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* 帝後学園の春
 

日時: 2014/06/15(日) 01:13:23 メンテ
名前: 香取犬

中高一貫校である帝後学園。出会いと別れの春に、生徒たちは“卒業”をする。

今回の作品は前作ほど長くはなりませんが、例によって更新は不定期です。
本作の簡易な人物紹介をブログ「ハイグレ郵便局 香取犬支店」で行っていますので、良かったらご覧ください。
URL:http://highglepostoffice.blog.fc2.com/
 
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* Re :帝後学園の春 ( No.1 )
 
日時: 2014/06/15(日) 00:11:37 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 寒さも和らいだ3月中旬。とある中高一貫校の体育館では、160名の卒業生とその保護者たちが神妙な顔つきで座っていた。
 この学校は中等部と高等部との間で卒業式と入学式を執り行う。例年9割方の生徒はエスカレーター式に高等部へ進学するが、残りは他の高校へ移り、その分は外部生として他の中学校の卒業生を迎え入れて補充、及びクラス拡張をするのだ。中高一貫校と言いつつも節目の式を行うのは、そういう訳である。
 高等部へ進学する多くの生徒の胸の中には、今後の不安はほとんどない。対称的に別の高校へ進学する者達にとっては、今日が友人との別れの日となる。惜別の念はひとしおであった。
 静まり返った空間に、女性教師のマイクを通した声が響き渡る。
「これより、帝後学園中等部……卒業式を、挙行いたします」
 そして、世にも奇妙な“卒業式”が始まった。

「え!? 彩音、進学じゃないの!?」
 渡瀬華は、卒業式の一週間前になって初めて聞いた、親友の告白に酷く動揺した。彩音も自分や大多数と同じく高等部へ進学するものと思っていたからだ。いや、正確には疑いを挟むことすらしたことはなかった。
 申し訳無さそうに眉をハの字にし、矢野彩音は深く頷く。
「黙っててごめんね。でも私、どうしてもしたい勉強があるの」
「そっか。ならしゃーないか。しっかり頑張んなよ」
 手を頭の後ろで組み、ニカッと笑う蕨明乃につられて、彩音も頬を緩める。
 そこで「でもっ!」と普段出さない大声を出したのは、竜堂鈴であった。
「ずっと友達、だよね? わたしたち……」
 鈴が顔を真っ赤に染めて吐き出した本心を聞いた彩音の心には様々な思い出が去来し、自然と熱いものがこみ上げてきた。
「当然じゃない。これからも連絡は取り合おうね」
「う、うん!」
 その間何やら考えていた華が、ポンと手を打った。
「そうだ! 彩音の学校の学園祭に、あたしたち三人で行こうよ!」
「いいねぇ、それ」
「ちょ、ちょっと華も明乃も……気が早すぎない?」
「えー? 先に決めちゃわないと別の予定が入っちゃうかも知れないじゃん」
「わたしも絶対行きたい。だから、約束」
 三人にじーっと期待の眼差しを向けられて、彩音は首を横には振れなかった。元々振る気もなかったが。
「分かったわ。その時は私がみんなを案内してあげる」
「やった!」
 例え離れ離れになっても四人の絆は切れはしない。約束で繋がった四人は、こうして再会を約束した。

 蕾の膨らみ始めた桜並木を、セーラー服に膝下丈の紺のスカート姿の華はゆっくりと歩いていた。今日は中等部の卒業式だ。高等部の校舎は同じ学校の敷地内ではあるが、中等部の建物とはとても離れており、両者の交流も皆無である。故に三年間歩いたこの道を通るのは、これが最後になる。青空をバックにかかる枝のアーチを感慨深げに見上げながら進むその足取りは、軽やかだ。
「華、おはよ!」
 そんな華の肩を叩いたのは、A組の安藤帆乃佳だった。華が振り向くと隣にはB組の竹林陽奈、C組の加賀いずみがいた。今でこそバラバラだが彼女らと華は1年生の時に同じクラスで、よく一緒に遊んだ仲であった。進級時一人だけクラスが別になった華は、必然的に三人と関わる回数は減ってしまったが、それでも仲は良かった。ちなみにその二年生時にできた友人が、彩音と明乃と鈴だ。
「あ。帆乃佳、陽奈、いずみ、おはよー」
「おはよう、華。いい天気だね」
「いやー。今日は本当に、絶好の卒業式日和だなっ」
 陽奈といずみがそう返す。帆乃佳もそれに続く。
「ね。華が見惚れるのも分かるくらい、綺麗な青空」
「み、見てたの?」
「ああ、バッチリな。足元に石があっても気づかず転びそうだよなって話してた」
 いたずらっ子のように笑ういずみに、華は少しだけ恥ずかしさを覚えた。
「それはともかく」と陽奈が仕切る。「わたしたちはみんな高等部進学だし、これからもよろしくね」
「うん。また同じクラスになれるといいね」
 その華の言葉に、いずみと帆乃佳も笑顔で同調した。
「高等部と言えば、こんな噂知ってるかな?」
 校舎へと歩きながら、陽奈が切りだす。
「なになに?」
 周囲の食いついた反応に満足し、陽奈はわざと勿体ぶった言い方をした。
「高等部には、中等部の生徒が知ってはいけない秘密がある……!」
「そ、それは……?」
「――わたしも知らない」
 ガクリ。肩透かしを食らった三人は口々に不満の声を漏らす。
「だってあくまでも噂だもの。それに噂が本当かどうかなんて、もうすぐ自分の目で確かめられるでしょ?」
「そうかもしんないけどさー」
 とは言え知らないものは仕方ない。それからも他愛無い話を繰り返す四人。
 昇降口が近づいてきた頃、華が不意に気付いた事があった。
「あのさ、帆乃佳って出席番号1番だっけ?」
 いきなり何でそんなことを、という表情をした帆乃佳だったが、少し考えると合点がいった。
「――そうだ、私たち一番最初と最後なんだね!」
「やっぱりそっかぁ。なんか嬉しいかも!」
「なあ、話が見えないんだけど」
 急に飛び跳ね出した二人を前に首を傾げるいずみに対して、同じく意図を理解した陽奈が答える。
「卒業式での呼名の順だよ。安藤帆乃佳がA組1番で、渡瀬華がD組40番。ほら、丁度最初と最後になってる」
「おおっ、凄いなそれ!」
 そんなこんなでようやく昇降口に辿り着いた四人。この下駄箱に靴を入れるのも最後か、などとあらゆる行動に感慨を覚えてしまう。
 四人は三年間で幾度と無く通った廊下と階段を過ぎ、それぞれの教室に別れて入っていく。その寸前に、
「華、ちゃんと式をシメてよ?」
「帆乃佳こそ最初トチったら笑うからね?」
 最初と最後の卒業生はハイタッチを交した。
 教室には、登校時間から二十分くらいは余裕があるにも関わらず、多くの生徒が既に揃っていた。そして黒板には、でかでかとチョークの極太フォントで『卒業おめでとう!』の文字が。その周囲に思い思いに落書きを書き足している者もいる。
 華の心にそこに加わりたいという小さな衝動が芽生えるも、しかし不発に終わる。
「華、これ付けてー」
 教卓に立っていたのは学級委員の酒井夏希。その手にはピンクの花をあしらったコサージュのたくさん入った箱があった。よく見ると一つ一つに名前が書いてある。
 夏希から受け取った自分用のそれの安全ピンを用いて、胸ポケットに装着する。だが、見えるのが真上からの角度ではなかなか真っ直ぐには付けられない。華が手間取っていると、見かねた夏希がやって来て瞬時にこなしてしまった。
「はい完成っと」
「わ。ありがと夏希」
「いえいえ、お安い御用よー」
 そう言って手をひらひら振る夏希は、次にやって来た男子にも同じようにコサージュを付けてやっていた。そりゃ手慣れもしますわ、と華は心のなかで呟いた。
 よく見ればみんなの胸にも花が刺さっていた。クラスの半分弱は学ラン姿の男子、残りはセーラー服の女子である。古臭く地味な制服ではあるが、そこにコサージュがアクセントとなって映えている。その非日常感は、今日の雰囲気と相まって哀愁の気持ちをより強く引き起こす。
 ちなみにこの中高一貫校では中等部と高等部の制服は別の物を買わされる。高等部のそれは男女ともにブレザーということを聞かされた進学生は、既に採寸と注文を済ませている。
 華は教室の一番後ろ、窓際の席に向かう。出席番号40番の宿命とも言える隅の席だ。
「ふぅ。鈴、おはよー」
「あ、おはよう華」
 鈴は華の方へ首を向け、ニコリと笑った。竜堂鈴は39番、つまり華の前の席である。その鈴は更に一つ前の、弓原清香と話していた。
「華、いよいよ今日で終わりだね」
 清香が淋しげに言って、華は思い出す。この清香も、高等部進学組ではないということを。
「そういう言い方ナシだってば。悲しくなっちゃうじゃん」
「はいはい。まあ、死に別れるわけじゃないんだしさ、また会えるよ」
「……うん、そうだよね」
 言葉の上では納得していても、どこか割り切れない気持ち。鈴だけではない。それは華も清香も同じ思いだった。
 沈んだ空気を吹き飛ばそうと、華は次の話題を提示する。
「ねえ。二人は今日、親来るの?」
「わたしのお母さんは、来るって言ってたよ」
「うちもそう。だけど……多分妹も一緒だと思う」
「あ、清香って妹いるんだっけ」
「二人ね。あと、弟が一人。下の4歳の妹は留守番できないから」
「華ちゃんは? 確かお父さんもお母さんも、仕事で忙しいんじゃ……」
「まあね。だからうちは、代わりにお姉ちゃんが来るってさ」
* Re: 帝後学園の春 ( No.2 )
 
日時: 2014/06/15(日) 00:13:19 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 華の姉の翠は漫画家だ。高校在学中にデビューをし、20歳となった今も連載を数本抱える人気の漫画家である。華の卒業式のために、締め切りの迫る原稿を電光石火の早さで描き上げてきたという。そんな妹思いの姉を、華もまた好きだったし、尊敬もしていた。
「じゃあ、しっかり見届けてもらわないとね。華が卒業証書を受け取る瞬間を」
 別に証書を受け取る順が最後だからといって、リレーのアンカーと違って重責を負うわけではない。しかし「最後」という言葉の重みが、華に不必要な緊張を与えていた。
「が、がんばりますっ」
 わざとらしくカチコチになって言うものだから、思わず二人は笑ってしまう。
 そして三人はお喋りをして時間を過ごした。この何気なく楽しい日常も今日で終わりということは、極力頭の隅に追いやって。
「――清香、鈴、華。行くよ」
 不意に会話に割って入ったのは、清香の前の席である箕輪月子。月子の落ち着いた声に周囲を見渡すと、いつの間にか半数以上は既に廊下に整列していた。
「うわっ。月子、ありがと」
 華の礼を気にする素振りもなく、月子は廊下に向かっていった。彼女は口数は少ないが、だからこそこうした優しい一面が目立って見える。
 慌てて後を追い、列に加わる三人。皆も緊張しているのだろうか、話すとしても小声程度で、似たような状況である避難訓練時にはぎゃあぎゃあ喋りまくっているのが嘘のようだ。
 体育館の中には保護者が待機している。あとは主役である卒業生の入場を待つばかりだ。その卒業生160名も今、ようやく準備が整った。
「卒業生、入場。皆様、拍手でお迎えください」
 A組の担任である女性教師が、柔らかな声で告げる。同時に扉が開き、帆乃佳を先頭に体育館へと入っていく。リハーサルと異なるのは、やはり保護者の存在だ。暖かい拍手の雨が、行進する卒業生に降り注ぐ。
 A組、B組、C組が入場し終え、充てがわれた横一列の席に着くと、最後はD組の番。華を最後尾に、40人がまばらになりかけの拍手の中を進んでいく。肌に触れる空気に緊張はするもののどこかリラックスもしている、晴れの日独特の不思議な感じがした。
 体育館を縦に貫く花道の左右にそれぞれ20席ずつ、それが4列配置されている。ここに、華までの全160名が一斉に腰を下ろす。
 拍手は止み、やがて静寂が下りる。時を見計らい、
「これより、帝後学園中等部……卒業式を、挙行いたします」
 こうして様々な思いを乗せて、“卒業式”が始まった。
 国歌、校歌の斉唱をつつがなく終えた頃には、生徒の心にも少しの余裕が芽生えていた。
「華、鈴」
 そう呼ぶ小さな声が、華の前から聞こえた。首を最低限に回して目を向けてきたのは、華と同じ40番を与えられていたC組の明乃だ。華と鈴は返事の代わりに手を振る。あまり大声を立てて先生たちに睨まれたくはない。
 現在の席配置は、左後ろ隅の華に対し、右は鈴、前が明乃となっている。そしてC組の列で明乃から右へ2人挟んだところから、
「しーっ」
 彩音が口に手を当て、静かにするよう促していた。
 四人は皆、出席番号が後方になる苗字の持ち主である。故にこのように並ぶとどうしても固まってしまうのだ。もちろん親友が近くにいるということで、四人は心強さを感じていた。
「卒業証書、授与」
 アナウンスを聞きながら華は思う。
 ……この四人の中だと、彩音が最初に証書を貰うんだな。あ、でも本当の一番最初は帆乃佳の方か。まあ、あたしが最後なのは変わんないけど。
 これから自分の出番まで数十分。同級生みんなの卒業証書を受け取る姿をゆっくり見届けよう、と華は決めた。
 そのうちに、帆乃佳を前にA組の3人が立ち上がり、舞台へと歩いて行く。
 この先の順序はこうだ。舞台向かって右に設置された階段の下に2人が待機し、帆乃佳は階段を上って気をつけの姿勢で振り返る。A組担任が「安藤帆乃佳」と名を呼ぶと、帆乃佳は「はい」と答え、学園長の前まで進む。このとき待機していた2番が階段を上って帆乃佳のいた位置に着く。学園長が卒業証書読み上げの後それを渡すので、帆乃佳は両手で受け取り、一歩下がって礼をする。そして回れ右し、今度は生徒や保護者に向かって深々とお辞儀する。そして階段を降りて花道を通り、自分の席へと帰るのだ。ここまで見届けてから、担任は次の名前を呼び、4番の生徒は階段まで歩いて行く。これを160回繰り返す。誰にとっても気が遠くなりそうな単調な儀式だが、これをせずして卒業式とは呼べないのだ。
「――安藤帆乃佳」
「はいっ」
 帆乃佳の一声から、卒業の証の授与が始まる。会場の誰もが、彼女の一挙手一投足を凝視していた。注目の視線を数多浴びていることを自覚しながら帆乃佳は、徐ろに舞台中央に歩み出る。次に学園長に向き直り、一歩前へ。
 学園長と帆乃佳は、同時に頭を下げる。数秒の間の後、顔を上げた帆乃佳は気付いた。小太りで低身長、そして頭髪の薄い学園長と自分を挟む演壇の机上に、卒業証書の類が一切置かれていないことを。しかし、学園長の表情に焦りや気まずさはない。寧ろ今日という日が喜ばしいと言わんばかりの満面の笑みである。
 ……どうしよう。
 まだ学園長先生は気づいていないのだろうか。教えてあげたほうがいいのだろうか。初っ端から大失敗なんて、縁起が悪すぎやしないか。などとグルグルと思う帆乃佳。
 それに対し、学園長はあろうことか、
「卒業、おめでとう」
 何も気に留めず式を進行しようとしていた。
「あ、あの。証書は」
 学園長のマイクに拾われないよう、帆乃佳は小声で訊ねる。学園長はマイクを口から離して言う。
「証書をもらったと思って続けなさい。これから卒業の証をあげますから」
 腑に落ちない感はあったが、きっと今ではなく教室に帰ったら証書を貰うという形になったのだろう、と無理矢理納得する。仕方がないので帆乃佳は練習通りの動きを続けた。距離をとって学園長に礼をし、客席側に向き直ってから舞台のなるべく前端まで移動する。
 眼下には、3年間を共に過ごした級友たちがいる。壁際にはお世話になった先生たち。そして体育館後方は保護者で埋めつくされている。これだけの人数が、自分の晴れ姿を見てくれている。そしてその数は同時に、これまで自分を支えてきてくれた人の数に他ならない。
 保護者席の最前列から一直線に帆乃佳を見つめているのが、彼女の母であった。遠目にも、視線がぶつかったのが分かる。
 ……ママ、みんな。今までありがとう。これからもよろしくね。
 じわりと湧き上がるそんな思いを込めて、し得る最大限のお辞儀をしようとした――その瞬間であった。
 不意に客席がどよめいた。目線が自分ではなくその背後に集中していることが、帆乃佳にも感じられた。一体後ろに何が。きょとんとして振り向きかけた帆乃佳の体が――妖しげな光に包まれた。
「きゃああああああああああああああああっ!?」
 ……何これ!? 熱いよ……体が、頭が融けちゃいそう……っ! あ、ああああっ!
 舞台のど真ん中でピンクと青に明滅する光を浴び、悲鳴を上げる帆乃佳を、この場の誰もが目撃した。
「帆乃佳!」
「嫌ぁぁっ!」
 真っ先に叫んだのは、帆乃佳の母である。その他の生徒も保護者も突然の出来事にパニックを起こして、立ち上がったりうずくまったり、口々に恐怖や心配の声を出したりした。その中で、目を細めて光の中の帆乃佳の姿を凝視していた者だけは気付いた。大の字でもがく帆乃佳のシルエットを形作るセーラー服が掻き消えて、裸同然の輪郭になっていくのを。
 また、光の出処を目撃した者もいた。その者が見たのは、にやけた学園長が卓の影からライフル銃のようなものを取り出して、それを帆乃佳の背中目掛けて躊躇いなく撃ちこむ光景だった。
 帆乃佳の光が消えたのと体育館のざわめきが鎮静化したのは同時だった。視線が帆乃佳に集中する。そこから僅かに一瞬の間を置いて、驚愕と理解不能の衝撃が駆け巡った。
「え、あれ、水着だよね?」
「水色のハイレグ!?」
「うわ……っ!」
「さっきまで制服着てたはずでしょ、あの子……」
「帆乃佳、一体どうしちゃったの!?」
 帆乃佳は壇上で、15歳の肢体に水色のハイレグ水着一枚を纏っただけの姿になって立っていた。
 そして、
「ハイグレっ! ハイグレっ! ハイグレっ!」
 彼女は臆面もなく、いやそれどころか満面の笑みでそう叫び、両足をガニ股に広げてコマネチのポーズを繰り返した。腰まで切れ上がった水着の境目をなぞるように両腕を引き上げると同時に「ハイグレ」と言う。その言葉の意味不明さ、その動きのはしたなさ、その服装のミスマッチさ、全てにおいて彼女は異常だった。異常に、なってしまった。
「あぁ、帆乃佳……どうして……!?」
 目の前で起きた我が娘の変化が信じられず、わなわなと力なく座り込むスーツ姿の母。直後、その胸ポケットに受付で付けられたコサージュが、突然カッと輝く。
「何、これ――イヤアアアアッ!?」
* Re: 帝後学園の春 ( No.3 )
 
