしたが…)。かの国も、日本の良い影響から現在C57.D51の本線復活を目指した修繕進行中です。
当初計画通りのC55だったら一段と良かったけれど、まあ贅沢は言ったらキリがありませんね。

  
 

題名:Re: こんばんは  名前:c57135 2011/08/02(火) 00:51 No.719  HomePage 操作

719の画像を原寸大表示します あれ?添付が抜けました。すみません。
  
 

題名:Re: こんばんは  名前:管理人 2011/08/02(火) 01:23 No.720  HomePage 操作

C57135さん
親子鉄! うらやましいです。

貴掲示板の、夜汽車、現役トロッコの報告うらやましく拝見しています。



題名:「古典機祭」ご来場お礼  名前:管理人 2009/10/24(土) 01:51 No.707  HomePage 操作


707の画像を原寸大表示します 弊サイトNiftyの掲示板にも書きましたが、KKCの古典機祭に参加いたしました。ご来場いただき有り難うございました。

みなさまのレポートをNifty掲示板に貼り付けようとしましたが、うまくいかないので、こちらに掲出しておきます。

●鉄道&模型 浜リンBlog
http://blogs.yahoo.co.jp/gag00706/archive/2009/10/18
●B滝さんのブログ
http://www.hobidas.com/blog/vw/vwb-taki/archives/2009/10/post_1474.html
●男のきもの生活・鉄模生活/ウェブリブログ
http://kimono-tetsumo.at.webry.info/200910/article_2.html
●がたごと列車ブログ・線路端の雑記帳
http://92451759.at.webry.info/200910/article_7.html
●みやび「瓦版」
http://www2t.biglobe.ne.jp/~Myabi/kkc.html

折角ご来場いただいたのに、ご挨拶できなかった方も多かったと思います、大変失礼いたしました。



題名:夕張応援号とSL館開館  名前:奥山道紀 2009/07/23(木) 19:46 No.701  HomePage 操作


701の画像を原寸大表示します ご無沙汰しています。
南大夕張ではスハニ6やオハ1に続いて、ナハフ1の補修も着々と進んでいます。
今年も9月5.6日に夕張応援号が運行されますが、歓迎行事として昨年同様汽車フェスタを開催します。また、財政破綻により、閉鎖状態のSL館の臨時開館についても夕張市当局と協議中です。
開館時間など詳細については、まだ決定していませんが、決定次第鉄道雑誌や報道機関などを通じ報告したいと思います。

http://blogs.yahoo.co.jp/ooyubari9201

  
 

題名:Re: 夕張応援号とSL館開館  名前:管理人 2009/07/26(日) 11:21 No.702  HomePage 操作

奥山さま

すごいですね! 着々と進んでいますね。素晴らしいです。
元々、このような社型の20m級客車を走らせていた私鉄は限られているので、保存車はほぼこの夕張に限られると云って良いぐらい貴重なものです。うれしいですね。また一時的としても、SL
館が開かれるかもしれないとのこと、成功を祈っています。

  
 

題名:Re: 夕張応援号とSL館開館  名前:管理人 2009/08/29(土) 00:44 No.703  HomePage 操作

みなさん、もうすぐ9月5日〜6日の「夕張応援号」と関連行事ですね。

詳しくは、保存会の掲示板に「夕張応援号関連行事について」として、7月27日にUP済みですので。ご計画の確認を!
http://bbs3.on.kidd.jp/?0330/ooyubari1

残念ながら、管理人は、見に行けないのですが、SL館が臨時開館するのも見逃せないですね。

  
 

題名:Re: 夕張応援号とSL館開館に併せて模擬乗車券を配布します 
名前:奥山道紀 2009/08/30(日) 19:42 No.704  HomePage 操作


704の画像を原寸大表示します お世話になっています。追加情報です。
石炭の歴史村の夕張市石炭博物館は・SL館や炭鉱生活館の展示サテライトを持ち、石炭の生産から、輸送、労働者の暮らし等、石炭産業の全てを紹介する博物館群でした。財政破綻によりSL館は閉鎖されていますが、同館には夕張の炭鉱の歴史と関わりの深い夕張鉄道や三菱大夕張鉄道で活躍した車両や、その関連資料が多数保存されています。
特に夕張鉄道11形14号(1927年・日立製作所笠戸工場 製番238)は、国鉄9200形の走行部分と8620形のボイラーを組み合わせ独自に設計・発注された蒸気機関車であり、当時炭鉱地帯の国鉄路線で使用された9200形をベースに、夕張鉄道の輸送量や線路の勾配を考慮して近代化したもので、当時の地方鉄道では希少な独自発注車であり、炭鉱会社を中心とする経済がいかに大きかったかを示す、貴重な歴史資料のひとつといえます。
また、思い出帖でも紹介されている通り、逆行運転に便利な独自のテンダを装備した三菱大夕張鉄道9600形4号(1941年・日立製作所笠戸工場 製番1300)は、石炭輸送に活躍する一方、映画「塩狩峠」(1973年・松竹・ワールドワイド)に全編にわたり登場し、「映画の街・夕張」を象徴する車両ともいえます。
夕張応援号が運行される9月5・6日の両日、同館を臨時開館(11時〜16時30分)しますが、来館者には先着500名で、模擬記念乗車券を配布します(南大夕張駅跡の汽車フェスタ会場でも配布します)。

