window
 
トップページ > 記事閲覧
* 運命の日

日時: 2020/08/02(日) 19:37:52 メンテ
名前: 香取犬

どうも、香取犬です。
壮大なタイトルをつけちゃいましたが時事ネタの短編になる予定です。
自粛期間中にちゃっちゃと書ききって元の作業に戻ろうと思っています。
ちなみに本作はお題箱に寄せられたリクエストがネタ元です。お題投稿ありがとうございました。

なお本作の本文は、拙ブログを含め小説王国以外のサイトには投稿しません。理由はご賢察ください。
もしもご感想を頂ける場合は本スレッド内ではなく、小説感想スレッドか当該ブログ記事(http://highglepostoffice.blog.fc2.com/blog-entry-117.html)までお願いします。

■2020/07/27 完結しました。
■2020/08/02 本文一部修正・あとがきブログ公開しました。
 
Page: [1]
* Re: 運命の日2020/04/26(日) 19:29:12 ( No.1 )
日時: 2020/08/02(日) 18:56:26 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 明日の太陽が昇るときには世界は、自由を掴み取った人間たちが生きる世の中に戻っている。
 それを喜ぶかのように、お団子頭の少女は沈みゆく夕日を背に勝鬨の声を上げた。
『それでは皆さんご一緒に!』
『ワッハッハッハ! ワッハッハッハ!』
 宇宙人の襲来という未曾有の危機から地球を救った勇者たちは、腹の底から笑い合ったのだった。

「……流果(るか)」
 樹乃(じゅの)はオレンジ色の画面を食い入るように見つめる親友、流果の横顔に小さく呼びかけた。
「なぁに?」
「あんなふうになりたいね」
「うん、わたしも」
 流果は、樹乃の恍惚とした視線に気付かないままに相槌を打つ。
「もし、本当にあいつらが来たら……」
「ああしないといけない、よね」
 幼い二人が夢想した決意は、いつしかそれぞれの人生の指針として心の内に刻まれていく。