日時: 2014/08/16(土) 15:16:55 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 帆乃佳の母は、文字通り瞬く間にピンクの光に飲み込まれた。周囲の保護者、最後列の生徒たちは叫び声を耳にして思わず注目してしまう。そして見たのは、まさに帆乃佳の身に起きた現象とよく似たシーンであった。
 光が収まると、帆乃佳の母は赤いハイレグを着させられていた。スーツなど姿かたちもなくなっていた。またしてもどよめきが生まれる。その中で彼女は立ち上がり、膝をガバっと開いて腰を落とした。
「ハイグレェ! ハイグレェ! ハイグレェ!」
 こうして帆乃佳の母がし始めたのは娘と同じ、意味の分からぬただただ恥ずかしい滑稽なポーズであった。
「ハイグレっ! ハイグレっ! ハイグレっ!」
「ハイグレェ! ハイグレェ! ハイグレェ!」
 安藤母娘のハイグレコールが、騒がしい体育館の中でさえはっきりと響き渡る。二人の変貌を目の当たりにして、まともな思考が働いた生徒や保護者はほぼ皆無であった。
 この場で1分前と同様の落ち着きを保っていた者たちが、やがてくつくつと笑い始める。それがいくつも重なりあい、妖しげな共鳴を起こす。
 生徒の誰かが、声を上げた。
「おい、先生たち笑ってるぞ!?」
 そう、体育館の端に控えていた3年生担任及び専門教科担当の教員たち、そして壇上の教頭と学園長までも全員が、口の端を持ち上げ肩を揺らしていたのだった。また、この時気付いた者は少なかったが、保護者席でこれまで妙に落ち着き払っていた数名も、同じように不敵に笑っていた。
 キィーン。学園長の手にあるマイクがハウリングを起こす。次いで、咳払い。今も奇妙なポーズを繰り返している帆乃佳の横まで歩み出た学園長が何を話すのか、固唾を呑んで待つ。
「……まずは式次第と順序と内容が異なることを、お詫び申し上げます。卒業生諸君、そしてご参列の保護者の皆様に於かれましては、さぞかし驚かれたことでしょう。しかし、これは初めから決まっていたことなのです。そう……この学校に入学した、その日から」
 途端に騒がしくなる場内を無視して、学園長は続ける。
「我が帝後学園は国内でも有数の中高一貫校です。各界に著名な卒業生も多く輩出しております。しかし、一つだけ。一つだけ、秘密が存在します。それが――」
 この学園長の合図をきっかけに先生たちが、保護者の数名が、そして学園長自身も、着用している礼服を脱ぎはなった。そこに現れたのは、色とりどりのハイレグ水着。男も女も年齢も体格も関係なく、一様に女性用水着のみの姿に変わったのだ。初めから水着を着込んでいた、そのように想像するのは決して難しくはなかった。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」
「はいぐれ! はいぐれ! はいぐれ!」
「ハイグレぇ! ハイグレぇ! ハイグレぇ!」
 まるで練習でもしたかのような綺麗に揃ったハイグレコールが、体育館を揺るがす。もちろん、生徒たちと保護者たちの心をも。
「我が校は人類の真なる姿、つまりハイグレ人間を増やし養成するためにある、ということ! そのために中等部では義務教育の過程を学ぶと同時に密かにハイグレ人間への転向の下準備をし、高等部ではより立派なハイグレ人間となるための訓練を行うのであります!」
 館内の人間たちは言葉を失った。対称的にハイレグを着たハイグレ人間たちは、陶酔しきった顔で演説を聴いていたが。
「式次第に訂正箇所があることをお伝えしましょう。それは、この式が卒業証書授与式などではなく――低俗な“人間”からの“卒業式”であるということ!」
「ハイグレっ! ハイグレっ! ハイグレっ!」
「ハイグレェ! ハイグレェ! ハイグレェ!」
「今のうちに一度申し上げておきます。卒業生諸君、そして保護者の皆様方。ご卒業、おめでとうございます」
 言って、45度の最敬礼をする。淋しげな頭頂と紫色の女性用水着の組み合わせには、なんとも言えない奇妙な哀愁が漂っていた。
 だがそんなことはどうでもいい。今、学園長の口から出た言葉を解釈すると、世にも怖ろしい宣告としか受け取ることが出来ないのだから。
 即ち、卒業生とその保護者は、この場で皆――ハイグレ人間にされるということ。
「なお、式が無事終了するまでは体育館から退出することは出来ませんのでご注意ください。また――」
「そんなの嫌あああああああああああああっ!」
 甲高い悲鳴が上がる。声の主は陽奈だった。陽奈の脳裏には今朝自分が話したばかりの噂話が蘇っていた。そう、あの話は本当だったのだ。高等部に進学するということは中等部の卒業式を経るということであり、つまり高等部の生徒は皆、ハイグレ人間。親友である帆乃佳の変貌を目の当たりにしたことも合わせて、陽奈の精神はボロボロだった。
 その恐怖と憔悴は、いともたやすく伝播していく。周囲の生徒に、保護者に。陽奈の叫びを皮切りに、場内は大パニックになってしまう。
「なんだよこれ! 何なんだよ!」
「水着にされるなんて……!」
「訳わかんないよぉっ!」
「こんな式なら、来なけりゃよかった!」
 そこに秩序はなくなっていた。震えだす者、うずくまる者、立ち尽くして慟哭する者。それだけでなく、我を失って訳のわからぬことを叫び出す者、突然暴れだす者もいた。だが、一番とった者の多い行動は、体育館後方の唯一の扉から脱出しようとすることだった。
「助けて! ここから出なきゃ!」
「陽奈! 落ち着け!」
 我先にと駆け出す陽奈を、近くで見ていたいずみは跳びかかって抑えこもうとした。しかし制止を振り切って、陽奈はふらふらと走って行ってしまう。
 とりわけ大きくもない両開きの扉に殺到する人々。彼らに僅かの冷静さと人の話を聞く耳があれば、直後に起こる惨劇だけは回避できたはずであっただろう。
「――無理に逃げようとした方や、円滑な卒業式の進行を阻害した方は、即時ハイグレ人間に転向していただきます」
 体育館を出た廊下に待機していたのは、帝後学園高等部のハイグレ人間たちであった。その数、数十。蟻の子一匹通さぬように道幅いっぱいに詰め寄せる水着姿の若者たちは皆、小型のおもちゃのピストルを手にしていた。
 それらが、息を呑む逃亡者たちに向かって一斉に光を噴いた。
「キャアアアアアアアアアっ!」
「うわああああああ!」
「嫌あああああああああああっ!」
「ああああああああああッ!」
「クソオオオオォォォっ!」
 目も眩むような閃光と断末魔が消えると、先程まで制服やスーツ姿などであった生徒、保護者合わせて40人程度が一瞬にして、色とりどりのハイレグ水着姿に変わっていた。彼らは目を開き、そして自分の現在の姿を確認した。誰もが信じられないような表情になった直後、体が勝手に動き出し、あのポーズを取り出すのであった。
「うぅ……ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
「はいぐれっ! はいぐれっ! と、止まらな――はいぐれっ!」
「誰か助けて……っ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」
「ハイグレぇ! ハイグレぇ! ハイグレぇ! 恥ずかしいのに、気持ちいいよぉ……」
「チクショウ、何で俺まで! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
 帆乃佳やその母と彼らが違うのは、抵抗の様子があることや、恥ずかしがる声が上がっていることだ。また、水着姿となった際に上履きや靴下、メガネや髪留め等の類を除いて全ての衣類が消え去っているにも関わらず、胸元の生地には元の通りピンクのコサージュがついたままになっていた。
「ハイグレ……ハイグレ……ハイグレ……!」
 人混みの中に、瞼をギュッと閉じて頬を染めながらか細い声でハイグレをする、陽奈がいた。いずみは遠目ながらにその後ろ姿を発見してしまった。オレンジ色のハイレグに半分包まれたお尻が、少しだけ垣間見えたのだ。
「陽奈……」
 すると学園長がホッホッホと不気味に笑い、話し続けた。
「式には高等部の生徒にも協力していただいています。彼らも皆さんの卒業を、心より喜んでいますよ。……ところで人間の皆さん、胸のコサージュを御覧ください。光っている方はいませんか?」
「あ、私……」
 夏希が自分の胸を見下ろして呟く。他の生徒や保護者も30名近くが、同じ現象に遭っていた。
「卒業生とその保護者には、それぞれ対になったコサージュを配布しています。故に片方がハイグレ人間となれば必然的に――」
「わあああああああッ!」
「いやああああああああ!」
「うわあ!?」
「ヤダああああっ!」
 体育館の所々で悲鳴とピンクの光が生まれた。そしてそれはすぐに、
「ハイグレ! ハイグレ! ぐすっ……ハイグレ!」
「ハイグレェ! 水着が、キ、キツすぎる……ハイグレェ! ハイグレェ!」
「くぅっ……体が勝手に――ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレ!」
「ママ、パパぁ……はいぐれっ、はいぐれっ、はいぐれっ……」
 哀れなハイグレコールに変わるのだった。
「――こうなるわけです。ちなみに高等部の生徒たちに持たせている光線銃は不完全で、威力も半端なものです。それでは心までハイグレ人間になることは出来ませんし、コサージュも残ります。とは言え、身体は殆どハイグレ人間のそれですがね。私の持つこの銃で撃たれたときに、ようやく完全なハイグレ人間になることが出来るのです。今皆さんが味わっている苦しみは、一度でもハイグレを拒んだことへの罰です。速やかに席に着き、贖罪と卒業のときを待っていなさい」
* Re: 帝後学園の春 ( No.4 )
 
日時: 2014/06/15(日) 00:15:07 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 ハイグレ人間でない者に価値はないと言外に含んだ言い方で、学園長は平坦に述べた。すると出入口や体育館内で無理矢理ハイグレをさせられていた不完全なハイグレ人間たちが同時にハイグレを止め、代わりに戸惑いの声を漏らしながら元いた席に戻っていった。そして一歩歩く度に擦れるハイレグ水着の感触を、嫌というほど身体に刷り込まされるのだった。
 不完全だろうが何だろうが、ハイグレ人間にとって上位の者、即ち学園長の命令に従うことは絶対である。悔しさに顔を歪ませても、恥ずかしさに頬を燃やしても、どれだけ強靭な意思で身体の自由を取り戻さんとしても、刻まれた本能に抗うことは不可能だ。
 残った生徒約120名、保護者約130名。それ以外は皆ハイレグを着た姿になって、着席した。人間たちは近くに帰ってきた哀れな友人や知人を目の当たりにして、戦慄するしかなかった。
「何やってんだよ陽奈……!」
「い、ずみ……ごめんね……」
 いずみの力ない言葉に、オレンジの水着姿になってしまった陽奈は涙を湛えた目で振り向いて謝罪した。いずみの胸にやるせなさが満ちていく。未だ壇上で笑顔でハイグレポーズをしている帆乃佳を見て、更に怒りが込み上げる。
 こんなことになってしまったのは誰のせいだ。そんなの学園長のせいに決まってる。許せない。何としてでもみんなを元に戻させるんだ。思った瞬間、いずみの身体は衝動的に学園長目掛けて走りだした。
「皆をぉっ! 戻せええええええッ!」
 同じように行きどころのない怒りを感じていた男女生徒数名も、それに従って飛び出した。
 彼らに周りは見えていない。そう、体育館2階部分にあたる、細いギャラリーにいつの間にか高等部の生徒が何十人も現れて、各々が光線銃を構えていたことにさえ、気づいていなかったのだ。
「いずみ! 戻って!」
 ハッとした華が鋭く叫んだ時、すでにいずみは帆乃佳の横を駆け抜けて水着姿の学園長の眼前に迫っていた。いずみに華の声は聞こえていたが、今更引き返すことは出来ない。
 撃たれる前に殴り倒すか、銃を奪って壊す。どうせ相手はこんな体型だ。そのくらいは簡単なはず。いずみはそう推測していた。しかし学園長は余裕の笑みを崩さず、それどころか逃げる素振りも銃を構えることもしなかった。
 あと二歩で手が届く。いずみが大きく踏み込んだ瞬間だった。
「うわああああああっ! ハイグレっ! ハイグレっ ハイグレっ!」
「いやああああああッ! はいぐれ! はいぐれ! はいぐれ!」
 いずみの意気に賛同して付いてきてくれた者達が、背後からハイグレ光線を浴びてハイグレ人間にされてしまった。その悲鳴によって、無意識に硬直してしまういずみ。しまった、と思ったときには遅かった。
「くぅあああっ! ……ハ、ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
 彼女にも、高等部の生徒による射撃の雨が降り注いだ。あと僅かのところで黄色のハイグレを着させられたいずみは、無念の思いでハイグレを繰り返す。もしもいずみの手が学園長に届いていたとしたら、どうなっていたのだろうか。それを知る術は、最早ない。
「抵抗は無駄ですよ。皆さんは間もなく人間を卒業する。これは定められた未来なのですから。……さあ、席に着きなさい。式を再開しますよ。安藤さんも」
「――ハイグレっ! 分かりました、学園長先生! ハイグレっ! ハイグレっ!」
 帆乃佳は名残惜しそうに階段を下りていく。そして謀反を企てた生徒も席に戻り、配置だけは式の開始時と同じようになった。但し表情は、誰もがどん底のように沈みきっていたが。――教師や高等部の生徒、それと帆乃佳とその母を除いて。
 緑のハイレグ姿を露わにしたA組担任が、出席番号2番の名前を呼ぼうと息を吸い込んだ、まさにその時だった。
「うわああああああああああん! あああああああああん!」
 耳を劈く鳴き声が、保護者席から発せられた。驚き、視線を向けると、号泣していたのは幼稚園児くらいの女の子であった。
「ふ、ふう!」
 清香が振り向き叫ぶ。泣いていたのは清香の妹、楓香だったのだ。母親は小さな娘を慌てて抱きかかえ、必死に声を押し殺させる。目をつけられたら問答無用でハイグレ人間にされてしまうのだ。とにかく今、変に学園長を刺激させるわけにはいかない。
「ふう、ダメよ。静かにして、ね?」
 母が小声であやすが、胸に伝わるビリビリとした振動は楓香が泣き止んでいないことを如実に表していた。こちらを見つめる姉、清香に対し母は心配するなと首を振る。唇を噛み、清香は前を向く。その手は祈るように組まれていた。
 楓香は母を引き離すように肩を突っ張る。涙や鼻水でぐしゃぐしゃになった顔が、母の前に現れる。母には娘の意図が分からなかった。そして片手で自分のワンピースの胸元に付けられたコサージュを、一気に引きちぎった。
「これ! 光るお花怖いの!」
 そして投げ捨てられ、床を転がるコサージュ。母は驚いた。楓香は楓香なりに事態を把握しており、このコサージュがなければ自分に被害はないと考えた、ということに。それは、気が動転していた場の誰もが思いつかなかったことであった。その手があったかと驚嘆し、保護者も生徒も自分のコサージュを外さんと手を掛ける。
 しかし、そのような安易な解決策が許されるはずは、なかったのである。
「キャアアアアアアアア!」
「ふうっ!? ああああああああああっ!」
 誰かが銃で光線を撃ったわけではない。外されたコサージュが独りでに発光し、一筋のピンクの光を母親の腕の中にいる楓香に向けて放ったのだ。そしてコサージュを通して伝播した光が、母親をも包み込む。
「ふう! お母さん!」
 清香は我慢できず振り返った。そうして目にしたのは、青いハイレグを着た母と、女児に着せるには刺激的過ぎるピンクの水着姿になった妹であった。
「きよかねーちゃん……怖いよぉ……! は、はいぐれっ、はいぐれっ、はいぐれっ」
「ご、ごめんね、清香――ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」
 恥ずかしそうにハイグレポーズをとる母娘が、こうしてまたしても増えてしまった。それを見たあとでコサージュを外そうなどと考える者は、皆無になった。
 ガクリと肩を落とし俯いた清香の胸元では、コサージュが嬉々として光りだしている。清香はこれから己が身に起こることを悟った。
「月子、華、鈴。ごめんね、ちょっと……目ぇつぶってて」
 精一杯の空元気を振り絞り、清香は近くの友人に笑いかけた。華と鈴が清香の名を叫ぶ。月子はいたたまれず目を背けた。
「うああああああああっ!」
 光に呑まれた清香。数秒後彼女は、黒のハイグレ姿となって現れた。先ほどまでスカートがあった部分はさらけ出され、身体を覆うのはキツく薄い生地一枚だけ。そして引きつった顔で、
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
 と一頻り繰り返して着席する。それと同時に、保護者席の母と楓香も座った。
「清香ちゃん……」
 左隣の鈴が、怯えきった表情で呼ぶ。友人がすぐ隣でハイグレ人間に変えられたのだ、無理もない。
「眩しかった、でしょ? 大丈夫だった……?」
「そんなの清香ちゃんに比べたら!」
 涙目になって言う鈴に、清香はなお強がって笑顔を作った。
「ありがと。でも、声は抑えて。鈴までハイグレなん――っ」
 清香の言葉が突然詰まる。口をパクパクとさせても、鍵がかかったように声を継ぐことが出来なかった。ハイグレ人間としての本能が、ハイグレを貶める言葉を言わせないようにセーブしているのだ。それを悟られぬよう、口元に指を当てて静かにするようジェスチャーする。
 ごほん、と学園長が咳払いをして注意を引いた。
「今度こそ、よろしいですかな。では、卒業式を再開します」
「――犬養潤菜」
「っ!」
 A組2番、この騒動のなかずっと舞台端でオドオドしていた彼女の名が、ようやく呼ばれる。いや、遂に呼ばれてしまったと言った方が良いかもしれない。
 ……このまま学園長先生の前に行ったら帆乃佳みたいにされちゃう。そしてお母さんも。でも、逃げたり無視していても、きっと上の人達に撃たれちゃう。どうしようもないじゃん……!
 そう、それは生徒の誰もが考えていたことだった。逃走は阻まれて不可能なうえ、外せないコサージュによって保護者を人質に取られている状態。そして学園長の命に従っても抗っても、ハイグレ人間にされる。これが卒業式である以上、必ず全員の番が回ってきてしまう。その時が来ればハイグレ人間となることは確実。
 彼らに逃げ道は、存在しなかった。
 華は気付く。あと158回のハイグレ人間化を見たあと、最後まで人間としてこの場に残り、最後にハイグレ人間にされるのは、自分と姉の翠であるということに。その時は確実にやってくる。それをずっと怯えて待たねばならない、ということに。
 彼女は先ほど振り向いた時に、保護者席に翠がいることを確認していた。こんなことなら来てほしくなんかなかった、と心の底から思ったが、今更どうしようもない。
 卒業生は、一列に並んで処刑の刻を待つ死刑囚であった。名を呼ばれれば自らの足で階段を上らねばならない、哀れな虜囚だった。
* Re: 帝後学園の春 ( No.5 )
 