  
 

題名:「北海道の鉄道と石炭の旅」が募集されているそうです 
名前:管理人 2009/09/14(月) 00:55 No.705  HomePage 操作


SL館の臨時開館や南大夕張での汽車フェスタは、好評のうちに無事終了されたようです。いつもながら、保存会の方々の活動には敬服しています。

さて、保存会の掲示板では、「北海道の鉄道と石炭の旅」に関する情報も掲載されていますので、ぜひご覧下さい。

  
 

題名:Re: 夕張応援号とSL館開館  名前:奥山道紀 2009/09/14(月) 22:08 No.706  HomePage 操作

ご報告が遅れてしまいました。今後にSL館をどうするのかという課題が残っていますが、2日間に渡り多くの人が訪れ、一応無事終了しました。今後もよろしくお願いします。


題名:「夕張のSL館」雪下ろしの話題  名前:管理人 2009/02/09(月) 19:48 No.640  操作


「夕張のSL館守りたい ボランティア30人雪下ろし」のタイトルで、早速今朝の朝日新聞さんに掲載されました。
http://www.asahi.com/national/update/0207/TKY200902070194.html

皆様の献身的な活動には頭が下がります。僅かでも、力になれたらと、願わずには居られません。

  
 

題名:Re: 「夕張のSL館」雪下ろしの話題  名前:奥山道紀 2009/02/09(月) 19:59 No.641  HomePage 操作

641の画像を原寸大表示します ありがとうございます。参加いただいた皆様、そして応援して頂いた皆さんに感謝です。今後も色々な取り組みが必要かと思います。今後もよろしくお願いします。


題名:SL夕張応援号再び  名前:リアルオン 2008/09/06(土) 21:25 No.590  操作


590の画像を原寸大表示します お久しぶりです。
したの奥山さんの書き込みにもありましたが、今年もSL夕張応援号が走りました。去年に比べると全般的に煙はすかすかで、一層DLに押されている感じだったのが残念でした。
場所は旧夕鉄営林署前駅付近です。
そうそうちゃんと汽車フェスタにもお邪魔させていただきました。

  
 

題名:Re: SL夕張応援号再び  名前:管理人 2008/09/07(日) 22:52 No.591  HomePage 操作

いやー良いですね。

やはり、蒸機に旧客は堪りませんね。
まあ、C11なので「爆煙」でなくても、これぐらいの煙も「快走」って感じが出ていて、良いものです。
沿線の、ギャラリー(子供たち)も良い入り方で「応援号」の雰囲気にぴったりです。

管理人は行けなかったので、早速DVDを申し込まなくては!

  
 

題名:Re: SL夕張応援号再び  名前:奥山道紀 2008/09/10(水) 21:26 No.592  HomePage 操作

592の画像を原寸大表示します 今年の汽車フェスタは、リアルオン様はじめ多くの皆さんが訪れ例年にない賑わいを見せました。
さて、新作のDVDは昨秋の夕張応援号の映像、鉄道関係者やファンから提供された過去の8ミリ映像などを編集。シューパロ湖畔を力走する3重連SL列車や、錦沢地区のスイッチバックを行く夕張鉄道の気動車などの珍しい映像もあり、炭鉱の開発と共に発展した夕張の街と鉄道の歴史が72分にまとめられています。
千本制作し、頒布価格は2千円。駅跡地近くの酒店「高橋善兵衛商店」(夕張市南部新光町55)でも取り扱います。
郵送希望の場合は2千円分の定額小為替と郵送料として切手200円分を同封し、〒069-0855 江別市大麻宮町4-6-502 三菱大夕張鉄道保存会事務局まで送付下さい。


  
 