   * * *
* Re: 運命の日2020/04/26(日) 19:31:14 ( No.2 )
日時: 2020/08/02(日) 18:59:12 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 カーテンを締め切った暗い室内。毛布に包まって報道番組を眺める流果の瞳は、もはや生気を失っていた。
『異星人の侵略を受けて緊急事態宣言が公布されてから、四日が経過しました。今日一日の被洗脳者数はおよそ十二万八千人に及ぶと見られ、過去最高を更新。累計被洗脳者数は約二十五万五千人となりました』
 この地球にハイグレ魔王がやってきてから、もう八日になる。
 突如新宿に着陸した異星船に対し、日本政府が最初に行ったのは静観であった。相手が歓迎すべき来訪者なのか、撃退すべき侵略者なのかを見極めようとしたのだ。必然、世界中から猛批判に曝される政府だったが、これが日本人の美徳だと言わんばかりに頑として譲らなかった。
 中継映像で宇宙船の形状を見た者の中であの映画を知る人々は、この先起こるであろう惨劇を詳細に予感した。そしてそれは文字通り現実のものとなったのだった。
 着陸から数時間後、宇宙船から数百の未確認飛行物体が飛び立った。人型の生物を乗せたそれは周囲を取り囲む野次馬や報道陣に対し、空中から無差別にピンク色の光線を浴びせて回った。光線の攻撃を受けた人間は数秒後、いわゆるハイレグ水着一枚の姿となってコマネチポーズを繰り返すだけの存在――ハイグレ人間に変わってしまった。老若男女を問わず、「ハイグレ!」と叫んで異星人の長を崇め奉るように洗脳されていく。現場に集っていた烏合の衆は平静を失ってただの的と化し、次々に色とりどりのハイグレ人間が誕生した。
『『『ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!』』』
 この地獄絵図を日本中、いや世界中の人間がテレビやインターネットを通じて同時に目の当たりにした。結果わずか数日と経たずに、軋む音を立てながらも騙し騙し回っていた社会の歯車はあっけなく崩壊した。
 首相が苦渋の表情で緊急事態宣言を発令したのは、初日から数えて四日目のことだった。その時点で犠牲者は一万人を超えていた。
 結局ハイグレ星人を宇宙に追い返す有効な手立ても、犠牲者を元に戻す方法も見つからず、ただただ犠牲者の数だけが倍々に増えていくだけの無為な毎日であった。もちろん社会活動は完全に停止し、まだ敵の手が迫っていない地域の人々すらもまともな生活を送れなくなりつつあった。特に公共交通機関が全てストップしてしまったことは大きな痛手だ。洗脳が完了し、服の下に正体を隠したハイグレ人間の存在が少数ながら確認されている現状、図らずにハイグレ人間を長距離移動させてしまうことだけは避けなければならなかった。緊急事態宣言と同時に、各都市間の移動は自動車以外はほとんど不可能になった。
 今放送されているテレビ番組も、被害のほとんど及んでいない大阪の放送局から全国に放送されている。東京のスタジオは五日目には完全に封鎖。元の出演者や制作スタッフの何割かも既にハイグレ人間へと洗脳されてしまっていた。
 とはいえ、インターネットの発達によりどこからでもこうしてテレビへの出演が可能になっていたのは、移動手段を封じられたこの状況における数少ない幸いだったのかもしれない。
『ハイグレ魔王対策委員会の小松原さんとテレビ電話が繋がっています。小松原さん、いかがでしょうか?』
 都内の自宅から人気女性アナウンサー、右京みのりが番組MCとして出演者にコメントを振る。
『残念ながら犠牲者数は毎日増え続けています。これはハイグレ魔王の犠牲になった方々自身が、次々に他の方々を襲っていくからです。……ウイルスと同じとこじつけるならば、犠牲者一人あたりの基本再生産数が一日につき一増えている状態です。事態の収束の目処は全く立っていないと言えるでしょう。今我々にできるのは海外からの支援を待ち、外出自粛要請に従って自宅で静かに過ごすことだけです』
『なるほど。続いてコメンテーターの筒井さん、いかがですか?』
『何もかも遅かったんですよ。そもそもハイグレ人間に緊急事態だ、外出自粛だなんて言っても聞きませんからね。俺たち人間が巣ごもりなんてしたって逆に奴らに、歓迎しますからどうぞお越しくださいっつってるようなもんですよ』
『ですから、外出を自粛することで敵に狙われるリスクを減らし、もしもの場合に籠城できるように――』
『そうやって日本人全員が外に出なくなったとして、誰がハイグレ魔王をやっつけてくれるってんですか、っつってんの! この世にヒーローはいないんだよ!』
『つ、筒井さん、小松原さん、どうか落ち着いて――』ヒートアップした論客二人を画面越しに宥める右京の背後で、派手な物音がした。『きゃあ! 今の音って……』
 テレビの前でうずくまっていた流果は、わずかに視線を動かした。
 画面内で横を向いた右京の顔がひきつる。バーチャル背景のせいで部屋内の惨状が電波に乗ることはなかったがその代わり、右京みのりが辿った運命の一部始終は全国の人々が目撃することとなった。
『嘘、こ、こっち来ないで! 今は放送中で――いやあああああああ! ……ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!』
 ハイグレ光線が瞬き、右京は黒みがかったスーツ姿から真っ白のハイレグ水着姿に変えられてしまう。彼女の恐怖と恥辱に歪んだ表情もしかし、コメンテーターたちが呆然としている数秒のうちにうっとりと蕩けた色に塗り替わる。
『全国の皆さん! 早くハイグレ人間になり、ハイグレ魔王様に忠誠を誓いましょうっ! ハイグレ! ハイ――』
 ここでスタッフにより、右京との中継が切断された。いがみ合っていた中年男性二人は、画面に視線を釘付けにされたまま固まった。
 流果は、放送事故のごとく沈黙するテレビの電源をオフにした。もう、テレビすらも心の救いにならない。今唯一流果を支えてくれる存在の名前が、思わず口からこぼれ落ちる。
「もうやだよ。樹乃、早く帰ってきて……」
「――ただいま、流果」
 弾かれたように振り返ると、樹乃がレジ袋一つ分の食料を持って微笑んでいた。何より流果を安心させたのは、樹乃の服装が出掛けていったときのままの見慣れた洋服姿だったこと。
「おかえり」
「大丈夫? 顔色悪いけど」
「気のせいだよ」
 幼馴染の指摘を認めまいと、流果は毛布に顔を埋める。それからわざとらしく話題を変えた。
「そんなことより、食べ物買えたの?」