日時: 2014/08/16(土) 15:18:47 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

「犬養潤菜っ!」
「は、はい!」
 急かされ、舞台の中央に足取り重く歩いて行く潤菜。横目で客席をちらりと見る。生徒や保護者はほとんどが俯いて慄いているか、憐憫の目を向けているかのどちらかだった。
 学園長と対面し、会釈しあう。単調な「卒業おめでとう」と言う祝辞によって、もう自分は助からない、ということが肌で感じられた。
 それでも潤菜は一縷の望みをかけて、おずおずと訊ねる。
「……どうしても、その姿にならなければいけませんか……?」
 学園長の返答は、
「――振り向いて前に出なさい」
 それだけだった。
 ……ハイグレ人間になんか、なりたくないよぉ……。
 奥歯を噛み締めて回れ右をし、二歩前に進む。そこからは客席がよく見える。つまり、逆に客席からもよく見える位置だ。こんな所で水着一枚の姿にされ、あまつさえ股を開く下劣なポーズをさせられるのだ。それも笑顔で。笑顔など、今潤菜がしている泣き顔とは完全な真逆である。自分が喜んでハイグレをするようになってしまう、それが一番の恐怖だった。
 しかし無常にも、その時が来た。学園長が銃を担ぎ、引き金を引いたのだ。
「いやあああああああああああああッ!」
 ピカピカピカとピンクと青の光が入れ替わり、晴れるとセーラー服から白のハイレグ水着姿に変わっている、というのは本人は勿論のこと、見ている側としても怖ろしい。しかも、
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! わたし、犬養潤菜は人間を卒業し、ハイグレ人間になりました! ハイグレッ!」
 そんな数秒前の彼女の様子からは想像もできないような宣言を満面の笑みで繰り出されたら、絶句する以外にないだろう。
「潤菜っ! ――きゃああああっ! ハイグレぇ! ハイグレぇ! ハイグレぇ!」
 潤菜の母もコサージュによってハイグレ人間に変貌する。
 これが学園長の言う“卒業”。これから自分達もさせられる事になるおぞましき儀式に、生徒と保護者たちは身の毛がよだつ思いがした。
 だが、まだ卒業式は始まったばかり。続けて次の犠牲者の名が、スピーカーからこだました。
「――井村謙介」
「は、はい」
 ひどく混乱している様子が、そのキョロキョロとした眼球運動からよく分かる。一歩一歩学園長の前へと進む足取りは、いつ膝を屈してもおかしくないほどに不安定だ。
「卒業、おめでとう」
 対面すると、ハイレグ姿の学園長は静かに述べた。片手には大型の銃を持って。
「学園長先生、俺もそれ、着るんですか……?」
 まさか、俺は男なんですよ。壮大な冗談であることを半ば期待しながら、謙介は問うた。バスケ部主将を務めた182センチの肉体では、流石に女性用水着が似合う道理もない。これが、謙介の出来る精一杯の抵抗だった。
 学園長は長身の男子生徒の顔を見上げる。
「君の一つ先輩の川村くんも、同じようなことを言っていました。しかし、彼も今は立派なハイグレ人間です」
「……!」
「さあ、正面を向きなさい」
 言われるがまま、舞台の端まで進む謙介。うつろな瞳が、ふとギャラリー部分に立つ緑のハイレグを纏った男子生徒に留まった。謙介よりやや大きな体格と、厳しくも優しい性格を持つ彼、
「キャプテン……っ!」
 川村は、今まさにハイグレ人間になろうとしている後輩に、親愛の情を込めた眼差しを送っていた。それは謙介にとっては、絶望の対象でしかなかった。
 呆然と立ち尽くす謙介に、容赦なくハイグレ光線が流し込まれる。
「ぐ、ぐわああああああああああ!」
 野太い悲鳴が、体育館じゅうに響き渡った。まばゆい光は、謙介をハイグレ人間へと生まれ変わらせていく。男子のハイグレ化の光景はあまりにも哀れで、目を背ける者も多かった。
 光と声が晴れたときには、謙介は茶色のハイレグ水着一枚の姿にされていた。薄い水着の生地に筋肉の形がくっきりと浮かび上がっており、会場は得も言われぬ雰囲気に包まれていく。
 そして逞しい脚が外側に開かれ、鋭い切れ込みに合わせて両腕を動かす。
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! これからはバスケの練習だけでなく、毎日ハイグレを欠かさず行います!」
 股間を強調するポーズを真顔で数度繰り返したあと、謙介は階段を下りる。花道を堂々たる足取りで行く彼を、両端の生徒の多くは同情と嫌悪の目で見送った。
 謙介のハイグレ化と同時に保護者席からも一人人間が消えたが、式は滞り無く進んでいく。
「――上田湊」
「ハイグレ! うぅ……」
 次に壇上に上がったのは、既にハイグレ人間となっている小柄な少女だった。湊は呼名の際に滑らかなハイグレポーズをとったが、その顔は苦痛に満ちていた。彼女は先ほど、帆乃佳の洗脳に慄いて体育館を逃げようとした罰でハイグレ人間にされたのだ。そのようにしてハイレグを着せられた者は、精神までは完全に奪われない。しかしそれが幸運なことであるなどと、断定は出来ないが。
 洗脳が不完全とは言え、本当のハイグレ人間の命令に逆らう行動を取ることは不可能。黄緑の水着姿を恥じらう意志とは裏腹に、湊はハイグレをさせられてしまった。
「卒業、おめでとう」
「う、あ、ありがとうございます! ハイグレ!」
 その言葉もやはり、唇が勝手に紡いだものだ。湊の本心は今も、必死でこの場から逃げたがっていた。
 ……やだ、何が「ありがとう」なのよ! このままじゃ帆乃佳たちみたいにされちゃう!
 脳裏に焼き付く、自分の前にハイグレ人間にされた三人の姿。光線を浴びた直後、彼らは喜んで変態的なポーズをとるようになってしまった。それまでは今の自分と同じように抗う素振りを見せていたのに、だ。
 ……このままでも死にたいくらい恥ずかしいのに! あんなの笑ってするくらいなら死んだほうが絶対マシ!
 壇下から、自分のあられもない格好に無数の視線が注がれていることに気付いて湊は、これ以上ないほど頬を真っ赤に染めた。背後では学園長が、ライフルを構える音がする。
 湊は結局、逃げることが出来なかった。
「きゃああああああああっ!」
 ビカビカ点滅するハイカラな光に包まれた湊だったが、それが消えても容姿に大きな変化はなかった。挙げるとすれば、左胸に挿されていたコサージュがなくなっていることくらいだ。
 しかし光線は、もっと大事なものを彼女から奪ってしまった。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ大好き上田湊ですっ! これからもハイグレ頑張ります!」
 そう湊は満面の笑みで述べる。それを遠目に見ていた湊の母は無様に床に泣き崩れ、そのままピンクの光に包まれたかと思うと真剣にハイグレポーズを取り始めた。周囲にいた者はその異常さに改めて言葉を失った。
* Re: 帝後学園の春 ( No.6 )
 
日時: 2014/08/16(土) 15:21:12 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

「――海老塚莉愛」
「はい」
 莉愛は悲壮な決意を込めて、短く返事をした。
 ……黙ってあんなのにされるのだけは嫌。だったらせめて、どんなに不格好でも逃げてやるんだから。
 拳を強く握り、学園長の前に立つ。
「卒業おめでとう」
「……」
「どうしたんだね? 早くあそこに行きなさい」
 怪訝そうに促されたその刹那、莉愛は素早く身を翻して二歩ステップすると、壇を思い切り踏み切った。会場の全員が、宙を舞う莉愛の姿に目を奪われる。
 ……絶対に!
 1メートル数十センチの段差をものともせず着地して三歩四歩と進んでいく、まさにその時だった。
「撃て!」
 学園長の鋭い号令と共に、パパパパパ、と、ギャラリーの高校生らの持つ銃口が一斉にフラッシュする。莉愛は即座に自分の運命を悟り、唇を噛んだ。全方位からの攻撃を避けきれるわけもなく、
「くぅっ……!」
 もし実弾であれば、蜂の巣とも呼べない無残な肉塊に変貌しただろう。それほどの数の光線が彼女を撃ち抜き、無理やり濃いピンク色のハイレグを着せた。
 ……私は、何の為に……? ハイグレの、為に?
 効力の弱い銃による洗脳も、複数重ねれば強力になる。莉愛はつい数秒前まで固く胸に秘めていた思いをすっかり忘れて、花道上で無様な醜態を晒す。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
 見えてはいけないところをわざと強調するようなポーズを、ハイグレ人間となった莉愛は真剣な表情で繰り返した。彼女の母も今、娘と同様の状態にある。
 莉愛の決死の抵抗が虚しく終わったことを見た会場の人間は、再び絶望する。ここは、決して逃げ切ることの出来ない牢獄なのだ、と。黙ってハイグレ人間になることしか許されないのだ、と。
 学園長が、クイクイと指で壇上に莉愛を招く。
「戻って来なさい。私の銃でより完全なハイグレ人間にしてあげます」
「ハイグレ!」
 学園長の方に体を向けて一度ハイグレしてから、それに従う莉愛。制服姿で駆けた数メートルを、ハイレグ姿で戻っていく。
「式を乱してしまって……申し訳ありませんでした」
「毎年、君のような生徒がいます。でも、そういう子ほど優秀なハイグレ人間になれるのですよ。――さ」
 ……これで、いいんだよね? だって私、ハイグレ人間……。
 莉愛の思考は、しかし強烈なハイグレ光線によって中断させられた。
「うあああああ! ――ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! 私はハイグレ人間、海老塚莉愛です! ハイグレ!」
 自分がハイレグ水着を着ていることを誇るかのような、ハイグレを見せつける莉愛。その従順な顔に、抵抗の意志は微塵も含まれていなかった。
 ここからも式はある意味ではつつがなく進行し、A組の席は男も女もなく右から順番にハイグレ人間に変わっていった。生徒が色とりどりのハイレグに身を包む度に、友人らから溜息とどよめきが起こる。それから笑顔、あるいは真顔でハイグレポーズをとる姿を見て、そこに後の自分の姿を重ねて悲嘆に暮れる。何十度繰り返しても、誰も全く慣れることはなかった。
 学園長の前に立たされてハイグレ光線を浴びた瞬間、それまで人間として生きてきた「自分」は死ぬ。そしてハイグレ人間という、自分であって「自分ではない何か」に転生させられる。“卒業”の名を借りた虐殺は、行程の四分の一が終わろうとしていた。
「――四月一日真梨」
「はい」
 真梨はA組40番、即ちA組に残った最後の人間だ。卒業生席の最前列を見やると、水着姿に成り果てた級友たちが期待の眼差しでこちらを見ていた。
 ……わたしがハイグレ人間になることを、皆が望んでるんだね。
 思春期の少女である彼女も、当然ハイレグ一枚でコマネチなどしたくはない。しかし、どうせすぐにそうなってしまう。そして、クラスメートはそれを待っている。何もハイグレ人間は一人ではない。皆一緒なのだ。
 ……だったら、もう、いっかな。
 人間でいることを、真梨は諦めた。ハイグレ人間になりたくないと思い続けることは出来る。だがそんな叶わぬ願いを持ち続けても辛いだけだ。ならばいっそこうしてしまった方がいい。真梨は利口であったが故に、自ら悲しい選択を取ったのだ。
「卒業おめでとう」
 学園長に一礼し、踵を返す。壇の縁に立って見下ろせば、まだこんなにも人間がいる。
 ……もう、どうしようもないんだよ。どうせ皆、ハイグレにされるんだから。
 心の中で自分達の運命を自嘲していた真梨は、間もなくピンク色の光線に包まれた。
「あああああああっ!」
 制服が溶けてなくなり、真っ裸の上に薄布一枚が被される。切れ込みの激しい藍色のハイレグが、彼女の体に食い込んだ。
「ハイグレっ! ハイグレっ! ハイグレっ! 皆、早くハイグレを着よう! ハイグレっ! ハイグレっ!」
 一瞬の内に身も心もハイグレ人間になった真梨は、ハイグレのポーズを取りながら心からの言葉を投げかけた。
 真梨が自分の席に戻ると、その列の40人は全員もれなくお揃いのハイレグ姿となった。それを見やって担任が総括する。
「以上A組40名。人間を卒業し、ハイグレ人間となりました。――A組、ハイグレ!」
 担任の号令に合わせて、生徒たちは一斉に立ち上がり、狭いスペースいっぱいにガニ股となって、
「ハイグレ!」
「はいぐれッ!
「ハイグレっ!」
「はいぐれ!」
 一度だけ、綺麗に重なったハイグレポーズを行った。
 このとき最も恐れおののいていたのは、そんなA組の背中をずっと目の前で見せつけられていたB組の生徒だ。自分の席の前の者が、番が来ると悲痛な表情で立ち上がり、そして帰ってくる時には晴れやかな顔と水着姿になっているのだ。くじ引きのようにいつ選ばれるかランダムなシステムが与える恐怖とは異質の、確実に着実に自分へと導火線が迫ってくる恐怖。既に25%は燃え尽きた。次はB組の番だ。
 A組担任はマイクを、B組担任にパスする。今年で定年退職だと言っていた老女の骨と皮ばかりの体を、薄い紫のハイレグが包んでいる。
 彼女は怯え続けている生徒たちをいたわるように、優しい声で言った。
「B組。――幾島由良」

「はいぐれ! はいぐれ! はいぐれ!」
 B組の洗脳は、少々早いペースで10番台後半まで進んだ。彼らはA組に比して素直に“卒業”を受け入れていたからである。ある程度の心構えや諦めの時間が与えられていたため、真梨のような考えに至る者が多かったのだ。ただし、心の底から進んで壇上に立った者はほぼ皆無だったが。
 そんな尋常などお構いなく、ハイグレ光線は次々に人間を模範的なハイグレ人間に作り変えていく。
 D組40番、導火線の終着点に座る華は、間もなくではないかと、そわそわしていた。その様子に、隣の鈴はすぐに気が付いた。
「華、どうしたの?」
 囁き声で耳打たれ、華は同じようにボリュームを絞って返事をする。
「もうすぐ陽奈が、壇の方に……」
 それで鈴は合点がいく。鈴も陽奈とは顔見知りである。式の冒頭、陽奈がパニックを起こしてオレンジの不完全なハイグレ人間にされた場面は、華も鈴も目にしていた。デモンストレーション扱いをされた帆乃佳を除けば、華の親友の中では最も早くハイレグ姿にされたのが陽奈であり、最も早く完全なハイグレ人間にされるのも陽奈なのだ。そんな彼女の順番が、刻一刻と近づいていたのだった。
「華……」
 華に掛ける言葉が見つからなかった。鈴にも誰にもこの式を止めることは出来ない以上、どう慰めようとも姑息でしかない。鈴のすぐ右隣に座る清香さえも、既に黒のハイレグ一枚である。ハイグレの恐怖は気のせいなどではなく、真横に確かに存在している。やがて誰もがハイグレ人間になる未来が、右から必ずやってくるのだ。
 そしてそれは、陽奈のところにも。
* Re: 帝後学園の春 ( No.7 )
 