題名:Re: 石炭の歴史村  名前:奥山道紀 2008/10/02(木) 17:58 No.593  HomePage 操作

593の画像を原寸大表示します マスコミ発表はありませんが、関係者からの情報により石炭の歴史村・SL館の指定管理返上=閉鎖が明らかになりました。
夕張市側としては、一部資料は歴史村他施設へ移設・展示を検討しているようですが、車両の扱いは費用負担も大きく未定です。
隣接の遊園地を無償解体した、札幌の解体業者はくず鉄ととして機関車に興味を示しているようですが、夕張の炭鉱の歴史を伝える貴重な車両で、しかも長らく屋内で保存され状況も良い車両ですので、何とか解体は回避したいものです。

  
 

題名:Re: 石炭の歴史村  名前:管理人 2008/10/02(木) 23:51 No.594  HomePage 操作

奥山さま 情報有り難うございます。
SL館の指定管理返上=閉鎖の可能性が高まっているとのこと
蒸機と客車がセットでこれだけの好条件で保存されているのは、日本では唯一といっても過言では有りませんでので。これは、後生まで後悔することになりかねません。

これは、座視できませんね。
大したことはできませんが、何か出来ることは無いでしょうか?
署名はやっちゃたし、せめて移設費用のカンパとか、一口千円ぐらいから、10口以上で、歴史村の永久入場証(記名人限り!)がもらえるとか・・・

出来れば、現地での保存が望ましいですが・・・
取りあえず、除雪費用のカンパも必要かも。。。

どこかJRグループの新鉄道博物館構想にでも、入らないだろうか?? 確か、東、東海に引き続き、西でも計画があるはずです。「北海道」なので、国鉄籍の経歴が無い車は難しいのだろうか?

  
 

題名:なんですとー!!  名前:リアルオン 2008/10/03(金) 22:11 No.596  操作

こんばんわ
これは何とかしなくてはいけません。
あの車両たちは夕張の宝です。
何か早急に考えなくてはいけませんね。
それにしても何でSL館をあんな遊園地の近くに造ってしまったのでしょう。私のやった事ではありませんが悔やまれます。

  
 

題名:Re: SL館再閉鎖の危機  名前:奥山 2008/10/04(土) 17:26 No.597  操作

歴史村一部指定管理返上については、今日になり色々と報道されるようになりました。
施設の欠陥や、無計画性はやはり、夕張市破綻の遠因でもあり、補助金を使い安易に施設を乱造したツケではないでしょうか。
歴史村の当初計画では石炭博物館横に線路を引き機関車を置く予定になっていました。それが、今度はSL館という単独の施設になり、コンサルの描いた絵では、レンガ造りの機関庫風の建物となっていました。
過去に紀行作家の故宮脇俊三氏を案内した事がありますが、夕張市の担当者が自慢して「普通の建物ならインパクトが無い。何か奇抜な建物に出来ないか」という故中田市長のアイデアで、巨大な機関車の外観の建物が誕生したと自慢していましたが、当方は横で恥ずかしい思いでした。デザイン過剰で、雪下ろしなどその後の維持・管理を何も考慮していない施設が、市長の鶴の一声で決まるのです。
単なる観光施設でなく、貴重な文化財という認識があれば、もっと別な保存方法があったのでは無いでしょうか。
11日には鉄道の日に絡めた親子ツアーも入るようですが、何とかしたいものです。


  
 

題名:Re: SL館続報  名前:奥山道紀 2009/01/19(月) 20:52 No.633  HomePage 操作

633の画像を原寸大表示します お世話になっています。昨年指定管理の返上されたSL館の雪下ろしを、今なお市民の足として健闘している夕鉄バス(夕張鉄道)の協力により、2月7日に実施することとなりました。
詳しくは保存会ホームページの掲示板をご参照下さい。よろしくお願いします。
画像は、ツアー参加者への記念品です。

  
 

題名:Re: SL夕張応援号再び  名前:管理人 2009/01/20(火) 00:17 No.634  操作

奥山さま

こんばんは、今年も雪下ろしの季節ですね。記念品も魅力的ですので、ぜひ近隣(遠くても!)の方は応援を!



題名:こんばんは  名前:C57135 2008/12/14(日) 01:09 No.620  HomePage 操作


620の画像を原寸大表示します ホントに、「指をくわえて見送った」12月14日でした。
この日が来るたび、思い出しては切なくなります。
トシなのかな?

雪景色の梅小路。管理人さんの地元にお邪魔しました。
ツバメも雪を見て、何か去来するものがあったでしょうか。

  
 

題名:Re: こんばんは  名前:管理人 2008/12/15(月) 22:15 No.622  操作

622の画像を原寸大表示します お久しぶりです

季節柄も有りますが、毎年切なくなりますね。
体調の問題も有って、最近は冬の撮影を控えていますが、本当は冬景色が一番好きです。蒸機が一番引き立つからかもしれません。


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