「んー、まあなんとか」樹乃はなんとか確保してきた二食分の冷凍食品を冷凍庫にしまいながら答える。「でも、もうここらへんのスーパーもダメだね。流通も止まっちゃってるみたい」
「ここ埼玉なのに、もう?」
「被害はまだ東京に集中してるって言っても、みんな籠城のために買い占めちゃうんだよ」
 台所で戦利品の仕分けを終え、樹乃は流果の隣に腰を下ろした。
「特にカップ麺と冷食とパンはやばいね。棚がほとんど空で何事かと思った。――これ、唯一売れ残ってた激辛黒カレーパン。流果食べる?」
「いらない」
 美味しいのに、と呆れつつカレーパンに齧りつく樹乃。「あ、結構辛い」
 ジンジンと痺れる舌の刺激にささやかな生の実感を抱きながら彼女は、この一週間ですっかり臆病に変わり果ててしまった幼馴染の温もりに体を預けた。
 そして今日まで過ごしてきた日々のことを、ゆっくりと思い返す。
* Re: 運命の日2020/05/05(火) 23:10:59 ( No.3 )
日時: 2020/08/02(日) 19:00:09 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 流果の両親は元々出張の多い職業で、度々家を空けて娘一人にしてしまうことがあった。そんな生い立ちのせいで早いうちからしっかり者として育った流果。とは言え、小さな子供が家で一人きりなのは危険も多い。それを見かねた樹乃の母親が「いつでもうちに泊まりに来て」と声を掛けていたのだった。言葉に甘えて樹乃宅にやってくる際に流果は、寂しくないよう親が買い与えてくれたおもちゃやDVDの類を持ち込んで樹乃と一緒に楽しんでいた。例の映画も、その中の一本だった。
 こうして樹乃と流果は、幼馴染以上の存在として共に時間を過ごしてきた。二人の関係を姉妹になぞらえるならば、自主性や責任感が強く人を巻き込んで動くことのできる流果の方が姉のポジションにあったと言える――今となってはまるで逆転してしまっているが――。
 二人はこの春に中学校を卒業したものの、新生活に浮足立つ春休みの真っ最中に前代未聞の異常事態が発生した。
 現実に非現実が侵食してくることなど、夢でしかないはずだったのに。
 樹乃は、流果にもたれかかっている側ではない左の懐からスマートフォンを取り出した。待受画面には目の周りを赤くした二人とその母親が並んで写っている。つい先日の卒業式で撮影した写真だ。そして表示されている日付は、
 ……今日、だったんだけどな。
 本来なら今頃、樹乃と流果は同じ高校の入学式に行き、胸に可憐なコサージュを着けていたに違いなかった。が、一生に一度しかないその行事は不要不急と分類された。自室に飾っていた高校の制服は、一度も袖を通さずに埃を被りつつある。
 しかも、思いを巡らせるのはそれだけではない。
 ……お母さん、流果のお母さん……。
 樹乃は二年前に父親と死別しており、肉親は母しかいない。その母はあの日、東京へ仕事に向かったきり家に帰ってきていない。流果の両親も、緊急事態宣言が発令された日の夜から連絡が取れないでいる。当初こそ樹乃を心配して泊まり込みに来てくれていた流果であったが、両親が消息を絶ってからは流果の方が居候状態になっており、当然深く落ち込んでしまっていた。
 こうして十五歳の少女たちは、互いのみを支えにして日々を生き長らえてきた。
 だけど、と樹乃は買い物中に着信した電話の内容を思い出す。すると元々ざわついていた心が、更に落ち着きなく暴れ始める。左手に握り込んだスマートフォンがミシリと音を立てた。
 受話器の向こうの相手は、全てを知っていて樹乃に電話をしてきたのだろうか。改めて考えてみても、判断はつかない。それでも樹乃はあのとき、受諾する以外の選択肢を浮かべることはなかった。嘘でも本当でも構わない、ただ、差し伸べられた手は取るしかない。
 ――それが、流果のためでもあるのだから。
「流果。今日ってさ、入学式だったでしょ?」
「……そう、だっけ」
「そうだよ」
 流果の返事は無気力だ。樹乃は彼女を元気づけようと一つの提案をする――真の目的は隠したままに。
「だからさ、着てみようよ。高校の制服」
 反応はない。流果は顔も上げない。樹乃は絶対にこっちを見させてやるとばかりに立ち上がりざま、流果が纏う毛布を剥ぎ取った。部屋着代わりのジャージ姿を晒した流果が、隈のある目で樹乃を見上げる。作戦は成功だった。
「どうして?」
「私たちだけの入学式をするんだよ。流果も楽しみにしてたでしょ」
「……高校に行けるわけでも、誰かが祝ってくれるわけでもないのに」
「お母さんたちが帰ってきたって言ったら?」
「うそっ」
 流果は信じられないと言いたげな表情をした。しかし本当であってほしいと顔に書いてあるのを見て、樹乃は畳みかける。
「さっきうちのお母さんから電話がかかってきたんだよ。流果のお母さんも無事だって。……お父さんは分からないらしいけど」
「そう……でも、良かった……」
「電車も止まってるから東京から歩いて来たんだって。で、今は高校の近くまで来てるって」
 二人の進学先の高校まで、距離は自宅から3キロ程度。自転車で問題なく通えるのも選択理由の一つであった。
「だから迎えに行こうよ。それで、せっかく行くなら親子四人で入学式しよ。写真撮るだけでもさ。ね?」
「だけど」流果は心配そうに言った。「埼玉も少しずつ被害が出てるって言ってた。もしかしたらこの辺りも危ないかも」
「テレビは大袈裟に言ってるだけでしょ。お母さんたちが東京から戻ってこれたんだよ?」
 ならば危険区域ではないここはまだ安全だ、ともっともらしく取り繕った。そうかな、と流果の警戒心が鈍る。樹乃は最後の切り札を切った。
「それに、危なくなったら流果が守ってくれるって信じてるから」
 ――いつもの、姉としての流果に戻って。
 妹役の専売特許を活かして甘えてみせる。樹乃は、今の塞ぎ込んだ流果をこれ以上見ていたくなかった。同じ夢を見たあの頃からそうだったように、優しく頼りがいのある姉に戻ってきてほしかったのだ。
「守る……私が、樹乃を……」
 そう反芻するごとに、流果の心の奥底に仕舞い込んでしまった決意が掘り起こされていく。縮こまった足に、立ち上がる力が湧いてくるのを感じる。それでも、規律を破れない生真面目な性格が邪魔をして踏ん切りがつかない。
 故に流果は、理由を求めた。
「樹乃は、私が行かなくても行くつもりなの?」
「行くよ。一人でも」
「……だったら、私も行くしかないじゃない。樹乃だけじゃ心配だから」
 ふう、と息を吐いて重たい腰を上げる。そこにはもう、弱気な流果はいなかった。
「えへへ。いつもの流果だ」
 樹乃は自分の口の端が緩みきっているのに気がついたが、どれだけ意識しても戻すことはできなかった。