日時: 2014/08/16(土) 15:21:55 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

「――小嶋幸穂」
「は、はいっ」
 B組19番の名が呼ばれたということは、陽奈が待機列に並ばなければならないことも意味する。幸穂が学園長の前へと暗い表情で進んでいくのを見て、陽奈は覚悟を決めて立ち上がった。
「陽奈……っ!」
 華の、拳を握りしめながらの呟き。その僅かな振動はしかし、最後に親友たちの顔を目に焼き付けようと首を動かしていた陽奈の耳に届いた。
 二人の視線が交錯する。アイコンタクトで会話、と言うのは誇張にしても、目が一言もの言うことくらいは現実にも往々にしてあるものだ。華の目が語っていたのは、この不条理への強い憤りと嘆き。それを受け取った陽奈は、華を少しでも安心させるためににこりと微笑んだ。
「今、笑った……?」
 U字に開かれた背中を向けて陽奈が歩き出したあと、華は呆然と呟いた。まさか笑うなどとは思っていなかったからだ。
 ……怖くないの?
 そんなはずはない、と華は推測する。帆乃佳がハイグレにされて真っ先に取り乱した彼女だ。いくら時間が経って落ち着いたからといって、いざ自分の番となったときに笑っていられる余裕があるはずなんてない。
 事実、華の予想は的中していた。死地へと赴く陽奈の心臓は、帆乃佳のときとは較べ物にならないくらい脈打っている。額には冷や汗が浮かび、脚も震えている。ハイグレになんかなりたくない、という思いは、オレンジのハイレグを纏っている今でも強くある。
 それでも微笑むことができたのは、ひとえに華の存在があったからだ。
「や、やっぱりやだ! お願い! 助けてくださ――きゃあああああああああああ!」
 華と目が合う直前まで、陽奈は今にも泣いてしまいそうだった。脚が鉛のように重く、立ち上がることすらままならなかった。だが、華を見た途端、自分の抱いている恐怖なんて華のそれに比べれば大したことない、そう感じたのだ。
 ……華は、絶対にわたしより辛いよね。だって、最後まで残らされるんだから。
「ハイグレぇ! ハイグレぇ! ハイグレぇ! ハイグレって楽しいね、えへへっ」
 最初に帆乃佳、次に自分やいずみ、そして鈴。親友も友達もそうでない人も全てハイグレ人間に成り果てて、最後にたった一人この場に残ることになる人間の卒業生、それが華の役目なのである。
 その辛さは、察するに余りある。自分以外全員分の断末魔が脳に焼き付くことはもとより、人間としての自分の存在を全員から否定され、そうしてハイグレ人間にされるのだ。恐怖はだんだん煮詰められ熟成され、華の元で極限に達する。
 この理屈の上では、何も分からないままにハイグレに洗脳された帆乃佳は、最も幸せだと言えるだろう。そして、陽奈もまだ幸せな方だ。ただし陽奈の場合は、不完全なハイグレ人間に転向させられて無理やりハイグレポーズを取らされているので、本当に幸せかは疑問だが。
「――滝川璃子」
「はい……」
 遂に一つ前の者の名前が呼ばれ、陽奈は舞台の端でオレンジのハイグレ姿を晒して気を付けをしながら待機する。多くの人びとが中央の璃子に釘付けになっているが、だからこそ陽奈を見つめる親友たちの視線は分かりやすかった。
 ……華、ごめんね。華の気持ち、少しでも分けてもらえればよかったんだけど……。それと、わたしのせいでハイグレにされたいずみにも、謝らなくちゃ。あのときわたしがパニックにならなかったら、いずみも普通の格好でいられたのに……。
 後悔の念が止めどなく溢れてくる。いくらでも浮かびくる謝罪の言葉を並べるには、足りなかった。――陽奈に残された時間は、あまりにも。
「どうしてこんなことに……ああああああああん! ハイグレっ、ハイグレっ、ハイグレっ、ハイグレっ、わ、私は今まで何を考えてたの……?」
 クラスでも大人しかった璃子までもがピンクの水着で大股を開いてハレンチなポーズにのめり込んでいく。璃子はあんなことをする人ではなかったのに。
 ……璃子は殺されたんだ。今さっき、あの光線で。
 そう思うと、自分はまだマシなどという気休めの理屈など容易く吹き飛んでしまった。この場から自分の足で学園長の前に移動することなど、とてもじゃないが出来ない。
 不意に、壇下で最も近い生徒であり、陽奈の親友の一人であり、そして最初のハイグレ人間である帆乃佳の眼差しに気が付いた。正確には先程の時点で気付いてはいたが、見て見ぬふりをしていたのだ。が、今となっては嫌でも視界に入ってくる。その瞳が語っているのは、
 ……わたしに「早くハイグレ人間になろう」って言ってるの? 帆乃佳は……。
 体はハイグレ人間、心は人間。そんな中途半端な存在ではなく、身も心も忠実で従順なハイグレ人間に、と。
 怯え、硬直する陽奈に、無常にもその時を告げる声が掛かる。
「――竹林陽奈」
 頭がサッと真っ白になる。しかし同時に体は無意識の内に、
「ハイグレ! あっ……」
 ハイグレで返事をしてしまった。それは不完全なハイグレ人間にも刷り込まれている、服従心のなせる業。仮に命令に抗おうとしても、「従うべし」という思いにさせられて結局は逆らえない仕組みになっている。
 だから、陽奈が抵抗の素振りもなくするすると学園長の前に歩み出てしまったのも、致し方のないことであった。
 ……学園長先生。紫のハイグレ、とても似合ってて……ってわたしは何を!?
 いつの間にか狂いだしている自分自身さえも恐くなって、陽奈は嫌々をするように首を小刻みに振る。しかし学園長が「卒業、おめでとう」と言うやいなや、
「ありがとうございます、ハイグレ!」
 口にしてから後悔するような言葉を、やすやすと吐いてしまうのだった。
 人間の自分など最早どこにも居ないのではないか、そんな疑念さえ浮かんでしまう。ハイレグ水着に包まれて、その感触にもとうとう慣れて心地よささえ感じている自分は、やはり既にハイグレ人間なのではないか、と。
 空虚な表情で背後から光線を撃ち込まれるのを待つ陽奈は、最後に華を見やった。その唇が、「ひな」と動いた。
 ……まだ、わたしのことを心配してくれる人が、いるんだね。じゃあ、まだわたし、人間……なのかな。良かったぁ、わたし、人間で。
 陽奈は安堵してくしゃっと笑い、そして次の瞬間、
「きゃあああああああああああああっ!」
 ピンク色の光に全身を覆われ、完全なるハイグレ人間となることを強制されたのだった。
 網膜を灼き尽くすような派手な輝きの内側で、陽奈の脳が刺激を受け続ける。単純な身体的快感を植え付けるだけではなく、記憶の改竄、人格の破壊と再構築までをものの数秒でしてしまう、悪魔の光だ。このときの叫びは、そのあまりに大きなエネルギーを受けたせいなのである。やがて、胸の花はハイグレパワーを充分に蓄えて、満足したように消失する。
 同時に、陽奈を苦しめた光も収まった。服装は変わらずオレンジの水着のみで、大の字に手足を広げていた陽奈は、ゆっくりと瞼を開く。
 ……ん……あれ、わたし……。
 その視界に飛び込んできたのは、百何十人の仲間たちと、百何十人の下衆たち。仲間たちは自分を歓迎するような笑顔をしているが、それ以外の者は対称的に同情や憐憫、あるいは汚いものを見るような目を向けてきていた。
 特に酷いのが、こちらから見て生徒の中で最も右奥に座る女子――渡瀬華である。陽奈は無性に腹立たしさを覚えた。華の瞳は自分をこれっぽっちも、竹林陽奈として認めていなかったから。
 だから陽奈は名乗る。
 ……そうだよ。わたしは――!
 自分が今、何者であるのかを。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! わたしはハイグレ人間、竹林陽奈。わたし、やっと本当のハイグレ人間になれたの。だから今……すっごく幸せ! ハイグレ! ハイグレ!」
 それは今現在の陽奈の、本心であった。人間であった頃のことなど跡形もなく忘れて、これからハイグレ人間として生きる陽奈の、決意の宣言であった。
 帆乃佳を始めハイグレ人間たちはこの言葉に感動して、厳粛な卒業式に相応しくない拍手をしかけた。しかし、人間にとっては感動などする道理もない。親友をまた一人失った華は、思わず一筋の涙を零す。
「陽、奈……」
 陽奈が晴れ晴れとした顔で自席に着く頃。娘の変貌に嘆いていた両親も、ハイグレ人間になるや否や、家族全員がそうなれたことを喜び出した。
 陽奈の洗脳も式の一部でしかなく、生徒は次々に壇に送られては光線を浴びていく。間もなく会場の過半数がハイレグ水着姿となり、未洗脳の者たちの間にも何が正しいのかの定義すら危うくなってきた。
 そしてB組のメンバーも、次の彼女でハイグレ人間のみになる。
* Re: 帝後学園の春 ( No.8 )
 
日時: 2015/08/16(日) 15:12:59 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

「――鷲崎真波」
「はいっ」
 鋭い返事と確かな歩み。真波はこの代の生徒会長である。卒業証書授与の後、卒業生代表として言葉を述べる役割を担っていたのだが、こうなってしまっては用意した原稿も役に立たない。
 ……私にさえも、こんな話は知らされてなかった。使うことのない原稿を書かせたのも、私に疑いを持たせないための隠蔽工作だったのでしょうね。全く、嫌になるわ。
 愚痴を吐くのは心の中だけ。会長とは生徒の信頼のもとに上に立ち、その支えとなる者のことなのだ。真波は己を奮い立たせ、女性用水着を纏った学園長と対峙した。
「一年間、会長としてよく頑張りました。卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
 一礼。ハイグレのことと先生への敬意は別物と、割り切っていた真波だからこその行動だ。
 彼女は頭を戻すと、促されるまでもなく所定の位置に移動する。集会などで普段から立っていた場所だが、その光景は最早別物であった。
 多くの生徒から人望を集める真波が遂にやられてしまう。未洗脳の人間の間から、「会長……!」という祈るような溜息が上がった。それを耳にした真波は、思う。
 ……私はハイグレ人間になること自体は、それほど怖くはないわ。命を落とすわけではないのだから。だけど、一番心配なのは。
 そう、自分も間もなくこの異様な雰囲気を形成する一部と成り果ててしまう。
 ……私が洗脳されることで、残りの生徒たちの生き残る意志が弱くなってしまうのではないか、と言うこと。
 だから。残された僅かな時間で、真波は同級生とその保護者に誠意を込めて語りかける。
「C組とD組の皆さん、そして保護者の方々。どうか、どうか皆さんが人間であることを……自由で正しい心を持っていることを、忘れないでください! そして最後の瞬間まで、自分に誇りを持ち続けてください! 皆さんがそう思うことは、必ず、後に残された人たちの希望になります! 洗脳によって思考を歪められた後に何と言おうとも、そんなものは作り物の言葉なのですから! 人間は、決してこんな――ああああああああああああああッ!」
 これ以上のお喋りは不要、と学園長はためらうことなく真波に洗脳光線を発射した。言いたいことを言い切ることが出来なかった真波は、失意の内にハイグレ人間に変えられていく。
 数秒後、灰色のハイレグ一枚を着た会長が、そこにはいた。膨らみかけの胸も局部も薄布に覆われてはいるものの、やはり裸同然の格好。にも関わらず真波はすぐに、臆することもなく更に恥ずかしいポーズを取り始めた。
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! あぁ、ハイグレ最高です……! 皆さんも早くハイグレ人間になって、この気持ちよさを味わってみてください。きっと今までの愚かな考えなんて、吹き飛んでしまいますよ。ハイグレッ!」
 蕩けるような笑みを浮かべて、真波がハイグレの感想を語る。あれだけ強固な意志を以ってしても、ハイグレ光線には勝てない。その事実は会長の懸命の呼びかけよりも深く大きな衝撃を人間に与えた。
 しかし、励ましは全くの無意味だった訳ではない。少なくとも華の心には、これ以上ないほど強く刻み込まれたのだから。
 ……そう、だよね。そうだよね。誰もあんなことしたくてしてるわけじゃない。人間は弱くなんてない。あたしは人間。あたしは、独りじゃない……!
 一瞬たりとも治まらない体の震えを抑えつけるように、華は何度も何度も、その言葉を繰り返し唱え続けた。
 会場には未だに真波の衝撃が走っているが、式は粛々と続けられていく。
「以上B組40名。人間を卒業し、ハイグレ人間となりました。――B組、ハイグレ!」
「ハイグレッ!」
「はいぐれぇ!」
「ハイグレ!」
「ハイグレっ!」
 陽奈と真波を含む40名のハイグレ人間が、一斉にハイグレポーズをとる。
 これで学年の半数が、完全なハイグレ人間に生まれ変わった。ハイグレ人間が多数派となった今、人間に対してかけられる圧力は一気に増大する。その場の空気が「早く、早く」と急き立てるのだ。もう人間に、安息の時間など存在しなかった。
「C組。――阿万音ヒロ」
 そして、後半戦が始まる。いずみ、彩音、そして明乃のいるC組が、この瞬間から蹂躙されていくのだった。

   *

「――加賀いずみ」
 C組の担任である若い男性教師が、出席番号6番のいずみの名を呼んだ。
 いずみは舞台の端の待機場所で、返事をする。
「ハイグレ!」
 すると黄色のハイレグ水着が彼女にハイグレポーズを取らせた、そのように周囲からは見えた。
 しかし実際はやや違う。
 ……へへ、最初はあんなに嫌だったのにな。もうすぐ本当のハイグレ人間になれるって思うと、すっげぇ嬉しいな。
 いずみは卒業式の当初、帆乃佳や陽奈らの洗脳に憤慨して蜂起したものの、校長の眼前に迫ったところで背後から何発もの弱い光線を浴びせられ、不完全なハイグレ人間と化した。その直後まではしっかりと抵抗の自我が残っていたのだが、A組とB組の生徒が卒業していく間にじわりじわりとハイグレの考えに染まっていったのだった。いかな効果の弱い生徒の銃の光線であろうとも、数を食らっていれば当然効果は重複する。加えて数十分の時間経過、これがいずみの心と身体にハイグレを馴染ませた。
 躊躇いのない足取りで壇上を進んでいき、対面した校長が言った。
「すっかり良い顔になりましたね」
「そ、そっすか? 自分じゃよく分かんないけど……」
「ええ。ハイグレ人間となることを受け入れた、生徒として模範的な姿です」 
 普段からやや男っぽく振舞っているいずみは「模範的」などと評価されることに慣れておらず、嬉しさ半分気恥ずかしさ半分で頭を掻いた。
「さあ、皆の方を向きなさい。本物のハイグレを着せてあげます」
「――ハイグレ!」
 いずみは腰を落として返事をし、にやける口元を必死に抑えて回れ右をした。眼下にハイグレ人間たちと人間たちが座っていて、こちらを見ている。不完全な自分が完全な姿になるその瞬間を、見てくれている。
 ……やっとあたしも、そっちの仲間になれんだな。帆乃佳、陽奈、遅れてゴメンな。
 この学校に入学したての頃からの親友たちが待っている。ただ、あと一人はまだまだ遅れてくるようだが。
 ……華、さっさとハイグレ人間になれよ。それでまた、高校で一緒にハイグレを――
「うわああああっ!」
 思考の途中で、いずみは腰に光線を打ち込まれた。ハイグレ光線を浴びるのは二回目だ。だが前回よりも断然心地よいと、いずみは思った。
 光が消えても、コサージュがなくなる以外の外面の変化はない。変わったのはいずみの内面だ。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ人間の皆、これからもよろしくなっ!」
 一切の憂いを断ち切ったような笑顔で、いずみは高らかに宣言した。
「……いずみ……まで……」
 華はいずみの転向の一部始終を見届け、そしてがっくりと項垂れた。これで華の、中学1年生時からの親友たちは全員、ハイグレ人間になってしまった。帆乃佳は卒業式の何たるかを知りもせずに、陽奈は会場から逃げようとして、いずみはそれに憤慨してハイグレ光線を浴びせられた。そうして結局、三人とも身も心もハイグレに染まってしまったのだ。
 生徒会長の残してくれた言葉は、まだ華の心に響いている。しかしそんな励ましなど、突きつけられた非情な現実の前にはやがて霞んでいってしまうものだ。
 ……会長、あたしは、独りじゃない……よね……?
 心が孤独に押しつぶされる寸前、右手に温もりを感じた。
「華、大丈夫」
「す、ず……!」
 限界まで絞った、しかしハッキリとした声で鈴が言った。彼女の笑みはひどくぎこちなく、怯えは隠しきれていない。
「わたしが最後まで一緒にいるよ。だから、ね?」
 160人中159人目である鈴も、華と境遇はほぼ同じだ。鈴が洗脳されるまでの時間を人間として共有できる、唯一のパートナー。
 ……そう、だよね。あたしには鈴がいる。友達がいる!
「うん……ありがとう」
 華は、今できる中で最高の笑顔で、感謝の意を示した。
 そんな二人の様子を一つ前の列から振り返って見つめる者たちがいた。一人は緊張の中にも確固たる意志を持って。もう一人は心底羨ましそうに。
* Re: 帝後学園の春 ( No.9 )
 
