原寸大

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題名8月に大島青松園に阿波おどりを踊りに行きました
コメント 最高の笑顔が教えてくれたこと
徳島市川内中学校二年
橋本 愉衣子

「アンコール!アンコール!」
私たちが踊り終え、連長の挨拶が終わったときに盛大な拍手と共にこのアンコールの大きな掛け声が観客席から聞こえてきました。
私はその声にすごく感動し、嬉しくなりました。私たちが阿波踊りを踊っている間中、ずっと鳴り止まなかった手拍子。
ハンセン病の後遺症のために、指の長さが不揃いになった方が精一杯送ってくださった手拍子、指の全てをなくしてしまった元患者の方は手の甲で手拍子を打って私たちを歓迎してくださいました。
私の所属しているゑびす連は、今までいろいろな場所へ慰問や興業に出かけていますが、こんなに温かい手拍子は、生まれて初めての体験でした。
「この園にいる方たちは、本当に私たちの踊りを喜んでくださったのだ。」
と思うと、私は踊り子として、とても誇らしい気持ちになりました。

 ハンセン病療養所のある大島青松園への慰問が決まった時から、私は今日の訪問を心待ちにしていました。
一年生の時、人権コンサートで聞いた歌を通して知ったハンセン病。切々と胸を打つ歌詞が印象的で、私の心に「ハンセン病」という文字が刻み込まれました。
そして、二年生になり、道徳の時間にハンセン病について詳しく学習することになりました。
らい予防法という誤った政策により、故郷を追われ強制的に隔離されたハンセン病患者の方たち。
家族に迷惑をかけないために姓を変え、名を変えながらも、どんなに家族が恋しかったことでしょう。
「家に帰りたい、家族と一緒に暮らしたい」と、どれほど懇願したことでしょう。
どれほど辛く苦しい思いをしたことでしょう。

私はそんな状態に耐えれるだろうかと、自分自身に問いかけてみました。
「NO!」きっと私には辛すぎて毎日泣いてばかりではないかと思いました。
隔離されるときに持ってきたわずかばかりの所持金も没収され、家族の元に逃げて帰ることもできない状態では、一体何を支えに生きていけばいいのでしょう。
大島青松園を舞台にしたDVD「風の舞」の中で見た、詩人塔和子さんの体験や塔さんが書いた詩の数々、また、大島青松園で暮らしている元患者の方々の話が心に焼き付いていました。だから、一度訪れてみたいと思っていたのです。
 
今回の訪問を通して、私はたくさんのことを学びましたが、一番印象に残ったのは、多くの元ハンセン病患者の方たちと直接触れ合ったことでした。
着物姿で大島を歩いていると、何人もの方に声をかけられました。
そして、
「今から十年くらい前にも、川内中学校の人形浄瑠璃部の人たちが慰問に来てくれたんよ。『傾城阿波の鳴門』を上演してくれた時、涙が止まらんかったわ。徳島のことが懐かしくて懐かしくてなあ・・・。今日また、あなたたちが阿波踊りを踊ってくれたのを見て、ほんま嬉しかったわ。」

と涙ながらに話してくれた方もいました。
 また、何人もの方から、
「一緒に写真を撮ってもらえませんか?」
と頼まれました。私が、
「はい。もちろんです。」
と答えると、みなさんはすごく喜んでくださいました。
そして、どの方もとびきりの笑顔でカメラに収まりました。その時の写真が、私の部屋にも飾ってまります。どの方も本当に素敵な笑顔です。
 
謂われなき偏見や差別と闘いながら、その半生を大島青松園で過ごしてきた元患者の方々。この方々がどんな思いを抱えて生き抜いてきたかを目の当たりにして、私は、正しい知識を持つことに大切さを実感しました。偏見を打ち砕き、差別の眼を摘み取るのは、私たちの使命です。写真に写ったとびきりの笑顔が私を励ましてくれています。
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