 それから二人は樹乃の自室に移動した。この共同生活においての二人の寝床であり、流果の荷物も置いてある部屋だ。
 万が一のために、と制服を他の生活用品と一緒に持ってきて正解だった。と安堵すると同時に流果は、心のどこかでその万が一を期待していたことに気がついて苦笑した。
 おろしたてのワイシャツの上に、パリパリの紺のブレザーとチェックスカートを着る。袖の丈は余っているし、スカートは思ったより長い。成長を見越して――いや、希望を捨てきれずに―― 一回り大きめのサイズを選択してしまったからだった。最後に、鏡を見ながら赤いリボンを襟元に装着する。
 これで着替えは完了だ。姿見に映った自分を見て、まるで制服に着られてるみたい、と流果は思った。初々しさに我ながら恥ずかしさがこみ上げるが、高校生になったのだという嬉しさの方が断然勝った。
「おまたせ――って、樹乃」
 既に着替えを済ませ、スマートフォンに視線を落としていた樹乃の元に詰め寄る。彼女も制服を着慣れていない様子だったが、ぎこちなさの最たる原因は胸元の一点にあった。
「もう。リボン曲がってる」
「え? 今までこんなのつけたことなかったから、適当に結んでみたんだけど」
「適当って。結び方覚えなきゃダメだよ?」
 流果は一度リボンを解くと、慣れた手付きでサッと結んでみせた。樹乃はありがと、とはにかんでから、
「必要になったらね」
 などとうそぶく。すると流果が角度の調節をしていた樹乃のリボンの結び目が、少しだけ小さくなった。
「なるよ。……なってくれなきゃ、困るよ」
* Re: 運命の日2020/05/05(火) 23:16:38 ( No.4 )
日時: 2020/08/02(日) 19:01:07 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 青空は地上の人間のことなど関せずとばかりに、目に痛いほどに澄み渡っている。二人が自転車で漕ぎ出した町並みは、普段と何ら変わったところはなかった。
 小さな娘の両手を両親がつないで楽しげに歩いているし、休校中で元気が有り余っている小学生たちは公園で走り回っている。世間は昨日も今日も変わらずに動いていたのか。流果は、この数日間引きこもっていた自分は何だったのだろう、と少し虚しくなった。買い出しで外出していた樹乃がこの光景を知っていたとすれば、やや強引に外に連れ出されたことにも合点がいった。
 とはいえ今となっては、自分たちも学校などないはずなのに制服姿で出歩いているのだ。事情を知らない他人には呆れられても仕方ない。
 先行する樹乃がちらりと後ろを振り向き、逸る気持ちのままに流果に尋ねた。
「もう少しで着くよね?」
「うん。あと十分くらいのはず」
 高校に行くのは合格発表のとき以来だ。真っ直ぐに向かえば迷うことこそないが、勝手知ったる道とはまだ言えない。一刻も早く母の無事を確認したい流果にとっても、十分は数字以上に長く感じられた。
 二人は一心不乱にペダルを漕き続ける。それに待ったをかけるように、突如若い女性の断末魔が前方から聞こえてきた。
「――きゃああああああ!」
 流果と樹乃の足が止まる。住宅街にこだまする消え入りそうな響きから推測すると、百メートルは離れているだろうか――いや、百メートルしか離れていないと言うべきか。
 まさか、と流果の背筋に悪寒が走った。しかしこんな悲鳴が上がる事態などこのご時世、他にない。
「流果、どうする? 逃げる?」
 樹乃の問いに対して、流果の答えは一つだった。
「今逃げたらお母さんたちが危ない! 知らせてあげないと!」
「だよね」樹乃は緊張した面持ちをしながらも、ニッと笑ってみせた。「回り道になるかもしれないけど、脇道から行こう」
 二人は高校の方角に当たりをつけつつ、喧騒のしない方へとハンドルを切って進んだ。時たま、あちこちから助けを求める声や金切り声が聞こえたり、
「ハイグレっ! ハイグレっ! ハイグレっ!」
「はいぐれ、はいぐれ、はいぐれっ」
 道すがら、既にハイグレ光線の餌食になった人々を見かけるようになっていった。今も小学校高学年と低学年の姉妹と思しき二人が、ハイグレポーズをとっていた。発育途上の凹凸の少ない体をピッタリと包み込む、可愛らしい黄色とピンクのハイレグ水着を着せられて。
 姉は洗脳が完了しているらしくお手本のような鋭い動きで、妹は体が勝手に動く感覚に戸惑いつつゆっくり水着の線をなぞるようにハイグレポーズを繰り返す。この時点で姉だけでなく、妹の方ですらもはや手遅れであった。ハイグレ光線を浴びた時点で、遅かれ早かれハイグレ魔王に忠実なハイグレ人間に転向する運命からは逃れられない。
「……っ」
「ひどい……」
 初めて直に見た光景に樹乃は生唾を飲み込み、流果は唇を噛んだ。この周辺はもう危険地帯だ。だからこそ、最悪の事態が起きる前に高校に着かないといけない。帰途のことなど二の次だ。
 ……お願い、間に合って!
 流果は強く祈りながら自転車を走らせた。それを先導する樹乃も、スカートがはためくのも厭わずに立ち漕ぎをしている。はしたない、と注意をしている余裕などもちろんなかった。
 迂回路を選んだ上で、先のやり取りから十分弱で目的地が見えてきた。とっくに二人の息は切れていた。校門には、本来なら立てかけられていただろう入学式の看板はなく、校舎内にも人の気配はしない。
「樹乃。確か、お母さんたち、校門のあたり、って……」
「家出る前……メッセージで、そう言ってた、けど」
 流果と樹乃は、乗り捨てるように乱雑に自転車を停める。胸が張り裂けそうなのは酸素不足のためか、極度の緊張のせいか、あるいはその両方か。汗でベタベタと張り付くワイシャツが、樹乃にはとても煩わしく感じられた。流果は不快感も恐怖も押し殺し、樹乃をかばうような立ち位置で校門へ近づいていく。
 そうして、流果が高校の敷居をまたごうとする直前に――門柱の陰からすうっと二人の人間が姿を現した。その二人はにこやかに、それぞれの愛娘の名を呼んだ。
「流果」
「樹乃」
* Re: 運命の日2020/07/27(月) 00:11:56 ( No.5 )
日時: 2020/08/02(日) 19:02:44 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 流果は、相手が誰であるかを確認するより早く、猫のように俊敏に飛び退いた。距離を取ってからやっと顔を上げた直後流果は――息が、できなくなった。
「っ……」
 代わりに樹乃が呼びかける。
「お母さんっ!」
「樹乃、元気そうで良かったわ。流果ちゃんも」
 樹乃と流果の母親たちは一週間以上ぶりに再会した娘たちの無事を確認し、内心で胸を撫で下ろした。いくら大人びてきたとは言え、彼女たちはまだ十五歳の子供だ。もしものことがあったなら、という親心は少しも揺らいではいなかった。
 例え、ハイグレ人間へと生まれ変わっていたとしても。
「そ、の……格好、は……」
 流果はカラカラに乾いた喉を両手で抑えながら、苦しげに声を絞りだす。
 ずっと心配していた。樹乃から会えると聞いて安心した。奴らがこの周辺にいると分かって一秒も早く助けないとと思った。その結果がこれだった。
 ……間に合わなかった。お母さんたちを、助けられなかった……!
 彼女の心は表面張力で盛り上がった水面のように、あるいは限界まで引き絞った弓の弦のように臨界点を迎えていた。あと少し動揺が走るだけで、何かがはち切れてしまいそうだった。
 そのひと押しはすぐに訪れた。
「ハイグレぇ! ハイグレぇ! ハイグレぇ!」
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」
 樹乃の母親は、白いハイレグの切れ上がった足ぐりの線に沿って大きくハイグレポーズをした。背中を一気に反らせることによって、母性の象徴たる双房が柔らかく弾む。
 対照的に流果の母親の動きは非常に機敏であった。職場での仕事ができる女という評判を体現するかのように、黒のハイレグ姿でひたすらにポーズを刻みながら均整のとれたボディラインを誇示する。