日時: 2015/08/16(日) 15:13:30 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 およそ一分につき一人。それが生徒たちを模範的なハイグレ人間へと作り変えていくペースであった。
 C組には、抵抗する意志を失った者も多い。ベルトコンベアーに運ばれる品物が如く、流れ作業でハイグレ光線を浴びせられていく。
「――真壁海」
「はい……。きゃ、きゃああああ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレ気持ちいいですっ!」
「――宮野心葉」
「ハイグレ! あ、ぅ……うあああああああっ! えへへ、ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
 自分の番を迎えてしまえば、延命の術は存在しない。もし自発的に列に並ばないという抵抗をしたところで、進行妨害の罪で弱ハイグレ洗脳を施されて勝手に足を進めてしまう。それが分かっているからこそ、生徒たちは自分の未来を儚みつつも席を立ち、学園長の前に身を捧げに行くのだった。
 この次、舞台横で青白い顔で待機しているのがC組36番の物部咲羽。その次が華たちの友人にして、別の高校へ進学する矢野彩音だ。
 だが、彩音は未だに自席に座っている。37番の彩音は、心葉の名が呼ばれた時点で舞台下まで歩いていかねばならぬ手はずだ。38番の依田剛志が、彩音の脇腹を肘で突く。
「おい矢野。早く行けよ」
「……嫌だよ。行きたくないよ」
 俯き、膝に手を突っ張りながら呟いた。剛志の額に、苛立ちに血管が浮き出る。
 周囲のハイグレ人間たちも異変に気付きだす。ギャラリーに控えていた高校生の一人が、身を乗り出して彩音に照準を合わせた。男性担任が、咲羽を呼ぶ前に警告する。
「矢野、並びなさい。でないと――」
 そこまでされて、ようやく彩音は重い腰を上げた。華は視線をやっていたが、一度も目を合わせてはくれなかった。顔を上げずゆっくりと舞台の方へ歩いて行く。
「全く世話の焼ける……。次――物部咲羽」
「あっ、は、はい……」
 遂に自分の番が来てしまった咲羽が、絶望に表情を歪めて歩き出す。そうして空いた待機位置に彩音が立ち、その階段の下にはすぐに剛志がやって来た。
 彩音は先に行った咲羽の様子を伺いつつも、ちらちらと生徒たちや保護者の席に視線をやる。この時点でもう、制服や礼服を着用している人数は四分の一を切っていた。多くは色とりどりのハイレグ水着姿という異様な光景が、そこには広がっている。咲羽ももうすぐ、その仲間になるのだ。
「卒業おめでとう」
「……っ」
 咲羽は学園長に小さく頷いて、踵を返す。
 ……何が、何がおめでとうなのよぅ……!
 しかし咲羽は無力だ。先にここを過ぎて行った海や心葉と同様に、無抵抗でハイグレ光線を浴びる以外の未来を選ぶ勇気もない。
 ……嫌だよぉ……私、あんな恥ずかしいカッコ、できっこないよ……。
 勇気こそなくとも当然、ハイグレへの嫌悪感はある。この制服のままでいたい。咲羽はスカートの裾をギュッと掴んだのだが。
「イヤぁあああああああ!」
 ハイグレ光線に包まれた途端に制服の布地は形を失い、手は行き場を失って大の字に広がる。ピンクと青に明滅する光の中で、咲羽は自分が自分でなくなっていくのを感じていた。
 結果、その数秒後には、
「はいぐれ! はいぐれ! はいぐれ! 私は物部咲羽、ハイグレ人間です! はいぐれ!」
 ハイグレ人間生産工場の出口から、完成されたハイグレ人間となった咲羽が排出されたのだった。恐怖に強ばっていた表情はもう、どこにもなかった。
 そして次に、
「――矢野彩音」
 彩音が呼名される。ハイレグ水着姿となる未来が、一分以内に迫っていた。
 ……どうして私までハイグレ人間とかいうのにならなきゃいけないのよ! ふざけないで!
 そんな中、彩音は目の前の理不尽な現実に対し、怒りを抱いていた。自分がハイグレ人間になる意味などないはずなのに同じ列に加えられていることが、許せなかった。
「矢野! 返事をしなさい!」
「……はい」
 ふてくされたように返事をするなど、真面目な彩音にとっては珍しいことであった。違和感のあるそれを聞いた華には、彩音の怒りは当然だと思えた。
 ……だって、彩音は別の高校に進学するのに。高等部に行かないのに、ハイグレ人間にする意味なんてないじゃない!
「卒業おめでとう。……ああ、君は内部進学ではないのだったね」
 壇の中央まで進んだ彩音は、猥らな装いをする学園長に恨みのこもった眼差しを送る。だが学園長は一切動じず、そう言った。
 ぎり、と唇を噛む。そうして彩音は、最後の切り札を使う覚悟を決めた。
「そうです。私はもう帝後学園の生徒ではなくなります。だから私をハイグレ人間にする必要は無いはずです。……お願いですから、このまま帰してください」
 ……もしこの言い分が通ったら、もう華たちとは遊べなくなっちゃう……かもね。
 でも、それでもいいと思った。
 ……百歩譲って周りも同じならまだいいよ。けど私は将来のために別の高校へ進学するって決めたんだから。そこで「私はハイグレ人間です!」なんて言えるわけないでしょ。
 自分の狡さと薄情さを心中で嘲笑する彩音。この後光線を浴びることになる明乃、鈴、そして華には本当に申し訳ないとは感じる。卑怯にも自分だけが制服のままここを通り抜けてしまったら、多くの同級生たちに恨まれるだろう。
 ……皆、ごめん。だけど、学園と……皆と縁を切ってでも、絶対にハイグレ人間になんかなるもんか。
 しかしそうした心配の数々は、彩音を更に上回る無茶な理屈によってねじ伏せられる。
「何を言っているのかね。ハイグレ人間こそ、全ての人間の真にあるべき姿なのですよ。君だけがハイグレを着ないで良い理由など、どこにもありません」
「え……」
 絶句。想定外の論に、咄嗟に反論が出ない。学園長は平然と続ける。
「それに、帝後学園を巣立つ君には、新天地でハイグレの教えを広めるという重要な役目があるではありませんか。君が、愚昧な人間を正しい方向へと導くのです。……どうです、素晴らしいでしょう?」
 信じられない。素晴らしいもんか。あり得ない。イカれてる――いくつもの否定の言葉が止めどなく溢れてくるが、声にはならなかった。代わりにそれらは形を変えて涙となり、彩音の頬を何度も伝った。
 学園長の説得に、卒業式という厳かな場にも関わらず、ハイグレ人間たちの間から歓声が上がる。拍手や、同意の声や、ハイグレコール。その異様な光景に、少数派となった人間たち――C組の残りとD組の生徒。及びその保護者――は怯え、竦んでしまう。彼ら人間の『常識』は、もはやこの場では通用しないのだと実感させられた。
 学園長はやや間を空けてから手をかざし、場を鎮めた。そして宣告する。
「さあ、矢野さん。あなたに栄えある役目を授けましょう。皆さんの前に立ってください」
 彩音は糸の切れた人形のようにだらしなく身体を振り向かせた。放心状態のまま数歩前に進み、ステージの縁に立つ。
 ……そんなのって……ないよ……。
 まともな理屈が通用する相手ではないと気付くのが遅すぎた。歯向かうことを早々に諦めていれば、もう少しは洗脳される覚悟を固められただろうに。
 背後で銃を構える気配がした。最期の瞬間に彩音は、親友たちの顔を目に焼き付けようとした。三人の内、特に華とはしっかりと目が合った。あちらも今にも泣き出しそうだったのが、彩音には分かった。
 ……明乃、鈴、華……本当にごめん。私、皆を見捨てようとしたから……これは報い、なのかもしれないね。
 そう、無理矢理にでも自分を納得させようとする。が、
「や、やっぱり嫌――あああああああああああああっ!」
 結局心は恐怖に塗りつぶされてしまい、彩音はピンク色の光線をその身に浴びた。セーラー服が掻き消されて、代わりに無慈悲なハイレグ水着一枚の姿にされていく。その過程で彼女の人間としての心も、強制的に書き換えられてしまうのだった。
 悲鳴とフラッシュが終わる。彩音はゆっくりと目を開け、自分の秘部を包む茶色い布地を見下ろすと、急に表情を蕩けさせた。
「あはははっ! ハイグレぇ! ハイグレぇ! 私は進学したら必ず、このハイグレの素晴らしさを多くの人に伝えていきます! ハイグレぇ! ハイグレぇ! あふっ、ハイグレぇっ!」
 涙の筋が残る頬を緩ませ、喘ぎ声の混じったハイグレコールを一心不乱に続ける。こんな痴態からでは、彩音がまさかたった十秒前まではハイグレ人間になることを拒んでいたということなど、誰も想像さえも出来ないだろう。それほど徹底的なまでに、ハイグレ光線は彼女の人格を破壊し、作り変えてしまったのであった。
「彩音……そんな……っ!」
 また一人親友を、無残な形で失った華。鈴と繋いでいる右手に、無意識に力がこもる。鈴は慰めの言葉は口にせず、その手を同じくらい強く握り返すことで、己の気持ちを表現した。華の感じている憐憫と恐怖は、自分も同じなのだ、と。
 そんな二人の繋がりを再び羨望の眼差しで一瞥し、明乃は静かに席を立った。
* Re: 帝後学園の春 ( No.10 )
 
日時: 2015/08/16(日) 15:14:39 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

「――依田剛志」
「はいっ!」
 入れ替わりに、晴れ晴れとした表情のハイグレ人間、彩音が帰ってきて腰を下ろした。華には彼女が矢野彩音本人だとはとても思えなかった。座る直前に一度目が合ったのだが、その瞳にはまるでこちらが檻の中の小動物程度にしか映っていないように感じられたのだ。彩音は生真面目だが、そんな冷たい人間ではなかった。
 華の意識はそこから逃げるように明乃に移っていく。刻一刻と自分の番が近づいてきている明乃は階段の下に、不安げに立っている。
「卒業、おめでとう」
「ありがとうございます!」
「君は随分元気が良いですね。良いことです」
 学園長は前の人間とは打って変わって従順な剛志の様子にご満悦である。その剛志だが、現時点ではまだハイグレ光線を一発も受けていない、正真正銘人間の男子生徒だ。なのにハイグレ化を恐れるどころかむしろ、待ってましたと言わんばかりの様子なのは、
「オレ、一度洗脳ってのされてみたかったんスよ! だから本当に嬉しいッス! 学園長先生、よろしくお願いしまッす!」
 という訳があったからなのだった。幼少の頃から戦隊ヒーローものの番組に齧りついていた剛志は、あるとき敵の組織が行う洗脳活動に興味を抱いた。一般の民衆を、あるいはヒーローの一人を一瞬で、まるで別人になったかのように思考を上書きして仲間にしてしまう。もし自分も洗脳されるとしたら、そのときどのような感覚がするのだろうか、と。
 あくまで『一瞬で人間の心を失う』、というのが剛志には重要で、それゆえ洗脳が不十分な弱い光線には当てられぬようじっと今まで待機していた。
 そんな剛志の密かな夢が、遂に叶おうとしていた。
「分かりました。では――」
 学園長は、姿勢の良い剛志の背中に、狂いなく洗脳の光を注ぎ込んだ。
「おわあああああああああっ!」
 全身がくまなく光に包まれて、制服の学ランが際どい女性用水着に変貌していく。剛志は脳内で、いつまで自我が保つのかという最初で最後の実験を行っっていた。
 ……これがハイグレか。オレの、本当になりたかった姿……!
 しかしこの時点で既に、洗脳は無意識下から剛志の思考を蝕んでいた。自分の夢が『洗脳されたい』から『ハイグレ人間になりたい』に変えられていることに、気付かないくらいに。
 そうして光から解放されると、剛志は真っ赤なハイレグ姿を誇示するように、
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! 長年の夢が叶ってマジ嬉しいっス! ハイグレ最高っス! ハイグレッ!」
 と、ハイグレに心酔しきってポーズをとった。どのタイミングでハイグレ人間となったのかは、剛志自身にも分からなかった。何故なら自分は昔から、心は立派なハイグレ人間だったのだから――どれだけ過去を振り返っても、剛志にはそうとしか思い出せなかった。
「――六角正弥」
「は、はいっ」
 C組39番の正弥は、まだ声変わりのしていない高い声で返事をした。そして階下からの数多の視線にオドオドとしつつ、女性の水着姿の学園長の前に行く。
「卒業おめでとう」
「あ、あの、えっと……はい」
「さあ、あちらを向いてください」
 従順に指示に従う他、正弥は行動をとれず、遂にこのときを迎えてしまった。目の前には大勢のハイグレ人間がいる。
 ……ボク、こんなにいっぱいの人が見てる前でハイグレ人間にされちゃうんだ……恥ずかしいよぉ……!
 男子の中でも特に強い羞恥心を持っていた正弥。間もなく自分も、この大舞台で注目を浴びつつハイレグ一枚で笑顔でおかしなポーズをする人間になってしまう。そんな変えられない未来のビジョンに耐え切れず、正弥は腰を抜かして膝から崩れてしまった。
「う……うぅ……っ!」
 ……やだ! できないよそんなのっ! ボクには無理だよぉっ!
 どよめく場内。学園長は溜息を吐き、励ましの言葉を掛ける。
「大丈夫ですよ。今は辛く苦しいかもしれませんが、そんな気持ちはハイグレ人間となれば全て吹き飛びます。信じてください」
「でもっ……でも!」
 涙目で首を振る。まるで先に洗脳されたハイグレ人間たちの迎えを、拒否するかのように。
 そんな駄々をこねる少年を救う術は、一つしかない。
「とにかく、まずはハイグレ人間になりなさい。それからもう一度、君に質問をします」
「い、いやですっ――うわああああああああああっ!」
 必死の哀願も抵抗も虚しく、正弥はハイグレ光線に撃ち抜かれた。男女に大きな差異が出ていない第二次成長期前の肉体に、足ぐりの鋭い純白のハイレグ水着がまとわりつく。そして混乱する頭を、新たな価値観に塗り替えていく。
 正弥は肺から空気を出しきってしまい、大きく息を吸い込んだ。そうして取り込んだ空気は喉を通り、
「はいぐれ! はいぐれ! はいぐれ! ボクをハイグレ人間にしてくれてありがとうございます! これからは一生懸命、ハイグレがんばります! はいぐれ!」
 ハイグレ人間としての産声を上げるためのみに用いられた。学園長が改めて質問をするまでもなく、正弥は自分のハイレグ姿を素直に受け入れたのだった。股間の小さな袋を恥ずかしげもなく揺らして、ハイグレポーズを行った。
 直後、保護者席からも悲鳴が一つ上がる。
「まーくん! うちのまーくんがぁ……あああああああ! ――おほほほっ! ハイグレぇっ! ハイグレぇっ! ハイグレぇっ!」
 小金持ちらしき豪奢な装いが全て消え、正弥の母もまた濃い紫の水着一枚のハイグレ人間と成り果てた。
 そして正弥が階段を下りてしまうと、とうとう120人目の犠牲者の名が呼ばれる。
「――蕨明乃」
「……はい……」
 力なく返事して、明乃は出来る限りゆっくりと壇中央まで歩いていく。進みたくなんてないという気持ちが、見ているだけで伝わってくる歩みだ。明乃は決断力のある性格で、くよくよと悩む姿を友人にもほとんど見せたことがなかったのに。
「卒業おめでとう」
「……んだよ」
「どうかしましたか?」
 俯いたまま、何事かを呟く明乃。学園長が問い返すと、明乃は泣きながら鬼のような形相を作った。
「何でもうあたしの番なんだよぉっ!」
 さしもの学園長も、ぎょっとして一歩退いてしまう。明乃の慟哭はまだ続く。
「あたし嫌だ。ハイグレなんて着たくねぇよ。どうしても着なくちゃいけねぇんだとしても、少しでも長く人間でいてぇんだよ! なのに、なのに……っ!」
 すると彼女は勢い良く振り向き、呆気にとられていた華と鈴に対して叫んだ。
「なぁ鈴! 華っ! お願いだ、あたしを最後にしてくれよ! あたしがD組だったら一番最後だろ!? 二人ともずりぃよ……こんなに早くハイグレになるなんて嫌なんだよ!」
 二人は言葉を失った。彼女と親友として過ごした日々の間に、一度たりともこんなに取り乱したことがあっただろうか。先ほど席を後にしたときに感じた明乃の視線の意味を、ようやく理解した二人だった。
 だが、彼女の願いを聞いてあげることなどできない。今更クラス替えだの順番替えだのを申し出ても、先生たちが許すはずがない。それに、
 ……あたしだって、嫌に決まってるでしょ……! ごめん、明乃……。
 友人の決死の頼みよりも我が身が可愛いと思ってしまう、そんな自分に嫌悪感を抱く華。
 明乃は二人が目を逸らしたことに気付いた。頼みが拒否されたと判断するには十分であった。
「何でだよ……あたしら友達だろっ!? お願いだから代わってくれよぉ! ハイグレなんて嫌だ……"卒業"なんてしたくねぇよ! 人間でいさせてくれよぉぉぉ!」
 絶望し、発狂と呼ぶ方が相応しいくらいのパニック状態に陥る明乃。そして何を思ったか壇を飛び降りて咆哮し、華たちの方へと駆け出したところで、
「あぁぁぁああああああああああああっ!」
* Re: 帝後学園の春 ( No.11 )
 
日時: 2015/08/16(日) 15:15:42 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 ギャラリーに控えていたハイグレ姿の高校生たちが一斉に、ハイグレ光線を発射したのだった。幾筋もの洗脳光線が命中し、明乃はその場で緑色のハイグレ人間と化した。まるで街に侵入した熊に麻酔弾を撃ち込む大捕り物のような光景だった。
 明乃は華に見える位置で、手足を震わせて必死に抵抗する。確かに洗脳効果の弱い銃ではあるものの、それでもハイグレ人間としての命令に逆らいきることは不可能だ。
「許さねぇ……ハ……くそっ、ハ、ハイグっ……!」
 明乃はガニ股の体勢のまま、恥辱と憎悪に満ちた眼光を向ける。そうして十数秒間、全力で本能に抗った。だがその果てに遂に、身体がハイグレに屈してしまった。
「あ……くぅ……ハイグ、レ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
 表情はまだ、彼女の内側で人間性とハイグレ人間の本能が衝突し続けていることを表している。しかし肉体は明乃のコントロールを離れ、ハイグレポーズという快楽に溺れてしまったのだった。
「随分時間を食ってしまいましたね。さあ、早く戻って来なさい」
「ハ、ハイグレ! ち、くしょ……ぉ!」
 学園長の静かな叱責に罪悪感を覚えた、そのこと自体が明乃には許せなかった。何故自分はこんなにも惨めな格好で、あんな変態に従おうとしているのだろうか。何故恥ずかしいポーズを取らされて、下腹部にジクジクとした熱い心地よさを感じてしまっているのだろうか。
 不完全なハイグレ人間故の葛藤。その苦しみから彼女を解放してやるために学園長は、再び壇上に来た明乃の背にハイグレ光線銃を向けた。
「それは馬鹿な真似をした罰です。ですが、もう十分でしょう。今楽にしてあげますよ」
 ……嫌だ嫌だ! 助けてくれよ……誰かぁぁぁ!
「ハイグレ!」
 心の叫びはしかし、口からはハイグレ人間のコールにしかならなかった。誰にも自分の思いを伝えることのできなくなってしまった人間の明乃はある意味で、既に死んでしまったのだと言っても過言ではなかった。
 そして、
「うわああああああああああああ!」
 人間の明乃は、ハイグレ人間の明乃の中からも姿を消した。
「……ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
 これ以上ない満面の笑みで、明乃はキビキビとハイグレポーズを繰り返す。彼女の動きに、もう迷いはなかった。
 緑のハイグレ人間は自席に帰ってくるなり、愕然としたままの華と鈴に向かってこう言った。
「さっきは悪かったな、二人とも。あたし、やっぱD組じゃなくて良かったよ。だって――少しでも早くハイグレの気持ちよさを知れたんだからな! どうだ、羨ましいだろ? ハイグレ! ハイグレ!」
「……っ!」
「明乃ちゃん……」
 服装以外の外面に変わりはない。しかし彩音のとき同様に、笑顔で躊躇いなくハイグレをする"それ"が蕨明乃その人だとは、華も鈴もどうしても思えなかった。クローン人間なのではないかとさえ思えるくらいに。
 明乃が席に就いたのを確認し、C組の担任は改めて号令を掛ける。
「以上C組40名。人間を卒業し、ハイグレ人間となりました。――C組、ハイグレ!」
「ハイグレぇ!」
「はいぐれッ!」
「はいぐれ!」
「ハイグレ!」
 軍隊のごとくビシリと揃った動きと声で、ハイグレを行うハイグレ人間の生徒たち。いずみも彩音も明乃も、その一部となってしまった。
 右手に少し圧力が掛かる。その手を握っている鈴が震える声で、ぽつりと疑問を漏らした。
「わたしたち、最後で……運が良かったのかな」
 華は答えに窮する。そうとも言えるし、そうとも言えない。明乃は最後が良かったと嘆いた。『洗脳されたかった』と言った剛志はもっと前が良かっただろう。それに一番最初に洗脳を受けた帆乃佳も、待つ恐怖を感じなかった点では運が良かったと言えそうだ。
「あたしは……」
 しかし散々迷った挙句、その先が続けられなかった。
 時間は止まりはしないし、まして巻き戻りもしない。ただ進むのみなのだ。卒業式が始まってからおよそ百分が経過している。そうして華たちD組の面々にもとうとう、時の迎えが来てしまったのだった。
「D組。――我孫子栄子」
 泣いても笑っても、華が――帝後学園中等部卒業生全員がハイグレ人間となるまで、あと四十人だ。
* Re: 帝後学園の春 ( No.12 )
 