 流果の足が独りでに一歩二歩と下がる。そして間もなく、電池が切れたように力を失う。樹乃は、母親たちの痴態に釘付けになっていた視線を無理やり引き剥がし、尻餅をついて魂が抜けている親友を向いた。
「流果っ」
「こんなの……ありえない……」両手で頭を抱え、耳を手首で強く塞ぎ、目の前の事実を受け入れまいとする。「こんなの、映画の中のお話だよ。本当にあるわけなんか……ない」
「……違うよ。違ったんだよ流果。ハイグレは現実に、あったんだ」
 樹乃は自分の言葉の意味を噛みしめるように、はっきりと口にした。
 空想の産物だったはずものが、現実に侵食してきた感覚。それを彼女たちは――いや、あの映画の物語を知っていた数十万、数百万人の人々は一週間前に味わっていた。しかしその時点ではまだ、ほとんどの人にとっては画面の向こうの出来事のままにすぎなかった。そしていざ侵略の光景をその目で見た者は、ほぼ例外なくフィクションの存在に――宇宙人の下僕となるよう洗脳を施されたハイグレ人間に――成り果ててしまう。
 樹乃と流果にもその番が、回ってきたのだった。
「ハイグレぇ! ハイグレぇ! ハイグレぇ!」
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」
 娘たちにとっては生まれてこの方聞き慣れた声で、ハイグレコールを叫び続ける母親たち。それはもはや赤の他人のようですらあった。流果にとってはその認識の切替が、この危機的状況に順応するきっかけになった。
 完全に侵略者の手先に堕ちた二人を救う術を、少なくとも彼女たちは知らない。ならば、今為すべきことは一つ。流果は気力を奮って立ち上がり、傍らの幼馴染の顔を真正面に見据えて言った。
「――逃げよう、樹乃!」
 すぐさま「うん」という声が返ってくる、と流果は思っていた。しかし樹乃は黙って見つめ返してくるだけで、身じろぎ一つしなかった。
 足が固まっているのか? だったら無理やりにでもこの場から離れさせなければ。そう考えて流果は樹乃の手を掴むが、そこでとある違和感を覚えた。
「……樹乃」
「なに?」
 この場にそぐわないほど間の抜けた返事だった。全身の肌の裏側にぞわぞわとした気味悪さを感じながら、恐る恐る尋ねてみる。
「どうしてこんなときに樹乃は――笑ってるの?」
 誰がどう見ても彼女の口角は持ち上がっていた。期待を飛び越えて恍惚とすら形容できそうなほどに、にやついていたのだ。この一刻を争う局面において、余裕など無いはずなのに。
「だって」
 と説明を発しようとした瞬間、樹乃の中で疑問の種が芽吹く。それは流果への返答を押しのけて先に出る。
「逆に流果は、なんで逃げようとしてるの?」
「なんでって……え?」
 二人の間に沈黙が流れる。耳朶を打つのはハイグレと繰り返す声ばかり。
 話が噛み合わない。流果には幼馴染が何を考えているのか、全く分からなくなった。それでも相手の考えを何とか汲もうと試みる。
「お母さんたちを置いていけない、ってこと? 私だって助けたいけど……それより今は」
「置いてかないよ。だって私たち、何のためにここに来たのさ」
 言われて、記憶を探ってみる。こんなときだというのに、脳内は妙に静まり返っていた。
 ……お母さんたちを助けるため、じゃ、最初はなかった。最初は樹乃が、制服を着て高校に行こうって言ったんだ。
「入学式……?」
「そう! 私たちの入学式! 今日は、新しい生活の始まりなんだよ!」
 快晴の空に響けとばかりに、樹乃は高らかに宣言した。
「――ハイグレ人間としての!」
 流果は、彼女の言葉を言葉として受け入れるのに数秒を要した。それでも消化して飲み下すには全く足りず、何度も何度も脳内で反芻する。
 呆気にとられたまま立ち尽くす流果に、樹乃は秘蔵の手品の種明かしをするような得意さで二の句を継いだ。
「実はね、お母さんたちがもうハイグレ人間になってるってことは知ってたんだ。買い物中に電話がかかってきてさ。『もうすぐこのあたりにパンスト兵様と一緒に帰ってくる。流果のお母さんと一緒に迎えに行くから、二人とも家にいなさい』って言われたんだよ」
 更には、母親たちも樹乃の話に乗る。
「そしたら樹乃ったら、『流果も連れてくから高校で待ってて』なんて言うんだもの。ハイグレぇ!」
「もしかしてとは思ってたけど、流果も樹乃ちゃんもだとはね。できた子たちを持てて鼻が高いわ。ハイグレッ!」
「えへへ……やっぱりバレてたかぁ」
 照れて頭を掻く樹乃。何一つ疑うことなく誇らしげにハイグレポーズを捧げる二人のハイグレ人間たち。
 ここまで来れば流果にも、おおよそ事情の察しはついた。それでも、まだ信じられないでいた。小さな頃から共に育ってきた樹乃がずっと、そんなことを夢見ながら自分の隣にいたなんて。その上――。
「……違うよね、樹乃」
 喉に湿った綿が詰まっているみたいだった。これから自分は、突拍子もないことを樹乃に問い質す。それを彼女はただ一言、否定してくれさえすればいい。「考えすぎだよ」って、笑い飛ばしてくれればいい。「流果は心配性だなぁ」って、バカにしてくれればいい。
 ただ、それだけでいいと、祈りながら。
「樹乃はそんなこと、思ってないよね?」
 そんなこと? 首を傾げる樹乃に、流果は意を決して訊ねた。
「ハイグレ人間になりたい、なんて……思ってないよね?」
 樹乃は一瞬キョトンとし、それからあたふたと困り笑いを浮かべてみせた。
「や、やだなぁ。何言ってんのさ流果」
 それは流果が期待していた反応。ならば続く言葉もきっと予想通りであろうと安堵したのだが――、
「今更普通の人間のフリなんかしなくたっていいんだよ。私たち約束したじゃん。ハイグレ魔王様がやってきたら、一緒にハイグレ人間になろうって」
 ――流果の願いは、考えうる限り最悪の形で砕け散った。
* Re: 運命の日 ( No.6 )
日時: 2020/07/27(月) 00:14:34 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 樹乃の様子を見るに、表情こそへらへらと緩んでいるが、冗談を言っている雰囲気は微塵もなかった。至極当然のことのつもりで、異常な台詞を吐いている。ハイグレ光線によって洗脳されたハイグレ人間がそうであるように。
 流果は、喉に逆流してくる酸っぱいものをなんとか飲み下す。咳き込み、不快感に涙が滲む。その苦しさの中で、樹乃の言う『約束』について唯一心当たりのある一幕を思い出していた。
「約束って……まさか小さい頃、映画を観たときの?」
「うん。最後のシーンを観ながら話したよね。――あんな風にハイグレ水着を着て、ハイグレ魔王様のしもべになりたいね、ってさ」
「……そのとき、私、なんて返事した?」
「すぐに同意してくれたよね。もしもハイグレ魔王様が来たら、ハイグレ人間にならなきゃいけないよね、って」
「私そんなつもりで言ってない!」
 流果の唐突な大声に、樹乃は再び目を丸くした。
「あれは、正義のヒーローやヒーローを助ける役目になって、魔王に立ち向かわないとって意味であって……! 樹乃がハイグレ人間になりたいなんて思ってるなんて、思ってなかった!」
「……じゃあ、なに? 全部私の勘違いだったっていうの?」
 そこまで言われて樹乃にもようやく、二人の間に大きな行き違いと隔たりがあったことを悟った。
「私、流果を驚かせようと思って……喜ばせようと思って……ここまで連れてきたのに」
 樹乃は、自分のスマートフォンを震える指で開く。履歴画面には母からの着信と、その後メッセージアプリで待ち合わせ場所を母と示し合わせたやり取り――それは流果の制服への着替えを待っている間に、密かに送りあったものだった――が残っていた。全ては流果と共に、同じ夢を叶えるために。
 だがそんなことは、当の流果が望んでなどいなかった。
 樹乃にとって流果は、この世界において唯一の理解者であり、心の支えであった――はずだった。手のひらに伝わっていた他者の温もりがすうっと消え、足元すら見えない真っ暗闇で一人きり取り残された感覚が樹乃を襲う。