日時: 2015/08/28(金) 22:23:30 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

「――小嶋香苗」
「はい……あ、あ、ダメ、あ……ああああああ! ――ハイグレっ! ハイグレっ! ハイグレっ!」
「――斎藤すばる」
 D組14番のすばるは背筋を凍らせた。地獄の釜が開く音が聞こえたからだ。
「は……ぁ……っ」
 とにかく返事をしなければ。そう思って息を吸うが、どうしても声を出すことが出来なかった。返事とはすなわち自分の番の始まりであり、不可逆のレーンの最終段階に踏み込む宣言でもあるからだ。
 ……で、でも返事をしないと、撃たれてしまいます……!
 その焦りのあまりに、余計に喉が閉まってしまうのだった。そんなすばるを、階段の下から15番の夏希が訝しみながら振り仰いだ。
「どうしたの? 早く『はい』って言いなよ」
「ぁ……はい」
 かすれ声を何とか絞り出したすばる。だが今度は、足が鉛のようになって歩を進めることが出来なかった。数秒の後には直立すらもままならなくなり、膝から崩れて顔を手で覆ってしまう。
「夏希さん……私、無理です……! あなたたちのような水着を着るなんて、そ、それに洗脳なんて、とても……!」
 それを聞いた夏希は、すばると同じ目線になるところまで段を上り、彼女の肩を揺すった。
「いやいや、何も心配しなくていいんだよ? だってさ、みーんなハイグレ人間なんだし」
 すばるはおずおずと視線を上げた。夏希の藍色をした光沢のある薄い布地に覆われた胸元が、目の前にあった。
「ですが……あの光に撃たれたら私も、あんな風に豹変……してしまうのかもと思うと……」
 不安を吐き出すすばるに、夏希は優しく説得を試みる。
「あたしは、最初にお母さんが体育館から逃げようとしたみたいでさ。それであたしもハイグレ姿にされちゃったんだよね。本当にいきなりだったし、何でこんなことしなきゃいけないの、とか、恥ずかしいなー、とかずっと思ってたよ。お母さんを恨んだりもした」
 そう言えば、とすばるは思い出す。突然、隣に座る夏希が発光して水着姿にされ、それからずっと顔を赤らめてモジモジとしていた様子を。だが壇上に視線を奪われている内に、気付けば夏希はハイレグに慣れてしまったようだったことも。
「完全な洗脳じゃなかったせいで、あたしは何十分も辛い思いをしてたんだ。ま、少し前にやっと自分でもハイグレを受け入れられるようになったけどね」
「夏希さん……」
 ……可哀想に。やはりあの光線は人をおかしくしてしまう……。
 夏希への哀れみと自分に迫る恐怖に、身体を震わせる。
 しかし次に夏希が言った言葉は、すばるが一度も考えたことのない意見だった。
「でもそれに比べれば、学園長先生の光線を浴びせていただけるのはすごくありがたいことだよ」
「え……?」
「だってそうじゃん。学園長先生はあたしたち人間を、一瞬でハイグレ人間にしてくれるんだもん。あたしは、何も悪くないのに連帯責任でハイグレを着させられて、すごく嫌な思いをした。でもすばるは違う。ハイグレを着たらその場で、それを嬉しいことだって思えるんだよ? 幸せだって思わなきゃ!」
 ……私が、夏希さんより幸せ……?
 言っていることは理解できた。確かに、人間のまま水着姿にされて心を蝕まれていくよりは、一発で洗脳されてハイグレ人間となったほうが苦痛は少ないだろう。
 ……でも、ハイグレ人間なんて!
 恥ずかしい。格好悪い。気持ち悪い。変態みたい。そんな存在に、自分がなってしまうこと自体がすばるにとっては恐ろしいのだ。
 すばるの表情が変わらないのを確認し、夏希は言い方を変えることにした。
「あのさ、すばる。今は人間のが恥ずかしいよ。ほら」
 夏希が指さしたのは席に着く多数のハイグレ人間たち。単色のハイレグ水着のみをまとった人々がすばるに対して、あるいは迷惑そうに、あるいは異端者を非難するように、あるいは恥ずかしいものを見るように、視線を向けていたのである。ごく僅かに人間の服を着ている者もいるが、現状では圧倒的にハイグレ人間の方が多いのだ。
 ……私の方こそ皆さんと違う、ということですか……?
 未だハイグレ人間になれていない方こそ少数派。恥ずべき存在だと言うのか。
 一度そう思ってしまうとすばるには本当に、セーラー服を着ている自分こそが爪弾き者にされている気分になってしまった。集団行動を美徳とする大多数の日本人にとって集団から外れることとは、本能的に回避すべき事態なのだから。
「わ、私、こんな服、着てるなんて……!」
 綿やポリエステルから成る、帝後学園中等部の女子制服。三年間着続けたそれが異常で恥ずかしい衣装に見えてきて、すばるはスカートの裾やセーラー服の袖などを、引きちぎらんばかりに握った。皆と違う服を着ていることが、許せないのだった。
 夏希はすばるの誘導に成功したことを内心で喜ぶ。そして背中を押す。
「ほら、すばる。早くハイグレを貰いに行きな? あたしもすぐ行くからさ」
「は、はいっ!」
 すばるは立ち上がり、駆け足で学園長の前に立った。その瞳は既に、光線銃しか見ていなかった。
「卒業おめでとう。さ、気が変わらない内に済ませてしまいましょうか」
「はい! お願い致します!」
 先ほどまで尻込みするほど怖がっていたにも関わらず、すばるは今や喜んで学園長に背中を見せる。
 ……これで私も皆さんの仲間になれるのですね……!
 特殊な状況とは言え、夏希に言葉のみで洗脳されてしまったすばる。そんな彼女の身体を、救済の光が包み込んだ。
「きゃああああああああああああん!」
 夏の炎天下に全裸で晒されているかのように、肌が燃え上がる感覚がすばるを襲う。しかし、熱は苦痛であると同時に快楽でもあった。この一瞬さえ乗り切ればあとは、ただただハイグレ人間として生きればいいだけの人生が待っているのだから。
 ……早く! 早く私をハイグレ人間にしてくださいぃっ!
 すばるの懇願は、すぐに聞き届けられた。洗脳光線がすぅっと消えると、すばるは薄い黄色のハイグレ人間に生まれ変わったのだった。
 そして、喜びに身体を目一杯動かしながら、産声を上げる。
「――ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! 私は斎藤すばる、ハイグレ人間です! ハイグレッ! ハイグレッ!」
 すばるは壇上に上がったときとは打って変わった服装と表情となり、大勢のハイグレ人間の横を通って自席に戻っていった。周囲と同じ姿になれたことが、今の彼女にとっては最高の喜びであった。
「――酒井夏希」
「ハイグレ!」
 夏希はようやく訪れた転向の瞬間に高揚し、大きなハイグレポーズで返事をした。すばるの抵抗のために予想よりも遅れてしまっている。すばるが無事にハイグレ人間になったことは嬉しいが、正直なところ苛立ちも感じていた。
 ……やっと、やっとあたしも、本当のハイグレ人間になれるんだ!
 とは言えこうして待望の瞬間を前にすれば、そんなもやもやは簡単に吹き飛んでしまうが。
「卒業おめでとう」
「ハイグレ! ありがとうございます!」
「先程の子、君のおかげで笑顔でハイグレ人間にさせてあげられましたよ。代わってお礼します」
「い、いやいやそんな。友達として当然のことをしただけですよっ」
 謙遜しながら、そんなことより早く光線を、と思ってしまう夏希。つい、学園長に促されるより前に回れ右をしてしまう。
 功労者に対し小さなミスをわざわざ指摘するほど、学園長は心が狭くなかった。彼女の急く気持ちに応えて、速やかに照準を合わせた。
「うわあああああああああ! ――ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! やっとなれた……嬉しすぎるよぉ……! ハイグレ!」
 ピンクの光から出てきた夏希の胸から、不完全な転向の証であるコサージュがようやく外れる。装飾のない藍色のハイレグのみの姿で、夏希はハイグレ人間となれた喜びを謳歌した。
「夏希、良かったね……ぁ、ああああああ! ――ハイグレぇ! ハイグレぇ! ハイグレぇ!」
 同時に、保護者席で娘の転向を見守っていた母親も完全な洗脳を施された。最初期にパニックを起こして逃げようとした面影は、もうどこにも見当たらない。
 壇を去る間際に、夏希はこの場を借りて皆に別れを告げた。
「皆、あたしは別の高校へ進むけど……ハイグレ人間の皆のこと、絶対に忘れないから! また一緒にハイグレしようね! ハイグレっ!」
* Re: 帝後学園の春 ( No.13 )
 
日時: 2015/08/28(金) 22:26:16 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 時間とは、どれだけ待ちわびていようとも、どれだけ過ぎ去ってほしくなくとも、一定のスピードでしか進まないものである。
 夏希が洗脳を受けてから約二十分。残る人間の生徒の数は、
「――源貞良」
「……はい」
 僅かに五人のみ。しかもこのD組36番――貞良は、保護者席を含めて体育館内で最後の男性の人間なのだった。
 ……俺以外の男は全員、ハイグレ人間になっちまったんだな……。
 自分の前に黄色のハイレグを着せられた小柄な男子、吉田弘武が自席に座ったのが見えた。ついさっきまで共に恐怖を分かち合っていた友人はもう、いない。
 そして当然、貞良も同じ姿になる定めにある。
「卒業、おめでとう」
「はい……」
 今までに何人かがしていたような抵抗をする気は無かった。気持ちは分かるが、無駄と決まっているいる足掻きはただみっともないだけだと思うからだ。
 貞良は壇の際に立ち、ハイグレ人間の瞳を一身に受けながらその時を待つ。誰も彼もが女性用の水着を着用しているこの光景は明らかに異常だと、今の貞良には感じられる。だが、その感覚を共有できる人間は最早ほとんどいない。
 ……なあ、俺は間違ってねぇよな? おかしいのはこいつら、ハイグレ人間の方……だよな?
 あのポーズは別にして、百歩譲って女子がハイレグ水着姿になるのは分からないでもない。だが男子までも女性用水着を着せられて、なおかつそれが正常だと考えるように洗脳されてしまうなど、おかしいに決まっている。
 そんな貞良の心の声に頷いてくれる者は、誰もいなかった。
「ぐ、ぐわあああああああああ!」
 背中に命中した光線は瞬時に貞良の全身を包み込み、洗脳と更衣を行っていく。磔にされたかのように身動きが取れなくなり、着用していた学ランの重さがなくなっていく。代わりにこれまでに感じたことのない不思議な着心地の装いが、貞良に与えられた。
「あ……ぅあ……」
 青くスベスベとした生地のハイレグ水着姿に生まれ変わった貞良は自分の格好を見下ろすと、にんまりと唇を歪ませた。
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! 俺をハイグレ人間にしてくださり、ありがとうございます! ハイグレッ! ハイグレッ!」
 大きく股を開きハイグレポーズを繰り返して感謝する貞良は今後、ハイグレをおかしなものと考えることはなくなった。
 最後の男子もこうしてハイレグ姿に変わり、残った生徒は女子四人だけとなる。
 不意に鈴がピクリと動いた。彼女と手を繋いでいる華にはすぐに分かった。
「鈴……?」
 囁き声で名前を呼ぶ。見ると鈴は、口を真一文字に引き結んで額にびっしょりと汗を浮かべていた。呼びかけにも気づいていないようだ。その緊張の意味を、華は間もなく知ることになる。
「――箕輪月子」
「はい」
 貞良と入れ替わりに、月子が学園長前に進み出る。月子がいた待機位置に、黒のハイレグ姿で俯く清香が立つ。そして清香のいた場所へと、
「……わたし、行かなくちゃ」
「え……?」
 式を円滑に進めるため、卒業証書を受け取る生徒は前もって指定の待機場所に移動していなければいけないルールだ。"この"卒業式においてそれを破れば、即時撃たれてしまう。
 だから鈴は立ち上がる。しかし進めなかった。華が手を強く握り、放そうとしなかったから。
「華ちゃん……」
 二人の潤んだ視線がぶつかる。互いの気持ちは互いに、言葉にせずとも容易に想像できている。彼女たちの願いは正反対で、両方ともが叶うことはないということも。
「鈴、行かないでよ……」
 ……鈴がいなくなったら、あたしは……。嫌だ、鈴、あたしを一人にしないで……っ!
「華ちゃん、手……放してくれないかな」
 ……行きたくなんてないよ。華を置いてきぼりにもしたくないよ。だけど行かないと、わたし……!
 鈴の言葉にも華は耳を貸さず、文字通り引き止め続ける。鈴も、行かないで済むのならそうしたいと願っている。だが、
「……ごめんね」
「あ――」
 鈴は空いている右手を使い、未練がましく縋る手首を力ずくで剥がす。そしてすぐに断腸の思いで踵を返した。華の手は空を切り、再び鈴を掴むことは出来なかった。
「待って鈴! 鈴っ!」
 ずっと隣で支えてくれていた親友がいなくなってしまう。頭が真っ白になった華は思わず立ち上がって追おうとしたが、勢い余って自分のパイプ椅子をガタンと揺らしてしまう。大きな物音に、体育館内の視線が一挙に集中する。
「……っ!」
 ハイグレ人間たちは華のことを、哀れで愚かな未洗脳者のくせに式の邪魔をするな、と言わんばかりの鬱陶しげな目で見た。それら視線の網に縛られた華にはとても、立ち上がって鈴を連れ戻しに行くことなど出来そうになかった。これ以上一歩でも動けば撃たれるという予感がした。華は唇を噛み締めて、席に戻った。膝がガクガクと震えていた。
 生徒席の後方、保護者席の前方の通路を通り待機場所へと急ぐ鈴。しかし何度も何度も華の方を振り返っていた。
 ……嫌われちゃった、かな。ううん、嫌われたに決まってる。華ちゃんにはわたしがいないとダメなのに。
 華の表情は、彼女の垂れた髪によって隠れている。遂に待機場所に付いてしまっても、鈴はずっと華のいる辺りに視線を向けていた。
 ……だけどわたしもやっぱり……華ちゃんがいないとダメみたい。
 春の体育館は寒くもないのに、鈴は酷い悪寒や震えを全身に感じていた。それが緊張と恐怖と心細さによるものでなくて、何であろうか。
 ……怖いよ華ちゃん……わたし、ハイグレ人間になんてなりたくないよ……!
 直後、月子のくぐもった悲鳴が壇上から聞こえてきた。
「く……うぅぅ……っ!」
 鈴は、ピンクの光によって強制的にハイレグ水着へと着替えさせられていく月子を振り仰ぐ。それが百秒後の未来の自分の姿に見えて、息が詰まった。
「月、子……!」
 その頃。
 ……私の意識は、いつまで保つだろうか。
 月子は消えかかる意識の中で、残る三人のことを思っていた。教室から出る際に声を掛けた、自分よりも出席番号が後ろの三人のことを。
 ……清香。君が水着に着替えさせられてもずっと洗脳を拒み続けていたこと、隣で見ていた。鈴、華。最後に残る君たちが互いに支えあい続けていたこと、知っている。君たちの姿に励まされたからこそ、私はここまで耐えてこられた。……ありがとう。
 唯一の心残りは、そんな三人に恩返しが出来ていないこと。ならば最後に、と月子は思う。
 ……抗ってみよう、この洗脳に。
 今まで光線を受けた生徒たちが誰一人成し得なかったことなのは理解している。それでも、不可能と決めつけるには早い。自分が最初の前例となれば、必ず三人に希望を与えられるはずだ。
 ……想像よりも、光線の力は強くない。心を強く持てばきっと耐え切れるはず……!
 光に包まれた生徒たちの多くは絶叫に等しい悲鳴を上げていた。それに比べて月子が感じていたのは、静電気が体表面を走り回っているようなショックのみだ。もしかすると、何らかの理由で自分には洗脳効果が効きにくいのではないか。
 だが、ハイグレ光線の副作用である刺激の大きさや感じ方の違いは、単なる個人差に過ぎないのだった。電気的な痺れを感じる者もいれば、熱に浮かされたような火照りを覚える者もいる。そして結果は常に一つに定まる。
 ……私、は……。
 光から解放された月子は、オレンジ色の水着姿になっていた。月子は数百人の観衆と自分が同じ存在だということを瞬時に認識し、すぐさま腰を落とした。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! 私はこれから、ハイグレ人間として一生を捧げます。ハイグレ!」
 洗脳を受けたという自覚をする間もなく、彼女はハイグレ人間の思想を植え付けられたのだった。
* Re: 帝後学園の春 ( No.14 )
 