 こんな樹乃にも『常識』の概念は存在する。普通の人間は、誰かに支配されたいなどとは考えないし、公衆の面前で裸に等しい格好で変態的な行為をしたいなどとは思わないことくらいは知っている。樹乃もあの映画に出会うまでは、幼いなりに一般的な常識観を持っていた。母はそれほどでもなかったが、父親のしつけが特に厳しかったため、だらしないことをするとすぐに窘められたせいだ。むしろ親が求める『いい子』でいることに、強迫的ですらあった。しかしその押し付けられた枠に嵌められていることを、窮屈に感じている自分もいた。
 そんな彼女にとってあの映画の衝撃は大きかった。ハイグレ魔王の洗脳を受ければ、たちまち破廉恥で非常識な存在に変えられてしまう。それは強制であり、不可抗力であり、いくら嫌がっていたとしても可哀相な変態にされてしまう。言い換えれば、あの光線を浴びれば『いい子でなくなってしまっても仕方がない』のだ。ハイグレ人間にされてしまったのなら、いい子でなくなったとしても父に叱られる道理はない。
 だから樹乃は、人々が洗脳銃に撃たれて次々にハイレグ姿を晒していくその光景を見て、ハイグレ人間が羨ましいと思ったのだった。
 自分がまともな道を踏み外したことにはすぐに気付いた。だが樹乃は孤独ではなかった。傍らにはいつでも、同じ夢見る姉同然の幼馴染がいたのだから。誰にも言えない秘密を共有した、この世でたった二人だけのハイグレ人間が。
 それから樹乃は流果が家に来る際、あの映画のDVDを持ってくるようしつこく迫った。流果も、樹乃が観たいならと疑うことなく持参しては繰り返し観た。それがしばらく続いたのち、鑑賞の途中で母親が帰ってきて「また観てるの? 二人ともその映画好きねぇ」と呆れられたことがあった。その言葉に樹乃は、秘密が母や父に漏れるのを恐れて、また同時に、親の求める理想像に反してしまったことへの罪悪感を覚え、二度と流果にDVDをせがまなくなった。
 だがもうとっくに樹乃の心の中には、映画の映像と流果との約束が色鮮やかに焼き付いていた。あえて口にせずとも流果とは常に繋がっているという安心と信頼があればこそ、樹乃は一人でも心細くはなかった。
 本当の自分を受け入れてくれる居場所を見つけた樹乃は、再び親の前で『いい子』に戻った。普段は常識人を装っていた方がこの世界で生きるには楽だし便利なのだ。ただ、ふとすると気が抜けてしまうときもある。そんなときは父親に叱ってもらえることで、自分を『いい子』の枠に嵌め直すことができた。父親がいなくなった今はその役は、姉であり、かつ樹乃よりも『いい子』を演じるのが上手い――と樹乃は思っていた――流果に代替えとなっていたのだった。
 ……だから、もう本当の私たちを隠さなくってもいいんだよって、流果に伝えたかっただけだったのに。
 パン、と樹乃の手元からスマートフォンがはたき落とされる音がして、樹乃は我に返った。流果が平手を見舞ったのだ。行き場のない怒りを、全てぶつけるかのように。スマートフォンはアスファルトの地面に一度跳ね、一メートルほど回転しながら滑って止まった。
 樹乃はそれを拾いに行こうとはせず、流果の濡れた瞳と見つめ合う。
「……ごめん」
 ポツリと呟いたのは、流果の方だった。
「樹乃の気持ちを、一緒に分かってあげられてたら」
 本来の意味で常識人である流果には、樹乃が何故そのような夢に至ったのかを想像することはできなかった。しかし彼女がどんな思想を持っていたにせよ、受け入れてあげるのが自分の役目ではないのか。そう思う責任感と、それがどうしてもできない罪悪感がせめぎ合い、涙となって頬を伝った。
「こっちこそ、ずっと私の勝手な勘違いを押し付けてて……ごめん」
 自分が一人ぼっちであったことを認めるには、心臓が押し潰されるくらいの痛みを伴った。だとしても、一度けじめを付けなければ気が済まなかった。
「でも」その上で、樹乃は言う。「私はどうしてもハイグレ人間になりたい。だってこんなチャンス、二度とない!」
「……っ」
 流果は、返す言葉を持たなかった。樹乃の突拍子もないはずの訴えが、どこまでも真剣だったから。
 そして開き直った樹乃は晴れやかな顔で、堰を切ったように胸の内を明かした。
「ずっと思ってたんだ。本当に、ハイグレ魔王様がこの地球にやってきてくれないかなって。もちろん、あんなのは作り話だってことくらい子供でも分かる。けど、あの映画自体が『もしも作り話の登場人物が実在していたら』っていう話だったよね。だから私は希望を捨てなかった。毎日、どこかにいるはずの魔王様に向かってハイグレを捧げてた。無駄かもしれなくても、それが私の使命だと思ってさ。……そしたら本当に、叶ったんだよ」
「ハイグレぇ! ハイグレぇ! ハイグレぇ!」
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」
 叶った結果がこれであり、テレビで連日報道されている緊急事態である。雨乞いをしたら雨が降ったというのとは、訳が違う。
 それでも、この世界に生きる人間にとっては受け止めるしかない現実なのだった。
「私ね、もし魔王様が来たら何日かは普通に過ごしてみたかったんだ。現実の人たちが、ハイグレ星人にどういう風に立ち向かって、ハイグレそのものをどんな風に感じて、そしてどうやって洗脳が広がっていくのか、実際に見てみたかった。……都心には魔王城と水着姿の人たちが本当にいて、テレビもネットも全部ハイグレの話題になって、一日ごとに洗脳者数のグラフが伸びていってさ。本当に、現実じゃないみたいだった」
 数十キロメートル向こうで起きていた未曾有の事態はやがて、二人の住む街をも侵食してしまい。
「人間としてこの状況はもう十分楽しめたから、次は私自身がハイグレ人間になりたいんだ。本物の光線銃を、ハイグレの気持ちよさを実際に味わって、身も心もハイグレ人間に生まれ変わって、侵略が広がって仲間が増えていくのを喜びたいんだよ」
 とても歪で、純粋な願い。長年積もり積もっていた思いを吐き出すたび、樹乃の口の端が興奮で弓なりに曲がる。
「樹乃は……あの映画を観たときにもう、洗脳されていたんだね」
 流果は長い話の末に、やっと一言だけ絞り出した。それすらも、樹乃にとっては褒め言葉でしかなく、
「……そうだね。そうかも。そうだったら、嬉しいな」
 照れたように少しだけ顔を伏せるのだった。
 どうして樹乃がこんな人間になってしまったのか。考えてみれば原因は一つしかない。流果はそれを後悔する。
「私のせいで……」
「ううん、流果のおかげだよ」
 間髪入れず、樹乃は首を横に振る。
「流果があの映画に出会わせてくれなければ、今の私はないんだよ。もしも流果が私のことを友達だとか大事に思ってくれてるなら、流果のせいだなんて言わないで。流果がいなければ普通の人みたいにハイグレなんて嫌だーって逃げ回ってたはずだけど、なにより今の私とは全然違う人みたいになってただろうから」
 言われ、ハッとした。流果にとっても、大切な幼馴染は目の前にいる樹乃一人しかいないのだから。流果の半身が樹乃でできているのと同じように、樹乃の半身もまた流果でできているのだ。
 流果は肯定も否定もできなかった。するわけにはいかなかった。彼女の言葉は屁理屈かもしれないが、それでも納得せざるを得ないという事実だけを噛み締めた。
* Re: 運命の日2020/07/27(月) 00:17:52 ( No.7 )
日時: 2020/08/02(日) 19:05:29 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 数秒の後、樹乃が静かな口調で呟いた。
「……魔王様がやってきた世界の想像の中で私の隣には、いつも流果がいてさ。二人で並んでハイグレ魔王様にハイグレポーズを捧げてるんだ。私たちをハイグレ人間にしてくださってありがとうございます、ってね。私の最後のお願いはね、流果。流果と一緒にハイグレしたいってことなんだ」
 一息、
「流果、一緒にハイグレしよう?」
「……いや」
「……あはは。想像の中では一度も、断られたことはなかったんだけどな」
 樹乃は不意に鼻の奥にツンとしたものを感じ、それをごまかすように頭を掻いた。できたての覚悟で受け止めるには、十年越しの夢はあまりに大きかった。
「でも」流果の返答に関わらず樹乃の夢はもうすぐ、叶う。「ハイグレ人間になれば流果も、分かってくれるよね?」
 流果が反応するより早く、ハイグレポーズを中断した母親たちが流果の背後に回って身動きを封じた。十五歳の少女の体格は母親たちと比べて大差はないが、まだ成長の余地が残されている分だけ少し小さい。二人がかりで両腕を拘束されれば逃げ出せる道理はなかった。
「放して! お母さんっ!」
「まったく。流果も樹乃ちゃんと同じでハイグレ人間に憧れてるのかと思って喜んでたのに。とんだ恥をかいたわ」
「まあまあ、いいじゃないの。これから流果ちゃんにもハイグレ光線を浴びせていただけば、そんなの関係ないんだし」
「それもそうね。どうせすぐに、ハイグレの素晴らしさは嫌でも理解できるものね」
「お母さん目を覚ましてっ! 私そんなのいやぁっ!」
 耳元で平然と悪魔のような相談を繰り広げられ、流果は総毛立つ思いがした。肩を捻り拘束を振りほどこうと足掻くが、異常なほどの力で押さえつけられて不発に終わる。当然、彼女の必死の訴えに応える者もその場にはいなかった。
 母親二人は面を上げ、高校の校舎に向かって呼びかける。
「――パンスト兵様! お待たせいたしました!」
「娘たちにハイグレ銃を!」
 すると、開きっぱなしで人気のない昇降口の暗がりの中から鮮やかな赤い影が一つ、ゆらりと現れた。
 樹乃は校門を背にしていたため、流果に遅れて後ろを振り返る。その姿を見たとき、まるで有名な俳優と出くわしたかのように心臓の鼓動が一段と弾んだ。頭にパンストを深々と被り、百八十センチはあろうかという細身を赤いボディスーツで包んだ大男。それが長い銃身の悪魔の武器を肩に掛け、悠然と歩いてくる。近づくほどに、その異様な威圧感に本能が警鐘を鳴らす。確かに地球上の存在でないことが、樹乃にも流果にも不思議と納得できてしまった。
 校門の敷居をまたいで一歩出た位置でパンスト兵は足を止め、ビシリと突っ立つ。それからターゲット二名の姿をゆっくりと睥睨する。表情はパンストのデニールの高い布地のせいと、それによってくしゃりと潰れておりよく確認できない。しかし二人は自分たちが、あの黒い瞳で全身余すところなく品定めされたことを嫌というほど感じ取った。
「ひっ……」
 流果の喉から短い悲鳴が出る。罠にかかった小動物が命の期限を悟り、狩人に最期の懇願をするかのように。対して樹乃は待望の瞬間が間もなく来ることに、ゾクゾクと快感を覚えた。
「パンスト兵、様」
 思わず、樹乃は異形の大男に声をかけていた。パンスト兵は未洗脳者でありながらも期待感に満ちた目をした少女を見下ろす。
「私ずっと、ハイグレ人間になれる日を待ってたんです。私を……私とこの子を、ハイグレ人間にしてくださいっ!」
 言葉が通じたのかは分からないが、パンスト兵は瞬発的に銃を構えた。銃口こそ樹乃に突きつけられているが、顔と意識は囚われの流果を向いており、己一人で釣瓶撃ちに仕留める用意は万端であった。
「やめて……やめて……っ!」
 流果はもはや力なく項垂れ、うわ言のようにそう呟くばかり。自分が、物語の中で洗脳を受けていた可哀想な人々と同じ存在に堕ちる羽目になろうとは、考えたこともなかったのに。
 樹乃はパンスト兵に正面から相対し、軽く手足を開いて光線銃を受け入れる姿勢をとっていた。これから待ち受ける超常的な現象を、全身で味わい尽くそうとしていた。
 そんな対照的な二人の未洗脳者に対し、パンスト兵は研ぎ澄まされた動きで二度引き金を引いた。二条の光線は、ほとんど時間差なく樹乃と流果に命中し――その身を桃色の光で包み込んだ。
「あああああああああああああっ!」
「きゃあああああああああああっ!」
 瞼を開けてはいられないほどの閃光の中で、二人は人間としての断末魔を上げる。本来ならば今日この日から着られるために仕立てられた高校の制服が、じわじわと光に溶けて形を失っていく。代わりに彼女たちの成熟途中の身体に、当然着たことなどないハイレグ水着が装着されていく。
 それは一般的な人間にとって、扇情的なシルエットを股間に浮かび上がらせるだけの機能性ゼロの水着であり、現代の流行からすればとうに時代錯誤で嘲笑の対象ともなりうる代物。しかしハイグレ人間にとっては、身につけるべき唯一にして至上の正装であり、己がハイグレ魔王に隷属している事実を示す誇り高き証。
 そうした意識の改変は、光線に包まれている間に即座に固着することもあれば、その後ハイグレコールを繰り返すうちに浸透していくこともある。洗脳速度に個人差はあるもののただ一つはっきりしているのは――ハイグレ光線を浴びた人間は、必ずハイグレ人間になるということ。一切の、例外なく。
 やがてハイグレ光線から解放されたとき、樹乃は黄緑色の、流果は薄紫色のハイレグ水着姿になっていた。ただただ無個性な単色の水着一枚になった自分の姿を、彼女たちはその目で認める。
 次の瞬間、どこからか湧いてきた抗いがたい衝動に突き動かされた二人は、
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ!」
「……ハイグレっ、ハイグレっ、ハイグレっ」
 両足を限界まで大きく開き、本来は隠すべき箇所を開け広げにしながら、そこを強調するように両腕で鋭いV字を描く。腕を、掛け声のタイミングに合わせて肩の高さまで振り上げては、次の機会のために水着の足ぐりの際に沿わせる。
 樹乃は心底楽しそうに、流果は戸惑いと羞恥に赤面しながらのハイグレだった。
「ふふ。樹乃ったら嬉しそう。これからは思う存分、ハイグレしていいのよ」
「流果はまだまだぎこちないか。まあ、最初なら仕方ないけど。早く一人前のハイグレ人間になりなさい」
 とうに洗脳済みの親たちは口々にハイグレデビューした娘の寸評を行う。それからハイグレポーズをとりつつ二人が生まれ変わるのを待った。
 自分の母親のあまりに恐ろしい小言を耳にしながら流果は、つい先程まで忌避していた動きを繰り返していた。
「ハイグレっ、ハイグレっ、ハイグレっ、ハイグレっ、ハイグレっ」
 自分の意識では必死に抵抗しているつもりだった。しかし、身体が勝手に規則的なスピードでハイグレを刻むのを止めることはできなかった。そのくせ、水着が素肌と擦れる感覚は鋭敏に全身を駆け巡り、己の痴態を否が応でも悟らせてくるのである。流果の心の涙は、誰にも知られることなくひっそりと流れ続ける。
 そんな屈辱に塗れる流果とは反対に、ついに夢を叶えた樹乃は自らの意思でハイグレの快感を謳歌していた。
「ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! ハイグレ! これで私も、ハイグレ人間なんだぁ……っ!」
 頭の中が、自分が従うべきハイグレ魔王やパンスト兵のことや、自分の存在を構成するハイグレコールやポーズや水着のことや、これから行うべき洗脳活動のことなどでいっぱいになる。列挙することが不可能なほどのハイグレ人間としての本能や知識が、情報の津波となって脳を攻撃する。これまでの人生で積み重ねてきた人間としての思い出や常識は、一部を除いてあえなく押し流され、氾濫し、頭から零れ落ちていく。
 もともとハイグレ人間になることを望んでいた樹乃でさえも、『本物』の洗脳銃の力によって記憶を書き換えられていく。いわんや流果の身に起きる変化は、それ以上のものであった。
 ……ヒーローなんて、いないんだ。私もずっとこのまま、ハイグレ魔王……様のしもべとして生きていくしかないんだ。でも……それでもいいかな。だって――。
 流果は、徐々にハイグレのタイミングが揃いつつある、もう一人のハイグレ人間に視線をやった。彼女の清々しい表情を見て、己の中の人間への執着心が溶けていく。流果の願いは、いつでも樹乃のそばにいること。それができるなら、ハイグレ人間だって構わない。
 ……樹乃の夢を叶えるのは、私の役目だから。
 そう流果は心の中で満足し、握っていた最後の意識を手放した。
「ハイグレっ! ハイグレっ! ハイグレっ!」
 後には、ハイグレ魔王を絶対の主として崇拝する、新たな一人のハイグレ人間だけが残っていた。
* Re: 運命の日2020/07/27(月) 00:20:09 ( No.8 )
日時: 2020/08/02(日) 19:07:41 メンテ
名前: 香取犬◆RYenwqtp9Y