日時: 2015/08/28(金) 22:26:51 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 月子の番が終わった。ということはつまり。
 ……あたしも、行かないと……でも……っ!
 長かった卒業式も遂に終わりを迎えようとしていた。その最後の最後に呼ばれるD組40番、渡瀬華は今、孤独と絶望の中で震えていた。
 お尻にスカートを敷いて椅子に座っていられる時間は、終わりを告げた。一度この席を立ってしまえば、再び戻ってくるときには自分はもう、人間ではなくなってしまっているのだから。
 先に行った鈴の後を追い、自らハイグレ人間になりに行くこと。それが帝後学園中等部の卒業生の務めであり、華が今しなければならないことだ。
 ……そんなのやだよ……おかしいよ……!
 だが、華の足は頑なに立ち上がることを拒む。むざむざ光線を浴びに赴くなど絶対に嫌だ、という思いが足を縛っていた。
 とは言え、ここに留まっていてもやはり撃たれてしまう。僅かでも人間でいる時間を伸ばすためにも、待機列に並びに行かねばならない。
「――弓原清香」
「ハイグレ……っ!」
 そうして順番がやってきてしまうが、華は未だ動けない。
 ……は、早く立たなきゃ撃たれちゃう! 動いて! 動いてぇっ!
 まるで下半身不随になったかのように、腰から下に力が入らない。そのまま清香が呼ばれてから十秒もすると、異変に気付いた高校生たち数名が二階ギャラリーで光線銃の準備を始めてしまう。それを視界の端に捉えてしまった華の焦りは最高潮に達し、完全に固まってしまう。
 高校生の指が引き金に掛かった、そのとき。
「――華っ! 立ちなっ!」
「う、うん!」
 華にとってよく聞き慣れた声、しかしこの事態に陥ってからは思い出すことすら忘れていた存在の声だった。保護者席から届いた鋭い命令が、華を反射的に立ち上がらせた。一瞬前まで座っていた椅子に、光線が命中して消える。
 華は心臓が早鐘のように鳴っているのを感じながら、後ろを振り向いた。大勢のハイグレ人間に囲まれて、たった一人だけ礼服姿の女性がいた。彼女の名前は渡瀬翠。
二十歳の、華の姉であった。
 ……ったく、なんとか間に合ったか。華の奴、覚悟するのとか決断するのがホンっトに苦手なんだから。
 翠は周囲から受ける非難の視線を意にも介さず、足を組んで式の成り行きを見守っていた。保護者共々ハイグレ人間とかいうのにさせられる、と聞かされたときには流石に焦ったが、どうあがいても回避出来ないのならこれも不幸な事故だと達観し、華と運命を共にする覚悟を決めていた。妹の順番が差し迫ってきたので様子を遠目に窺うと、華は立ち上がる意志のありげな動きをしているにも関わらず立つことが出来ずにもがいていたのだった。華が不完全な洗脳光線を浴びるのがマシだと思っているならそれでも良かったが、本心はそうではないようだった。だから翠は昔からしているように華に命令をした。こうすれば必ず妹は動くと知っているから。
 もしもたった一声掛けることのみで式の進行の邪魔と認定されてしまったとしたら、ハイグレ人間となった後で華に謝ろうと考えていた。が、高校生たちは銃を下げた。どうやら見逃してくれたようだった。
 華と目が合った。どうやら今の今まで、姉が参列していることを失念していたような表情だった。翠は思わずクスリと笑ってしまう。そして華を不安がらせぬよう、微笑んで頷いた。行け、頑張れ、大丈夫だ、私がいる……そんな励ましの言葉を込めて。
「お姉、ちゃん……」
 華は翠の声なき声をしっかり受け取った。そして心の中の孤独感が、一気に薄まっていくのを感じた。自分の番が来たとしても、この体育館に人間は自分一人じゃない。その思いが、華に僅かながらの勇気を与えてくれた。華は歩き出す。少しでも長く、自分も姉も純粋な人間でいるために。
 最後の人間の姉妹が絆を確かめ合っている最中、ほとんどのハイグレ人間たちは壇上に注目し続けていた。
「卒業、おめでとう」
「ハ、ハイグレ……ありがとう、ご、ございます」
 清香は学園長の前で、ぎこちないハイグレポーズを行った。表情もちょうど愛想笑いのように固い。それもそのはず、彼女はハイグレの光を浴びせられはしたが、未だに洗脳に抗い続けているのだ。
 ……うちの身体、もうほとんど言うこと効かないや。それに、ハイグレが気持ちいいってことも、十分知っちゃった。
 学園長の紫のハイレグ姿が焼き付いてしまった瞳を閉じる。代わりに浮かんでくるのは、自分の晴れ姿を見ている母と、妹の楓香のこと。先ほどここへ向かうすがらに保護者席を一瞥してきたが、どうやら二人はもう完全にハイグレの思想に染まってしまっていたようだった。でなければこの姿のまま笑顔になどなれるはずがない。
 ……可哀想に。でも、この気持ちよさを我慢するの、辛いよね。ハイグレに身を任せたならどれだけ楽だろうって、うちも何度も思ったよ。……だけど。
「弓原さん、あちらを向いてください」
「ハイグレ!」
 声に合わせて、水着の足ぐりをV字になぞるポーズをする。間髪入れずに下腹部から全身へ、熱い快感が走っていく。それでも清香は自ら屈することをよしとしなかった。
 ……ハイグレ人間になったら、うちはうちじゃなくなっちゃう。どれだけ我慢が辛くても、そんな自殺みたいなことだけはしたくない。
 清香は命令に従って学園長に背を向けた。間もなく銃の引き金が引かれ、十五年の人生に幕が降ろされるだろう。清香にとってそれは、式が始まってからの地獄のような時間中待ち望んでいた、救済の時であった。
 ……だから、うちがこれ以上抵抗しなくてもいいように、一思いにお願いします。もう……疲れちゃったよ。
 強張っていた身体の力を抜き、心の中で呟く。そうしてハイグレ光線を、穏やかな表情で迎え入れた。
「キャアアアアアァァァァッ!」
 ハイグレに堕ちる覚悟は終ぞ出来なかった。だからこそ強制的にハイグレ人間にしてもらえる、この瞬間を待っていた。熱い光に包まれて、自分がなくなっていくのを感じながら清香は微笑んだ。
 数秒で清香は生まれ変わる。黒のハイレグはそのままに、彼女はハイグレ人間としての産声を上げた。
「ハイグレ! あははっ! ハイグレ! お母さん、ふう、見ててくれた? うちもやっとハイグレ人間になれたよ! ハイグレ! ハイグレ!」
 全ての憂いが晴れたような笑顔でのハイグレポーズ。清香の孤独な戦いは、こうして終わった。
「きよかねーちゃーんっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ!」
「良かったね……ちゃんと見てたよ、清香。ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」
 清香の付けていたコサージュを通して、母と清香も学園長の光線を浴びた。二人もようやく周囲と同じ洗脳を受けることが出来て、喜んでいるようだ。
 清香は軽い足取りで階段を降り、席へ戻っていく。タイミングを見計らい、D組担任は39人目の生徒を呼ぶ。
「――竜堂鈴」
 悪魔の呼び声に、鈴の肩がビクンと跳ねた。遂に自分の番が来てしまったことを、否応なしに意識させられる。
「……はい……」
 躊躇いながら鈴は返事をする。洗脳工場の入口に立ってしまった鈴には最早、指示に逆らうことは出来ない。許されているのは、この一方通行の道を進んでいくことのみだ。
 心臓の鼓動が耳にまで響いてくる。それを必死に耐えて、鈴は一歩踏み出した。
 そのとき、
「鈴ぅ……っ!」
 華の縋るような声が、足元から聞こえてきた。鈴は思わず立ち止まる。上目遣いで涙を湛える目は、口ほどに「行かないで」と訴えていた。一度ならず二度までも、鈴が側から離れていってしまうことが華には耐え切れないほど苦しかったのだ。
 だが華は一度目とは違い、本当に鈴が戻ってきてくれるとは思っていない。あのとき華は鈴がむざむざ壇へ向かう理由を、理屈では分かっていたものの本心では理解を拒んでいたのだ。それをやっと理解出来たのは、自分がいざ立ち上がらねばならなくなったとき。姉から貰った覚悟――少しでも長く人間でいるために前に進むこと――と同じ決意を鈴も持っているならば、親友の言葉なんかで心変わりする段階はとっくに越えているはずだ。
 ただ、そのことと親友が死地に赴くことを止めたい気持ちは別物であった。鈴の名を呼ぶことで彼女の心を揺るがせてしまうかもしれないとしても、華は感情を抑えきれなかった。
 鈴は数秒、華と視線を合わせた。口を開くが、何も言う前につぐんでしまう。
 ……今喋ったら、進めなくなっちゃう……。
 そんな予感がして、鈴は再び華に背を向ける。
 鈴の心はほとんど恐怖に埋め尽くされている。それでも前に行くことを選べるのは、華や保護者席にいる母が、自分が消える最期の瞬間まで見ていてくれると信じているから。自分が人間の竜堂鈴であって欲しいと思ってくれる人がいると思えば、その期待に応えるために勇気を振り絞れる。
 無視をしてしまった華には申し訳ないと思う。だが今は進むことこそが最良の選択だと信じて、鈴は学園長の前に立った。
* Re: 帝後学園の春 ( No.15 )
 
日時: 2015/08/28(金) 22:29:04 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

「卒業おめでとう」
「……はい」
「辛かったでしょう、こんなに長い間待たされて」
 学園長が突然、優しい口調で語りかけてきた。鈴は答えない。
「君もこう思っているはずです。『ハイグレ人間になんてなりたくない』と」
 反応がないことを確認して、続ける。
「ですが、こうは思いませんか? 緊張し続け、恐怖し続け、心は疲れ果ててしまった……今こそが一番の地獄だと」
「……」
 依然返答はしない。が、心の中ではその問いに肯定を返していた。学園長はライフルのような光線銃を、机の上に置いて見せる。
「このハイグレ光線を浴びれば、一瞬で地獄から解放されます。まあ、そのハイグレが嫌だからこそ地獄のような思いをしているのだということは理解しています。それでも……どうですか? ハイグレ光線は怖いものではなく、むしろ今感じている恐怖の感情を晴らしてくれる、君を救ってくれるものだと、思ってみませんか?」
「……本当に、救ってくれるんですか……?」
 鈴は尋ねてしまった。詭弁ということは分かっていたが、「救う」という単語から滲む暖かな光の誘惑には逆らえなかった。
「ええ、もちろんです。私は、生徒の皆さんにはなるべく、安らかな気持ちでハイグレを受け入れてほしいと思っています。――君は本当に苦しそうな表情をしていました。きっと、君以上に辛いだろうお友達を置き去りにしてきたことが、余計に君を苦しめているのでしょう」
「はい……」
「ですからこう考えてみてはいかがでしょう。どちらにせよ君たちはハイグレ人間になります。ならば先にハイグレ人間になる君が彼女の道標となり、ハイグレの良さを教えることで、少しでも彼女の辛さを和らげてあげる、というのは」
 鈴の苦痛の理由の一つは指摘の通り、最期にひとりぼっちになってしまう華を慮る気持ちゆえだ。だが学園長の言うように、ハイグレ人間になることは怖くないのだと、ハイグレ人間になればまた自分と一緒にいられるようになるのだと、そう言って華を招けば、華の恐怖を少しは取り除けるだろう。
 ……どうせ、未来が変わらないのなら。
 そう、どうせハイグレ人間になるのならば、怖がるよりも喜んでなったほうが良い。
 ……華ちゃんの気持ち、ハイグレ人間になったわたしなら軽くしてあげられる……よね。
 鈴の恐怖心が融けていく。ハイグレ人間になることのメリットがいくつも提示されたことで、このまま人間でいることに価値が見出だせなくなる。
 ……ハイグレ人間に、なれば……!
 覚悟が、決まった。鈴は小さく学園長に会釈すると、回れ右をして観衆の方に身体を向ける。
 それを見て、舞台端に立っていた華が叫んだ。
「嘘……嫌だ! やめてよ鈴っ!」
 鈴は華の恐慌ぶりを見て、まだハイグレ人間となる未来を受容出来ていないのだな、と思った。一分前の自分もそうだったのだ、気持ちは痛いほど分かる。だが、
「華ちゃん、安心して」
「す、ず……?」
「ハイグレ人間になれば、もう辛い思いをしないで済むんだよ。それが分かれば、華ちゃんもきっとわたしと同じ選択をする。……私が先にハイグレ人間になるんだから、華ちゃんがハイグレ人間になったとき、華ちゃんは一人ぼっちじゃないよ。私が一緒にいる。だから」
 そう言って息を吸い、
「先に行って、待ってるね」
 にこりと微笑んだ鈴の顔が、身体が、ピンク色の光線に塗りつぶされた。
「きゃああああああああああああああ!」
 強烈な光に目を灼かれるのも厭わず、華は変わりゆく鈴を直視し続ける。親友が最期に見せた表情が、どうにも気がかりで。
「……どうして……」
 数秒後、鈴は灰色のハイレグ一枚の姿になって現れた。そしてすぐさま両膝を外に向けて腕を振り下ろし、
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! わたしはハイグレ人間、竜堂鈴! ハイグレ人間になれて今、とっても幸せですっ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」
 心の底から喜ばしげに何度も、躍動的なハイグレポーズを行った。
 そんな親友の変わり果てた姿を見つめたまま呆然と、華は呟いた。
「なら……どうして、泣いてたの……!?」
 華に語りかけている最中からボロボロと溢れ続けていた彼女の涙が数滴、水着に染みて濃い色の斑点を成した。
 鈴がポーズを止め、壇上を去っていく。途端に得体の知れないプレッシャーが、華に襲いかかる。悪寒の伴うそれに身震いが起きる。
「――渡瀬華」
 華はプレッシャーの正体に気が付いた。自分に注がれる幾千の瞳。その全てが、最後の人間がハイグレ人間に変わる様を心待ちにしていたのだ。
 ……う……!
 もしもこれが普通の卒業式であって、その大トリを務めるのだとしても、やはり相当な緊張を強いられただろう。だが今感じているのはそれとは似て非なるもの。気恥ずかしさではなく、純粋な恐怖からくる本物の緊張だ。自分に残された時間が僅かしかないのだと思うごとに、心音が異常に加速する。
「――渡瀬、華」
 警告の色を帯びた呼名に、華は既に一度名を呼ばれていたのたということにやっと気が付いた。返事をしなければ。
「……はい」
 159人の洗脳の末にとうとう来てしまった、自分の番。初め、帆乃佳の洗脳を見た頃にはまだ、「いずれは自分も」とは思えども他人事のようだった。しかし同級生や親友たちがハイグレ人間にされていくにつれ、だんだんと紛れも無く未来の自分にも起きることだと感じられるようになってきた。そして、ついに今。
 ……嫌……行ったらあたしも……! 歩きたくない! 行きたくないっ!
 ハイグレ人間たちの視線が華を急かす。だがハイグレを拒否する感情のために、華は前に踏み出すことすら出来なかった。
 ……もうどうなってもいいから戻りたい! 帰りたいよぉっ!
 先ほどまで自分が座っていた席を見る。空席となっている角の椅子はしかし、もはや人間の自分が座っていい場所には思えなかった。そこは鈴を始めとした159人のハイグレ人間の並びの果てに用意された席。160人めのハイグレ人間を迎えるための席に変わっていたからだ。
 退路は断たれた。もちろん一歩でも後ろに下がろうものなら、ギャラリーで銃を構える高校生によって撃ち抜かれるだろう。この場に立ち止まり続けても同様だ。華に唯一許されているのは、学園長の前に進み出てハイグレの洗礼を受けることだけだ。
 D組担任が息を吸い込む。あわやという瞬間、華は視界に映り込んだ姉の姿のお陰で反射的に、右足を前に出すことが出来た。
 ……そうだ、お姉ちゃんが見てる。あたしはこんなところで止まっちゃいけないんだ……!
 逃げ出したい一心を、姉のためという空虚な鼓舞で抑えこむ。とは言え、この場から動き出す原動力としては充分。あとは重いトラックを人力で挽くが如く、ゆっくり確実に二足歩行をしていき、華はようやく学園長と相対する位置まで辿り着いた。
 目の前で見る紫のハイレグの学園長は、遠目の印象よりも小柄に見えた。横幅はあり、水着に包まれた腹部は膨らんでいるものの、身長だけならば華と――女子中学生とさして変わらないのではないか。だが、
「卒業、おめでとう」
 彼から発せられる禍々しいほどの雰囲気が、その存在感を何十倍にも増幅させていた。
 ……こいつが、みんなを……鈴を……っ!
 全てをおかしくした元凶に対し、恨みは当然ある。なのに、仇を討ったり全員を元に戻すよう命令したりすることが出来るイメージが、華にはどうしても描けなかった。姉との喧嘩の際、時には手が出ることもある華だが、今固く握っている拳は学園長に向けて振るうことは出来そうになかった。洗脳される前である現時点ですら逆らい難い、とてつもなく巨大な存在に思えた。
 ……悔しい……!
 こんな奴に全てを奪われたのか。姉も自分も奪われてしまうのか。そう思うと涙が止まらなかった。
「君で最後ですね」
 と、学園長が微笑みながら語り始めた。鈴もこうして説得されたのか。
 ……あたしは絶対に最後まで、自分を見失ったりしない!
 華はそう決意し、出来る限り耳を貸さないように努める。が、言葉は容易く鼓膜を通って脳へと達してしまう。
* Re: 帝後学園の春 ( No.16 )
 
日時: 2015/08/28(金) 22:31:44 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

「例年、最後の生徒はここに来るまでに、高校生の光線を受けてハイレグ姿になってしまいます。特に、席を立たねばいけない場面で立ち上がれずに、ということが多いですね。きっと最後というプレッシャーや恐怖に耐え切れないのでしょう。それに比べて君は、よく頑張りました」
 自分も何度、進めなくなっただろうか。華は思わされる。列に向かうとき、呼名のとき、どちらも自分一人では尻込みしたまま終わっていただろう。心の中に鈴や姉がいたからこそ、かろうじてここまで来られた。
「先ほど、竜堂さんともお話をしました。彼女は、後に残してしまう君のことを気遣い、苦しんでいました。また、君が彼女のことを引き留めようとする様子も、ここから見ていました。そんな素晴らしい友情関係がこの学園で育まれたこと、私は学園長として誇りに思います」
 ……確かに、この学園に通えて良かったと思ってた。帝後学園に入学したからあたしは、鈴たちや帆乃佳たち、みんなと出会えたんだから。……でも、こんなことになるなら――。
 帝後学園に来なければよかった。華は心の中でこのように続けようとして、しかしギリギリで思い留まる。一度でもそう思ってしまっては、折角できた親友たちとの関係そのものを否定することになってしまう。かけがえのない友人との出会いは、いかなるものにも代え難いのだから。
「竜堂さんは、少しでも君が怖がらずにハイグレ人間になれるようにと、ハイグレを受け入れることを決断しました。先にハイグレ人間になって君を迎える、と言っていましたね」
「……っ」
 親友の話を出され、華の心は揺らぎかける。だが、
「それに、見たでしょう? ハイグレ人間となった竜堂さんは、あんなに楽しそうにハイグレポーズをしていたではありませんか。……ですが今のあなたはまだ人間で、たった一人ぼっちです。再び彼女と友達になるために、君も同じハイグレ人間になるのですよ。さあ……!」
 華は学園長のこの言葉を聞いて、腹の底で熱いものが煮えくり返るのを感じた。
「――違います……!」
「……何ですか?」
 その思いを、一気にぶちまける。
「学園長先生は何も知りません! 鈴が楽しそうにハイグレをしてた!? 違います! 鈴は泣いてました! ハイグレ人間になる以外、他にどうしようもなかっただけです! それにあたしは一人じゃありません! あたしにはまだお姉ちゃんがいます! 今もあそこからあたしを見てくれています! ……先生は卑怯です。そういう綺麗なことを言って騙して、皆をおかしくしたんです! 鈴とお姉ちゃんがいるから、あたしは絶対騙されません。やられる最後の瞬間まで、あたしは人間であることをやめませんっ!」
 後悔は無かった。反抗の結果、すぐさまハイグレ人間にされようとも構わなかった。
 鈴のことを一番よく分かっているのは、帝後学園で一緒に時間を過ごしてきた自分なんだ。姉がいつも見守ってくれているのを知っているのは、生まれたときから一緒に時間を過ごしてきた自分なんだ。学園長先生なんかが鈴のことや姉のことなど知っているものか。嘘を並べて心を折ろうとしたって、そうはいくか。ここでもし騙されて自ら身体を差し出してしまったら、鈴の親友として、翠の妹として、自分で自分を許せなくなる。
 華は息を整えるため、肩を上下させる。驚き戸惑っている学園長を睨みつける華。
 ……お姉ちゃん、鈴、みんな、言ってやったよ。
 怒りはまだ、身体の中に渦を巻いていた。だがそれと同じくらい、満足感もあった。
「……渡瀬さん」
 学園長が、静かに口を開く。
「君の考えはよく分かりました。そして、私の発言に恣意的な部分があったことも認めましょう。ですが――」
 そして黒光りするライフル銃を両手で構えた。ガラス球のような銃口がピタリと胸元に向けられて、華は思わず一歩後ずさる。
「君が何と言おうとも、どう思おうとも、私は一切気にしませんよ。何故なら今の君はただの愚かな人間。私たち、ハイグレ人間とは決して相容れない下等な存在なのですから。頑丈な檻の中のライオンが飛びかかってきても、驚きこそすれど本気で怖がりはしないでしょう? それと同じですよ」
 言って、口元にゾッとするような笑みを浮かべる。華を説得しようとした当初とは正反対だ。学園長は本当にハイグレ人間を至上の存在だと思っている、それが華にはよく分かった。同時に、下等と罵られた怒りと悔しさや、ハイグレとかいうものを崇拝する学園長への哀れみと恐怖といった感情が、一挙に押し寄せて訳が分からなくなる。
 そして、
「……何にせよ、これ以上のお話は必要ありませんね。続きは、君がハイグレ人間となった後に聞きましょう」
「ひ……っ!」
 引き金に指が掛かる。自分の寿命が幾ばくもないと本能的に悟らされた華は、先の威勢も消え失せて身体を強ばらせた。筋肉が無意識に、痛いほどに引き締まっていく。
 ……あたしも……ハイグレ人間に……!
 学園長と同じ。鈴と同じ。帆乃佳や陽奈やいずみや彩音や明乃と同じ。同級生や保護者や高校生と同じ、鋭く切れ上がったハイレグ水着姿に。「ハイグレ」と叫び、がに股になってV字を繰り返し描く、ハイグレ人間に。
 ……嫌だ嫌だ! やっぱり嫌だ! あんなのの仲間になんてなりたくない! あんなポーズしたくない! 絶対無理、恥ずかしいし気持ち悪いし……! あたしは、あたしは人間でいたいっ!
 助けを求めるように後ろを振り向く。だがそこには姉を除き、自分のハイグレ人間化を待ち望むハイグレ人間しかいなかった。華は体育館のステージの中央、壇の際に立ち尽くす。
 ……そんな……そんなぁ……!
 恐怖が華に涙をこみ上げさせ、床を濡らす。学園長は楽しげに、華の背中に対して告げる。
「そうだ、君に選択肢をあげましょうか? このまま私に撃たれるか、それとも、高校生たちの持つ洗脳銃の最低の出力で撃たれるか。後者を選べば君は、姿や行動こそハイグレ人間のそれになりますが、人間の心を失うことは決してありません。ただし、生を全うするまで完全なハイグレ人間にはなれませんがね。どうしても人間でいることにこだわるのなら、悪い提案ではないと思いますが?」
 せめてそうしてください、と反射的に言いかける。が、直前に華は清香のことを思い出した。ハイレグ姿にされたにも関わらず、ずっと苦しげな表情でハイグレを拒み続けていた彼女のことを。そこからようやく解放されたときの清香の清々しい顔は、きっと洗脳されたからではなく本心から出たものだろうと思えた。人間のままハイレグ姿になると、拷問に等しい苦しさを味わうことになるのだろう。しかも、永遠に。
 ……嫌……そんなのもっとイヤぁ……っ!
 人間には、選択肢を与えられるとその中から選ぼうとする習性がある。その中で、最も自分に得なもの、マシなものを選ぼうとする。
 ……だったら、先生に撃たれたほうがいい……!
 華は遂に、そう思ってしまった。
 恐怖のあまり、返答は出来なかった。しかし学園長は沈黙を、前者を選択したと受け取ってくれた。
「まあ、そちらは冗談で言ってみただけです。それでは渡瀬さん、転向を済ませてしまいましょうか」
 カチャリと再び光線銃を構える音がする。華は安堵するが、同時に激しい申し訳なさが襲ってくる。
 ……ごめんね、お姉ちゃん。せっかく来てくれたのに、こんなことになっちゃって。……あたしももうすぐ、ハイグレ人間にされちゃうんだ……。
 深く溜息をつき、恐怖を受け入れる心づもりが整う。こうなる未来は、三年前の入学式のときから決まっていたのだ。だが友達も出来たのだから、後悔なんてしない。むしろ帝後学園に来てよかったと、華は心から思えた。
 だから、
 ……これからもみんなと一緒にいたいな。
 そのために、
「――きゃあああああああああああああああああっ!」
 華はハイグレ光線を全身に浴びた。眩しさとくすぐったさにギュッと目を閉じる。その間に、三年間を共にしたセーラー服が役目を終え、これからの新たな装いへと改められていく。肩から股までを包む、肌に吸い付くような水着姿へと。
 ……あ、あぁ……変わってくぅ……っ!
 肉体の僅かな凹凸をもくっきり浮かび上がらせるほどのキツさがありながら、着心地はなめらかな肌触りのお陰でとても良い。そんな水着が、華のまだ成熟しきっていない身体を包んでいく。
 ……き、きもちい……ひぅっ!
 少女のデリケートな部分さえも、水着は容赦なく締め上げる。心もとないほどの細さは同時に、前から後ろまで一本の食い込みを形作る役を果たす。
 そうして華が着替えを済ませてしまうと、更衣の光は元纏っていた人間の衣服とともに消失した。後に残されたのは、腰まで切れ上がった赤ピンク色のハイレグ水着だけを着た華だった。
* Re: 帝後学園の春 ( No.17 )
 
日時: 2015/08/28(金) 22:34:05 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

「うぅ……あれ、あたし……」
 恐る恐る目を開き、身体にジンジンと感じる快感の正体を確かめる。そして単色の生地を見ると、すぐさま全てを理解する。
「そっか、あたしは……!」
 このようになった者は、しなければいけないことがある。馬の仔が誕生後すぐに立ち上がろうとするように。華も自分の中に存在する本能に従って、足を大きく外側に広げて腰を落とし、両手を伸ばして股間の脇に添えた。
 そうして華は万感の思いを込めて――ハイグレ人間となったことを宣言する。
「ハイグレっ! ハイグレっ! ハイグレっ! ハイグレっ! あたしは渡瀬華……ハイグレ人間・渡瀬華ですっ! やっとあたしもみんなと同じ、ハイグレ人間にしていただけました! 今まで待ってる間、本当に辛くて、本当に怖かったけど……そのぶん、これからはずっとずっとハイグレし続けたいですっ! ハイグレっ! ハイグレっ!」
 上体を仰け反らせてV字に腕をこすり上げる度、華は未知の快感に溺れていく。
 ……あはは! 気持ちいいっ! あたし、どうしてハイグレを怖がってたんだろう? どうしてもっとすぐにハイグレにならなかったんだろう? こんなに素晴らしいことを知らなかったなんて、本当に馬鹿だったなぁ……!
「ハイグレっ! ハイグレっ! ハイグレぇっ!」
 ……でも、これであたしもみんなと一緒だ。それに、席に戻ったらまた鈴に会える。今度は人間なんかじゃなく、ハイグレ人間として。式が終わったら、一緒にハイグレポーズ、してくれるかな?
 ポーズを止めずに華は、鈴に視線を向ける。表情までは分からないが、鈴は小さく手を振っていた。ハイグレ人間になった自分を、迎えようとしてくれていた。それが嬉しくて、華は更に大声を張り上げる。
「ハイグレっ!! ハイグレっ!! ハイグレっ!!」
 そうして乱れる妹の様子を、姉の渡瀬翠は哀しげに、しかしいたわるように見つめていた。彼女の胸元に挿された花のコサージュが、力を発揮せんと煌々と輝いていた。
 ……華、辛かったろ? よく頑張ったな。……姉ちゃんも今、そっち行くよ。
 巨大な嫌悪感と僅かばかりの好奇心を秘めて、翠はピンクの光に飲み込まれた。
「う……わあああああっ! ――ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! これがハイグレかぁ、なかなかいいな! ハイグレ!」
 翠はエメラルドグリーンのハイレグを着て、成人を迎えたばかりの四肢を晒す。こうして体育館内最後の人間も、あえなくハイグレ人間となったのだった。
 見渡す限り色とりどりのハイレグ水着と肌色ばかりの空間を、華は感慨深げに見渡しつつ歩く。自分もそれの一部となれたのだということを、心に刻んで。
「華ちゃん、おかえり!」
「鈴……うん、ただいま」
 席に戻ると、もう目元の腫れもハイレグの染みも元通りになった鈴が迎えてくれた。華は安心し、腰を下ろした。尻の後ろに手を回して何かを敷く仕草を反射的にしてしまったが、そこには何の感触も無く手は空振りをした。
「あ、そっか。もう無いんだっけ」
「何やってるの?」
「何って……あれ? 何だろう……」
 その不可思議な所作について鈴は疑問を呈するが、本人にもそれが何を意味するのか、何故自分がそんなことをしてしまったのか、改めて考えても全く分からなかった。
 ハイグレ人間の腰回りに、ハイレグ以外の布はない。人間の女性が穿く、無造作に椅子に座ると折り目がついてしまう帯状の布切れの知識は、ハイグレ人間には不要なものとして排除されていたのだ。
 二人がどうにもおかしくて小声で笑い合っているところに、D組担任が声を掛けた。
「以上D組40名、人間を卒業し、ハイグレ人間となりました。――C組、ハイグレ!」
 D組の生徒が立ち上がるのに合わせて、華と鈴も慌てて腰を上げる。そして、
「ハイグレぇ!」
「ハイグレ!」
「ハイグレッ!」
「ハイグレっ!」
 40人は一糸乱れぬハイグレポーズとハイグレコールを行い、自らの転向を改めて宣言した。
 学園長は壇上からそれを眺め、満足気に頷いた。D組が着席すると、一度その場を退出して体育館左手側の職員席に腰を下ろす。
 が、直後に司会進行役の女性教諭がマイクを手に、
「続いて、学園長のお話です」
 と式次第を進めるなり、やれやれといった表情で元の壇上へと戻っていった。
「一同、ご起立ください」
 司会の命令に、数百人のハイグレ人間たちが一斉に立ち上がる。椅子の動くざわめきが収まったのを見計らい、一声。
「――ハイグレ!」
「「「「「ハイグレ!!!」」」」」
 大きなハイグレコールが体育館に反響し、床をビリビリと震わせた。生徒にとってはこの160人でする最初で最後のハイグレだった。ハイグレ人間たちは言葉に出来ないほどの一体感と快感を味わい、半数以上が一瞬で蕩け顔へと変貌した。残りも学園長の話があるからと、必死に快楽をこらえて席に着いた。
 興奮冷めやらぬうちに、学園長がマイクを取る。講話はオーソドックスな時候の挨拶から始まり、保護者や関係者への参列の礼、卒業生への餞の言葉と続いていき、締めとしてこのように述べた。
「――卒業生諸君、並びに保護者の皆さまは今日、めでたくハイグレ人間として生まれ変わりました。多くの方は突然のことに驚き、一度は恐れを抱いたことでしょう。しかし今はどうでしょうか。ハイグレの素晴らしさをこの場の全員が知っている。一人ひとりが少なからず違いを持つ人間であればこんなことはあり得ません。我々ハイグレ人間は皆必ず、ハイグレという共通項で繋がっています。今日ここを巣立つ生徒も、三年後に巣立つ生徒もそう、ハイグレ人間という固く強い絆が、ここにあります」
 学園長が紫の胸元を叩く。その言葉に、涙もろい者たちは思わず目を潤ませてしまう。
「――私は、人類はすべからくハイグレ人間になるべきだという考えに、絶対の自信を持っています。ですから私はこの帝後学園を創設しました。私の考えが、この学園の方針が、現在の一般的な社会常識を鑑みれば非常に特殊だということは重々承知の上です。ですが常識など所詮は水物です。故にまずは、帝後学園から羽ばたくハイグレ人間たちが新たな常識を創るのです。そしてやがてこの国に、理想の社会を創りあげていくのです! ハイグレ万歳っ!」
 ひときわ大きなハイグレポーズを礼の代わりとし、学園長は降壇していく。演説調の話にハイグレ人間の生徒たちは胸を打たれた。自分たちの存在理由と使命を再認識し、これからの高等部での、あるいは新天地での生活を頑張ろうと、心に決めたのだった。
 それから数人の先生や来賓の話を聞いたのち、"卒業式"は終わりを迎える。
「卒業生、退場。盛大なハイグレでお送り下さい」
 すると職員や保護者たちが全員起立し、体育館中央の花道を一斉に向いて「ハイグレ! ハイグレ!」と繰り返しだした。拍手であれば"万雷の"と形容されるであろう、暖かく心のこもったハイグレが、卒業生160名に降り注ぐ。
 そんな花道をA組の帆乃佳を先頭に、次々に退場していく。卒業式が終わってしまえば、あとは思い思いに各々が歓談した後に家路に就くだけとなる。誰の心にも一抹の寂しさが芽生えるが、それでも彼らは前に進んでいかなければならない。
 B組、C組と体育館を後にしていき、残るはD組だけだ。華はここでも列の最後尾を任されてた。両側からハイグレコールを聞きつつ、華は晴れやかな気持ちで花道を歩いていく。
 ……みんな、ありがとう……! ハイグレっ!

 こうして、帝後学園中等部の"卒業式"は幕を閉じた。160名の生徒はハイグレ人間となり、それぞれの未来へ羽ばたいていく。
 但し、その内およそ八割は引き続き、帝後学園高等部へと進学することになっている。
 彼ら内部進学生と、約20名の外部入学生は四月上旬、桜吹雪の中で入学式を迎える。
 外部入学生は当然知らない。ここ、帝後学園で行われる教育の真の目的も、生徒が常に着用しなければならない共通の制服があることも。

「これより、帝後学園高等部……入学式を、挙行いたします」
 内部進学生とその保護者は一斉に躊躇いなく衣服を脱ぎ捨てて、色鮮やかなハイレグ水着姿となって腰を落とした。
「「「「「ハイグレ!!! ハイグレ!! ハイグレ!!」」」」」
 この事態を全く聞かされていなかった者たちが、悲鳴を上げたり腰を抜かしたりなどという、至極真っ当な反応をする中で。
 ――世にも奇妙な“入学式”が始まった。

   *完*


一年近く更新が途絶えてしまい、申し訳ありませんでした。長らくお待たせいたしましたが、お付き合いいただきありがとうございました。
この物語はこれで完結ですが、当方のブログ『ハイグレ郵便局 香取犬支店』にてアフターエピソードと題して『帝後学園の春 入学式編』を公開していますので、よろしければお越しくださいませ。
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