 二組の親子が水入らずでハイグレポーズを捧げること数分。はたと本来の目的を思い出したのは、やはり発案者である樹乃だった。
「そうだ、肝心なことを忘れてた。入学式!」
「まあ、これからもし高校に通えるようになっても、制服はハイグレだろうけどね」
 流果は自分の薄紫のハイレグを愛おしそうに撫でた。今となっては、どうしてあんなひらひらとした制服を着たいと思っていたのか、理解に苦しむのだが。
 樹乃は近くに転がっていたスマートフォンをひょいと拾い上げる。足は曲げずに上半身を屈めて起こす動きによって尻に黄緑色の生地が食い込むが、彼女は委細構わなかった。
「ご、ごめん樹乃。さっきは私……」
 流果の記憶の彼方には、まだ愚かな未洗脳者だった頃の自分が衝動的に地面へ叩き落とした光景が残っている。自分をハイグレ人間にしてくれたのは、そのスマートフォンで樹乃が母親と連絡をとってくれたからだと言うのに。壊してしまっていたらと思うと罪悪感がこみ上げてきた。
 ただ確かめてみると、端末の画面も機能も無事であったことが分かった。
「大丈夫、壊れてないみたい。それにもしあのまま持ってたら、服と一緒に消えちゃってたしね」
 樹乃の言葉にホッとする流果。樹乃はそのまま、全員に提案する。
「あのさ。これで写真撮ろうよ。入学式だったはずの今日に、私と流果がハイグレ人間になってここにいることの記念に!」
「そうね。この思い出は絶対に残しておかなくちゃね。お父さんにも見せてあげましょう」
「せっかく高校に来ているのだし、もちろん賛成よ」
 樹乃と流果の母もすぐ同意した。当然、流果も同意見だった。
 黄緑と、薄紫と、白と黒のハイグレ人間が校門の前で整列する。背景には学校故に桜の木が植わっている。四月に入って桜は既にほとんど花びらを散らしてしまっていたが、これから青々とした葉を茂らせるのだと思えばむしろ、二人の若人の前途を祝すにはおあつらえ向きと言えた。
 写真に写すハイグレポーズはどの程度の腕の角度にすべきか、などと母親たちが相談しているなか、流果がはたと気付いた。
「そういえば誰が撮るの?」
 あ、と目を合わせる一同。しかし機転を効かせたのは樹乃だった。
「ハイグレ! ハイグレ! パンスト兵様、ちょっとお願いしてもいいですか?」
 この場に残って一部始終を見届けていたパンスト兵に駆け寄り、スマートフォンのカメラ機能の説明をする樹乃。パンスト兵は樹乃の言うことをうんうんと頷きながら聞き届け、それを受け取った。主人であるパンスト兵に頼みごとなんて、と肝を冷やした残り三人のハイグレ人間たちの心配は杞憂に終わった。
 とてとてと樹乃は流果の隣、定位置に戻ってくる。背後にはそれぞれの母がおり、娘たちが心身無事に今日この日を迎えられたことを慶んでいた。
 パンスト兵は得物である光線銃の代わりにスマートフォンを横向きに構え、ファインダーに四人のハイグレ人間を捉えた。
 カメラを向けられていることに気付いた四人は、慌ててハイグレポーズの準備姿勢に入る。結局わざわざ言うまでもなく、撮られるポーズはハイグレを叫びきって腕を振り上げた瞬間に決まっていた。
 流果は手を股間に添えながら、胸にこみ上げてきた気持ちを呟いた。
「樹乃」
「ん?」
「……これからもよろしくね」
「私こそ。ずっと一緒だよ、流果」
 その直後、示し合わせたかのようにハイグレ人間たちが綺麗に揃ったハイグレポーズを披露した。
「――ハイグレ!」
「――ハイグレっ!」
「――ハイグレぇ!」
「――ハイグレッ!」
 パンスト兵がシャッターボタンで切り取ったのは、たった一瞬だけそこにあった四人の姿。
 だがその一瞬は――これ以上無い幸せな笑顔で飾られたハイグレポーズは、この佳き日の記念となって永遠に残り続ける。

   *完*
Page: [1]
 
BBコード
テキストエリアで適用範囲をドラッグし以下のボタンを押します。
装飾と整形

フォント
この文字はフォントのサンプルです
リスト
標準  番号付  題名付

スマイリー
表とグラフ
データ入力
ファイルから入力(txt/csv)
要素の方向:
横軸の数値:
横軸の値 例:2009,2010,2011,2012
直接入力
凡例
カンマ区切り数値 例:1,2,3
横軸の値 例:2009,2010,2011,2012
オプション
出力内容
グラフタイプ
区切り文字
縦軸の単位例:円
横軸の単位例:年度
マーカーサイズ
表示サイズ
確認と適用
Status表示エリア
プレビュー
絵文字
連続入力
外部画像
  • 画像URLを入力し確認ボタンをクリックします。
  • URL末尾は jpg/gif/png のいずれかです。
確認ボタンを押すとここに表示されます。
Googleマップの埋め込み

  • 説明
  • 説明
確認ボタンを押すとここに表示されます。
HELP
題名 スレッドをトップへソート
名前
添付FILE 文章合計600Kbyteまで
パスワード (記事メンテ時に使用)
コメント

※必須

   クッキー保存